小田原周辺のマイナースポットや些細な出来事を少しずつ
小田原の端々



小田原競輪場や相洋高校の前の坂道を道なりに上っていくと水之尾地区にたどり着く。山間に民家が点在しているのどかな水之尾地区には、天正年間(1573年~1592年)の小田原北条時代に建立された毘沙門天があり、昔は正月祭の際に多くの参拝者で賑わっていたそうである。また、水之尾一帯は昔、大久保藩の直轄地で威張山と呼ばれ狩などによって藩士が武を練った所といわれている。そして江戸の後期になると水田の開発も行われるようになり、その際に溜池も作られた。小田原市水之尾。水之尾から足柄幹線林道に抜ける道沿いに上水之尾用水溜池がある。この上水之尾用水溜池は、享和年間(1810年~1814年)に大久保藩の藩費によって作られたと伝えられている。もともとこの周辺はうなぎ沢の二股窪という場所で、ここに溜池を作り上水之尾地区まで用水を引いたことで二ヘクタールあまりの水田を開くことが出来たようである。この上水之尾用水溜池の水は濁っていることが多いが、晴天時には太陽光や周辺の木々の映り込みなどで翡翠色に見える時がある。享和年間に作られたと伝わる上水之尾用水溜池は平成元年、小田原市によって修復され池の周辺が整備された。桟橋のような遊歩道も設置されている。この写真を撮った日は、濁りも少なく晴天で池の水が翡翠色に見えて綺麗だった。曇天や雨上がりの濁りの多いときはあまり綺麗ではない。上水之尾用水溜池はそれほど水深のある池ではないようである。池の真ん中を亀が泳いでいた。池の反対側からも撮影。この写真の右側のうなぎ沢から沢水が流れ込んでいる。昔は農業用水として利用されていたが、現在は、辻村植物公園に分水して公園内の池や流れにも利用されている。この溜池周辺は湿気が多いためか、キノコも多く生えていた。家に帰り写真に撮ったキノコの名前を調べてみたがなかなか難しい。アケボノタケかアカヤマタケかもしれないがはっきりとはしない。また水辺の風景とキノコの写真を撮りに出かけよう。

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