<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

蜜柑の花の甘い匂い

2016年05月01日 20時34分51秒 | Weblog

夕方5時過ぎからサイクリングに出掛けた。往復12km。途中、柑橘類の花が匂った。強く烈しく匂った。大好きな匂いである。見下ろすと確かに白い花の盛りだった。刺激に耐えられそうにないほどだった。

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2016年05月01日 13時46分01秒 | Weblog

野島志貴氏に女性への愛情がないわけではない。でも彼はそれを行動には移さない。指一本も動かさない。髪にすら触れない。だから、女性は彼が自分に対して愛情を持っているかどうかが分からない。彼は湖であろうとしている。深い山の中の静かな湖であろうとしている。そういう美学を持っている。愛情もそんな湖であった方が美しいと思っている。この美学者は、だから、女性の美しい肉体が人間の愛情を雄弁に語り得るものだということをも否定している。静寂の湖であればそこに美を見いだせると思い続けている。

珠子はそうではない。そこにズレがある。そんなものは美とは呼べないと思っている。静かな風景が美ではなく人間の愛情の実践が美であると思っている。互が男女として関わり合っていくことが美でなければならないと思っている。美そのものにはあたたかみがない。人間を拒否した風景にはあたたかみがない。温かみが出るのは人間の愛情の実践が暮らしの中で燃え上がったときだと思っている。男と女が列んで座っていても、互いが異性ではなくなっているのだから、若い珠子は石のように冷たくなっていた。

エッセー集を読んだ。「男たちよ 女たちよ」という題の。そこにいろんな男女の関わり合いが述べられていた。男女であり得ている例もあったが、そうでない例もあった。悲劇の男性がいて、悲劇の女性が登場して来た。男女であり得ていない男女のことが気になって仕方がなかった。ここに登場させた野島志貴氏の場合もそうではなかろうかと思った。

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なにしろ誘いに弱い

2016年05月01日 10時23分20秒 | Weblog

さ。遊ぼう、外へ出て。日射しが明るく誘いを掛けてくる。女性に誘われた事例、女性を誘った事例に乏しい男は、なにしろ「誘い」なるものに弱い。すぐに乗る。見境がない。なんでもいい。のべつ幕なく。

外に出ていってそれから考えよう、誰の誘いであったかは。何の誘いであったかも。外へ出れば遊べる。それが分かっていたらそれで十分だ。平莢隠元豆の種も黒豆大豆の種もある。春蒔きチンゲンサイの種も買ってきてある。

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それをモーターにして出力させることもできる

2016年05月01日 10時05分53秒 | Weblog

足たたば不尽の高嶺のいただきをいかづちなして踏み鳴らさましを    正岡子規

結核性カリエスで腰痛を引き起こしている子規は3年寝たきりになっている。足が立たない。「もし立ったならば」というのが彼に詩を書かせている。そして威勢のいい作品が出来上がっている。「いかづち」は雷。「足が立つ」が条件句。「雷が鳴るように威風堂々と富士山の山巓を踏み歩くことができる」というのが帰結節である。

条件と帰結が1対1の重さであってもいいではないか。2分の1対1であってもいいのではないか。5文字対26文字だから、文字の上ではたしかに5分の1対1という割合になっている。帰結節だけを独立させてしまってもいいではないか。植物は枝を曲げて土に埋めておくとそこから新しい生命が誕生する。

それをそうとして寝かせつけていてもいいのである。足が立たないことを気に病んで落ち込んでいたってよかったのである。それをそうはせずに彼は刺激剤として用いている。もっというならそれをモーターにして出力させている。そこに別天地が派生している。立派ではないか。

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今年ばかりの春行かんとす

2016年05月01日 07時12分45秒 | Weblog

いちはつの花咲き出でて我目には今年ばかりの春行かんとす   正岡子規

明治34年の作。「竹の里」所収。カリエスを患っている作者は自分の病の重さを知っている。もう長くはないと言うことを直感している。いちはつは春の一番最後に咲くアヤメ科の植物。アヤメや花菖蒲と似ているが、それらよりも花が大きい。葉はジャーマンアイリスほどに幅広い。水辺を好む。春も行ってしまった。二度ともう花々の咲き誇る春には出会わないだろう。我が目に収めてこれでおしまいにする。おしまいを告げるものがこんなに美しかったとは。1667年慶応3年四国松山市に正岡家の長男として誕生。4歳の時に妹律が生まれた。6歳のときに父が亡くなった。22歳で喀血。以後病が続いた。34才で没した。忌日9月19日は糸瓜忌。

誰の目にも「我が目には今年ばかりの春」なのである。おわりは突如として来る。じわりじわりと来ることもある。これは突如よりもずっと残酷だ。ちびりちびり生爪を剥がすようだ。坂が下って行ってしまうまでこの痛みにずっと耐えていなければならない。子規も22歳の喀血より長く闘病生活を強いられた。それであれだけの旺盛な文学活動をしたのだ。詩も俳句も短歌も小説もものした。32才のときに書いた「歌よみに与ふる書」で短歌の革新運動を推進した。病というブレーキがかかっている割にはパワフルであった。

