<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

着替えが一日に3度にも

2016年05月22日 16時54分34秒 | Weblog

午前中と午後と一日に2度も下着と半袖シャツを着替えなければならなくなった。外に出て畑作業をしているともう汗でびっしょり。そんなに重労働をしているわけでもないのに、こうなる。麦藁帽を被って日射しを避けているのに、汗が頬を垂れてくる。目に入ってくる。何が何でもしなければならないこともない。一休憩を入れてシャワーを浴びるか、濡らしたタオルで全身を拭き上げる。洗濯物がどんさりになって申し訳ない。お風呂に入るときにまた着替えるから、都合3回にもなってしまう。でもでも、爽快感も3度ある。これはいい。3度生き返った感じがするからだ。

また外気が呼んでいる。大空が誘っている。家の中になんか居ないで出てお出でよ、と手招いている。(これが美女だったら、どうなっただろう? あり得ないか。うん、その通り、あり得ないなあ)日がそろそろ翳って来た。影が畑を延びてきた。さ、また外に出よう。外に出ると次に何をしなければならないかが自然と読み取れる。

1つ、新しく買って来た珍しい南瓜苗を植えに行く。2つ、昨日植えた南瓜苗に水をやる。3つ、これに虫除けのビニールキャップを被せてやる。4つ、里芋の赤目大吉を畝に埋めてやる。5つ、プランターで発芽してきた隠元豆に牛糞を置いてやる。6つ、発芽してきた落花生を畑に移植する。7つ、丹波小豆の種蒔きをする。

・・・さて、日没までに何処まで捗るだろうか。老爺のすることは遅遅としているから。

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鯉料理を食べる

2016年05月22日 12時55分58秒 | Weblog

鯉料理を食べにやって来た。近くに清水の滝がある。行者が滝行をするところだ。一段高いところに天台宗の寺がある。小さい頃病弱だったので、ここに預けられていた。といっても着ていた服一枚だけど。青年になって、お礼参りをした。鯉料理はあらいと鯉こくだった。これにご飯がついていた。おいしく頂いた。

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自分で治ろうとする能力 自治能力

2016年05月22日 10時58分45秒 | Weblog

脚の股の見えるところに黒血が寄っていた。何かに打ち付けたのだろう。そこが真っ黒な痣のようになっていた。お風呂に入るとき、シャワーを浴びるときにそれがよく見えた。日に日にそれが薄くなっていく。回復に向かって行く。自分で治る「自治能力」なのだろう。ついつい「偉いなあ」「からださんというのは偉いことができるのだなあ」と褒め言葉がわき出てしまった。どういうことになっているのか、どういう仕組みが働いて自己治療をしているのか、詳しくは知らない。知らないでいいようになっている。そこも讃歎に値する。ああ、ここまで熟慮してあったんだなあ。緻密に計算されて回復が可能になるように造られていたのだなあ、と思った。疵を癒してくれなかったら、どうなっていただろう。もともと簡単な一箇のアメーバのような生命体からスタートして、長い長い人類の進化の歴史を経て、とうとうここまで辿り着いているのだ。パーフェクト地点まで辿って来たのだ、己の命というのは。そこまで飛躍して考えてしまった。だが、パーフェクトが当たり前になっている。これに欠如が起こると途端に青ざめてしまうが、力強い、頼りになるパワーが潜んでいたのである。有り難いなと思った。その割にはいつも不平不満を抱いて暮らしている自分、欠如だけに目が行っている自分というのが、ちょっと浅はかに思えて来た。深読みが出来ていないのだ。己の生命を守護している者(なんと名付けていいのか、それがどういう組織体になっているのか、いったい彼らの本意がなんなのか、それも分からないでいるが)、そういうの愛情の深さというものが読み取れていなかったのだ。さっき農作業を休憩して風呂場でシャワーを浴びた。黒血は次第に薄くなっていまはうっすら青空が覗いていた。

