<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

言葉を借りてこられたらこうはいかなかっただろう

2016年05月04日 11時31分27秒 | Weblog

風が強い。畑のジャガ芋が薙ぎ倒されている。平伏させられている。茎が撓っているから折れたりはしない。しなやかでみずみずしい。風が威張ってみせる。その分だけ平伏して耐えている。偉いなあと思う。風も威張ることが出来るが、ジャガ芋は風を威張らせていることができる。風が過ぎ去ると何もなかったかのように平穏にしている。その立ち直りの速さにも敬服する。

万物はこうして常に穏やかだ。これが一々言葉を借りてきて叫びだしたら大騒ぎになっているだろうが、そうはならない。草も木も平穏にしていられる。言葉が借りてこられたらこうはいかなかっただろうが、借り受けができなかったのである。黙っているしかなかったのである。黙っていてもしかし成長が出来るのだ。地上に花もつけるのだ。地下には実も太らせるのだ。

 

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そろそろ泰山朴が大輪を咲かせて来る

2016年05月04日 11時09分45秒 | Weblog

そろそろ泰山朴が花を着けるころだ。真っ白な大輪が大木のこんもりとした葉ずれに咲き誇って匂い立つ。ほんとに誇らしげだ。匂いを嗅ぎに行く。これに包まれる。するとこの木の下に立っている者までが上品な気品を匂わせて来るように思われてくる。しかしこの木はなかなか見付からない。見つけたときの驚きはだから絶大だ。天界に昇ってきたようにも思われて来る。見たい。

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疑似体験でいいではないか

2016年05月04日 09時19分27秒 | Weblog

小説家は嘘を書く。嘘が書ける職業である。読者はこれをことごとく真実として受け取ってくれる。同調して泣き笑いをする。嘘だと分かっているはずだが同調が出来る。主人公になりすましてみたいのかも知れない。嘘の人生も歩いてみたいのだろう。

たとえばの話だが、もてもしないような超ブスの男性が超一流の恋愛小説を書いて、その場でもてる男に変身をする。変身願望がこれで満たされる。映画になる。二枚目俳優がいい男を演じてくれる。美女が錦鯉のように手の鳴る方へ寄って来る。たちまち美女に囲まれる。現実ではあり得ないことが、現出するのである。醜男は二枚目とぴったり合致してくる。嘘つきは、だから、止められない。

プロの小説家にはなれないとしても、そこそこの素人だっていいじゃないか。この醍醐味が味わえるのなら。たとえばの話でいいのである。これでけっこう幸福体験が出来るのである。お望みなら不幸体験もできるのである。

たとえばの話がいきなり真実味を帯びて来る。すると書いた当人はおろか、読者でさえも欺されてしまうのである。そして欺されることが双方愉快でならないのである。疑似体験ができるのだ。なりすましてしまうのだ。王子様や王女様になりすます。

人はそもそも多重人格者だから幾つかの人生ならまあまあそこそこ体験できるが、小説は一挙にこの人生の種類を豊富に倍加させてくれる。一度しか生きないのに、百度を生きたことにもなる。これは面白い。面白さに嵌まれば止められなくなるだろう。

小説家は次々に新しい小説を書いて行く。読者それを待って、仮想状況に嵌まってみる。偽物小説家だっていいのである。嘘つきが専門の小説家の偽物、これだって十分堪能できるのである。読者がつかないだけの小説家を自称してもいいのである。

人は夢を見る。夢はこの願望の実体である。ただし夢をコントロールできるというのは特殊技術なのだが。それができる人もいるらしい。僕はこの頃よく夢の空を飛んでいる。飛んで飛んであの世まで飛んで行ってみたいのだが。

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山笑う

2016年05月04日 08時49分33秒 | Weblog

朝刊を読んでいたら読者の投稿ページにこうあった。「山笑う」のが春の山、「山滴る」のが夏の山、「山装う」のが秋の山、「山眠る」のが冬の山。だと。

いまは蓋し山笑う春。春の山は人間に喩えるなら、青少年期。成長期だ。ぐんぐん伸び上がってくる頃だ。若葉が風に揺すられるだけでも嬉し笑い嬉し泣きをしたくてならないかもしれない。

今日はあまつさえ五月晴れ。薫風も吹き渡る。空の色がいい。何処かへ行きたくなる。何処へ行こうか。山笑う山がいいだろう。山の笑いに誘われたら難しい顔でもついつい破顔したくなるであろう。

笑い病というのがある。これにかかるとずっと笑っていたくなる。くすくすくすくす。とにかく笑いが込み上げてくる。風邪菌みたいに笑い菌というべき菌があるのだろうか。菌がすべからく悪役とは限らない。この種の菌なら歓迎である。

サイクリングをしていると鯉幟がはためいているのに出会う。明日は5月五日。武者節句だ。尚武と響きが一致する菖蒲の花も咲き出してくる。いい季節を迎えている。山だけではなく万物がうふふうふふをしている好時節である。

万物に倣っていよう。うふふうふふをしていよう。内なる中心からうふふうふふが込み上げてきたら、外なる中心もそうなるだろう。ふたつの笑い渦が重なったらそこにどんなエネルギーが生み出されるだろう。山笑い空笑い、風笑い光笑うそれらの集積の轟音が聞こえて来そうだ。

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