欺したら欺される。だったら欺した方がいい。健康だと言い含めて置いたら健康になっている。だったらいったい、それまでの体の不調は、あれは何だったのだ。ころりと欺されている。お酒飲むべからずだと言うとそういう体調にもなる。お酒飲んでも差し支えなしと唱えていると体調がそれを聞いて差し支えなしを整えている。これじゃいいなりじゃないか。こころのいいなりじゃないか。言葉でどんなにだって操作できるじゃないか。操作をしてやる。セルフ・コントロールというのは案外有効なのだ。あらためてそれを実感する。そんなシークレットが貫いているのならこのシークレットを無視することはない。大切にするべきだ。欺すという表現もいい加減で真相に即していない。空なのだ。病も健康も、空なのだ。根拠がないのだ。根がない浮き草なのだ。コントロール次第ではどうにでも変化するのだ。だったら寧ろコントロールをしてあげるべきなんだ。手元で操作をしてあげるべきなんだ。そんなことを思った。これがアファーメイションなんだろう。確信を持つ。持たせてあげる。信頼をしてあげる。信頼を当てにする。こころとからだのこの微妙な関わり具合はどうだ。ことばが威力を放つ。三者の相互のベクトル調整ぶりが見事だ。