・ 糸瓜咲いて痰のつまりし仏かな

・ をとといの糸瓜の水も取らざりき

・ 痰一斗糸瓜の水も間にあわず

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「あのね」「なあに」

2016年05月01日 06時48分30秒 | Weblog

「ね」「なあに」「あのね」「なあに」そういう会話ができるといいね。で、結局幼児はなんにもない。こどもとお母さんがそうしている。お母さんがベビーカーを押して通りかかる。赤ちゃんは眠っている。上の子は歩いている。よちよちだから歩みはのろい。お母さんがそののろのろに付き合ってあげている。そしてお母さんを見上げてこの会話が続く。「ね」「ね、ったらお母さん」「なあに」「あのね」「なあに」。僕はこれを聞いている。草取りをして下を向いているふりをしてふたりの遣り取りを聞いている。この日は最後に要求が出た。「抱っこしてほしいの」お母さんがこれを聞き入れて抱き上げた。こどもはもう「ね」も「あのね」も言わなくなった。夕焼けがしていた。明日もいい天気になるだろう。三人はまたここを通るだろう。夕食の準備がすんで、それから、帰ってくるお父さんを待ちきれずに途中まで迎えに行くところなのかもしれない。あの子はお父さんっ子で会ったらすぐに抱き上げてもらえるのかもしれない。

お爺さんにはこれがない。「ね」「なあに」「あのね」「なあに」の会話が成立しない。お爺さんにだって甘えるものが欲しい。でも甘えるものがない。仕方がないので、お爺さんは神さまにそれを頼んだ。相手を頼んだ。こころの中で小さなこどもになって抱っこをねだった。でもその抱っこはいますぐではない。白い灰になったときのことだ。それまで我慢ができないわけじゃない。聞き分けはいい方だ。お爺さんは草の上にどっかと座ってしばらく夕焼け空を眺めて過ごした。赤い雲もやがて見えなくなった。

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愛情交換

2016年05月01日 06時15分47秒 | Weblog

日が暮れてしまうまでこの男を夢中にさせるものがある。この男は幸せだ。この男の住んでいる屋敷の垣根には、今ぞろりと鹿の子ユリが成長を遂げている。すっかりもう若者だ。堂々と構えている。ところがこの垣根は道路と接している。(道路脇を流れる小川には蓋がしてある。これで道路が広がっている。この上まで覆い被さるほどにユリたちは成長している) 

行き交う中学生高校生たちの自転車の邪魔になってはいけない。それでユリたちに一本一本紐を結んでこれを南天の茎に結び付けるのだ。こうすると横伸びが縦伸びになる。そうすると花の花粉が制服を汚さない。鹿の子ユリの花粉は服を汚してしまうのだ。花どきのユリの群落は見事だ。行き交う人々が眺めて通る。あんまり魅惑すると、ときには花泥棒に根株ごと掘り上げられることもある。花の時期は6月、7月。その後は葉が枯れて凋落する。それまでの愛情交換作業だ。

美しいものを見せてくれるものにはそれ相応の敬意を払う。この男の庭はユリ屋敷。ユリ園。紅鹿子(これが全体の半分)、白鹿子(希少)、黄鹿子(目立ちたがらない)、テッポウユリ、透かし百合、鬼百合、カサブランカ種が美を競う。多くの人の目を楽しませてくれるはずである。

いまこの男の屋敷を荘厳してくれているのはミヤコワスレの花たちである。白は草丈が高い。紫はそれほどでもない。ミヤコワスレは半日陰を好む。木の下影、軒下影にはぞろりぞろりと群落がある。花は上品だ。清楚だ。欲しい人には株分けをして差し上げている。あんまり褒めてもらうと鉢ごと差し上げることもある。鉢は玄関を美しく飾ってくれるだろう。

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楽しいときにいるのなら楽しんでいたい

2016年05月01日 05時24分15秒 | Weblog

5時起床。このごろベートーヴェンに首ったけ。起きて寝るまで53曲メドレーを聴いている。パソコンの前に座っているときには。いま厳かな「エグモント序曲」に再会しているところ。席を離れるときには一時停止をしてスリープさせておく。戻って来たら目覚めさせる。こうして夜寝るまで。こんなにベートーヴェンが好きだったとは意外。しかし、では、音楽なるものがこの男に理解されているかというとそれはノーと答えざるを得ない。この男は音符すら読めない。なあんにも分かっちゃいない。ただの<うっとり症候群>というだけ。闇夜の雲を見ているようなもの。アフェクテイション。音楽ペテン師。まあいいじゃないか、それで。勝手気ままに楽しんでいればいいのだから。

障子を開けて朝風を入れる。風はない。夜が明けたばかりだから、庭の草木はまだおっとりしている。活動休眠を解かないでいる。声を掛けても、だから、反応してこない。雀は早起きだ。もうお喋りが始まっている。「タノシイ・タノシイ・楽しい一日の始まり」「楽しいときには楽しんでいたいね」「いまはその楽しいとき」「いまがそのとき・アアタノシイ・タノシイ」ばっかり。いつなんどき何が起こるかは分からない。いつなんどき終わりが来てもいいようにしておかねばならない。

 

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