左が、「さよなら エルマおばあさん」写真・文 大塚敦子
右は、ファイナル・ファンタジーⅩⅡ 私はやりませんよ~。
夫がやるんです。ほんとです。
だって、RPGってめんどくさそうです。
時々手にとってみたくなる本が何冊かある。
そのなかで、一番読んでいるのがこの本だと思う。
4~5年ほど前に共同購入かなにかでなにげなく買った本の1冊で、たぶんねこが出てくるという理由で買ったように思う。
病気になる前も、病気になってからも、たびたび開いていた。
今日も読んだ。
いつも思う。エルマおばあさんのように生きていけるだろうかと。
エルマおばあさんは、85才で多発性骨髄腫で亡くなる。
きっとエルマおばあさんは若い頃からすてきな人だったのだろう。けれど、亡くなるまでのこの1年がまたすばらしく輝いているのだ。
「わたしの命は、あと1年くらいだろうから、いろいろ準備をはじめないとね・・・」
そして、徐々に体は弱っていくが、残された時間もこれまでと変わらなく生活を楽しみ、リビングウイルに署名をし、これまでのことやお別れの手紙を書き、周囲の人々とお別れをし、穏やかに亡くなっていく。
読むたび、告知の問題、リビングウイルの問題、ホスピスの問題(特に、まだ日本では少ない在宅ホスピス)、葬儀について、支える家族の問題、人としての生き方などさまざまなことが私の頭をよぎる。日本ではリビングウイルやホスピスの問題、生死観の問題など難しいところは多々あるであろう。
けれど、○○らしいという言葉は難しいなあと常日頃思うが、あえて使うと、自分らしく最後まで生きたエルマおばあさんはすてきだと思うし、自分も最後はそのように迎えたい。
もちろん、まだまだ生きていきたい。生きることはあきらめないつもりでいる。
けれど、その一方で死もどこかで意識している。そして、その死は私にとってはただの恐怖ではないのは、エルマおばあさんと亡くなった私の祖母のおかげと思っている。その祖母の話については、またいつか。
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