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台所から味噌汁の匂いが流れて来る

2016年05月22日 07時23分34秒 | Weblog

腹が減った。さあ、朝ご飯だ。台所から味噌汁の匂いが流れて来る。

昨夕、近隣からもらった古高菜は臭みがとれるまで何度も洗った後、あっさり風油炒め料理もしてもらっていた。これをアツアツの白ご飯の上にのせて食べよう。2杯目を食べたくなるだろうが、それはダメ。血糖値がいきなり220にも跳ね上がっていたからだ。

 

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ええほんとうでしたよ その通りでしたよ

2016年05月22日 06時43分37秒 | Weblog

ええ、ほんとうでしたよ。わたしのために書き残して下さっていた厖大な経典のその通りでしたよ。理解が出来ましたよ。少しですけどね。ええ、ほんとうでしたよ。そろそろレポートをしたためようと思っていたところでした。かってブッダが意図したことが今になってすっと腑に落ちる。意図が貫かれたことになるのだ、これで。

さぶろうはここに遣わされた人物の名である。まるで使節団の一員だった。嵐の海を渡った遣唐使使節団は唐に渡ったが、さぶろうは地球という水の星に渡って来ている。そこにはブッダがご修行になり、已に法をお説きになっておられた。

現世安穏 後生善処 以道受楽 亦得聞法 既聞法已 離諸障礙     妙法蓮華経「薬草諭品第五」より

げんぜあんのん ごしょうぜんしょ いどうじゅらく やくとくもんぽう きもんほうい りしょしょうげ

現世を安穏にしおえたり。後(の世)には善処に生まれん。(仏)道を以てすれば楽を受けたり。亦(後の世にブッダの)法を聞くを得べし。既に(現世において)法を聞き已(お)えて、諸々の障礙を離れたり。

わたしは既に(現世に於いて)ブッダの法を聞き已(おわ)ったのです。いまはもろもろのこの世の迷いを離れています。仏道修行の道に就いたおかげで、わたしは楽しく過ごすことが出来ました。お導きに与ってこの世に於いても安らかでした。後の世でもきっとまたブッダの法を聞くことがあるはずです。(これは曲解であるから、読者諸氏はまた各自で宜しく解釈すべし)

そんなことがあるはずがない。わたしは仏道修行をした僧ではない。まったくの俗界の俗人である。諸々の難題を解決できたはずはない。障礙の真っ只中ではないか。その通りだ。だが、瞬間そう思ったのだ。いまの瞬間をそのように受け止めてみたのだ。真似事をしてみたのだ。そして聞いた者の気分を味わって爽やかになってみたのだ。

「ええ、ほんとうでしたよ」「ブッダの指し示された通りでしたよ」「現世安穏をこの身で味わってみましたよ」 そんなふうにこの朝、五月の薫風が渡る中でふっと口にしてみたのでした。

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新しく洗濯されたシャツのような朝に手を通す

2016年05月22日 06時26分09秒 | Weblog

新しい朝が来ている。着古してなんかいなかったけど、新しく洗濯されたシャツのような朝に手を通す。ぴったり来る。アイロンが効いたようにぴんと張っている。干された後の光が鼻に匂って来る。もしかしたら、ほんとうに洗濯をしてもらったのかもしれない。さぶろうを驚かせてあげよう、よろこばせてあげようという一心が見えて来る。そうだったのだ、一晩ご苦労をなさっておられたのだ。それほどまでのお気遣いにはっとする。「お気遣いなく、もう十分驚き、十分に喜んでいますから」と僕の現在状況を説明しておかなくちゃならないのかもしれない。爽やかな朝が来ている。風はない。曙光が東から映写機を回している。見せられた僕はそれを意識して見ている。映写機が映し出してくる新しい今日の風景を見ている。風景たちはみなしっとりしている。空も山も木々も隠元豆の列もみなしっとりしている。

 

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