小田原周辺のマイナースポットや些細な出来事を少しずつ
小田原の端々



小田原市久野から府川周辺の諏訪の原地区では現在、おだわら諏訪の原公園の建設が進行している。おだわら諏訪の原公園は足柄平野を見渡す丘陵地に多目的広場やローラーすべり台などが整備されており、休日ともなると多くの来園者で賑わっている。その公園内の遊歩道沿いに明治時代に置かれた標石が残っている。小田原市久野のおだわら諏訪の原公園。神奈川県立都市公園として平成18年に開園した。計画面積約65ヘクタール中、現在は約7.7ヘクタールの区域が開園している。新しく整備されている公園内には明治時代の頃より当地に祀られている府川諏訪神社もある。その神社前を通り、昨年オープンしたローラー滑り台方面に向かう。ローラー滑り台に向かう坂道の途中に小さな作業小屋が建っている。作業小屋には丸木をくりぬいた看板が取り付けられている。「地理寮測点」「←このうら」の表記。作業小屋の裏手は小さな畑になっており、小屋裏には農作業用のポリ容器と四角い石が置かれている。その四角い石を良く見てみると文字が刻まれていた。この石は外国人遊歩規程測量標石で明治時代にこの場所に置かれたもの。明治初期の頃は外国人は日本国内を自由に移動することを制限されており、基本的に居留地から10里までの範囲で許されていた。その当時、横浜に居留していた外国人に日本側が説明した10里の範囲の西側は酒匂川付近だったが、外国人側は箱根方面にも移動の範囲を求めたため、厳密に10里の距離を測量することになり、明治9年2月~明治10年2月までの間に測量が行われ測点にこの標石が設置されたとのこと。測量を行ったのは国土地理院の前身の内務省地理寮。測量は神奈川県庁の国旗旗竿を起点として三角測量で行われた。その測点は横浜から小田原まで2~3キロ毎に設置されており当時設置した標石は約60点。この地の標石には第56号と記されている。小田原市内にはこの諏訪の原公園の標石を含め10ヶ所ほどに設置された。当時設置された標石は都市開発などにより行方が分からなくなったものが半分以上とのことだが、この小田原周辺に設置したものは当時のままの姿でいくつか残っている。本来、外国人遊歩規程測量標石は標石と蓋石がセットで設置されていなければならないものだが、この諏訪の原公園の標石には蓋石が見あたらなかった。他のものも見てみたくなり標石探しの散策が昨年から始まった。今年の2月には毎週のように曽我の山中を標石を求め彷徨ったが、残念ながら未だに見つからない。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )