術後、2週間で退院。
1週間は、自宅でのんびり過ごし、その後、職場に復帰した。
某大学の病理の結果はなかなか来ないので、退院後、結果が悪ければ、電話で連絡が来ることになっていた。腫瘍は取りきれた。しかし、副腎皮質がんは非常に予後が悪く、転移をしていないステージⅠ、Ⅱであっても5年生存率が30~50%と言われているため、抗がん剤治療をして、腫瘍はなくても細胞レベルで残っているがんをたたいてしまおうというのである。「この予防的(補助的)抗がん剤治療に意味はあるのか?抗がん剤治療自体効くかどうかもわからないし、しかも、つらい治療だというのに・・・」という思いはあった。けれど、5年生存率が30~50%というのは私にとって切実に感じられた。
しかし、この時、がんの可能性は結構あると思おうとしていたけど、「そんなわけない」という気持ちが今思うと強かったのだろう。だから、復帰してしまったのだ。
復帰して数日後、電話は来てしまった。
「がんだったから、すぐに入院して欲しい。すぐに抗がん剤治療を始めたい。3週間は入院してほしい。」という内容だった。「せっかく復帰したのに・・・。」ついつい主治医に愚痴ってしまった。でも、治療するしかない。次週より入院することとなる。
すぐに、職場や家族に連絡。そして、私の復職への意欲はぷちんと切れてしまった。抗がん剤治療を始めるための入院は、前は1週間と言っていたのに3週間に変わった、そして、やはり「つらい治療になるかもしれないけど」の言葉。退院後もずっと続けていくのだし、退院してもすぐに仕事ができる状態かわからない。退院しても週に1回は通院だという。それなら、これ以上職場に迷惑をかけないように、そして、自分も治療に専念できるように、正式に休職しようと決心した。
職場の上司はとても理解があり、すぐに手続きをしてくれ、温かい言葉をかけてくださった。本当にありがたかった。また、職場の同僚も、それぞれに思いはあったかもしれないが、温かい言葉をかけてくれた。職場の理解があったこと、これは私にとって本当にありがたく、感謝の一言である。なんとか生きて復帰をしなければという気持ちであった。
そして、家族はやはりショックを受けていたようだが、こればっかりはしょうがない。泣いても笑っても、がんであることには変わらない。特に、夫と両親には申し訳ないが、みんなで病気を受け入れてもらうよりしょうがないのである。抗がん剤治療は厳しいものになることが予想されるので、お見舞いは夫だけ来てもらうようお願いした。両親には、弱っている姿を見せたくなかった。
入院まで数日しかなかった。せっせと入院の準備をする傍ら、またネットで情報収集。体験談はあまりなかったけれど、癌掲示板や文献などによると副作用がきつくて、中断したり中止をしたりする人が多いのは確かなようだ。また、薬自体を調べると、多種多様な副作用の可能性がある。そのなかには、世間一般に抗がん剤というとイメージする脱毛もあった。なので、バックのなかには、春山などで使う薄手のニット帽も入れておくことにした。
また、地元の最初に行った病院にも行った。治療について相談にも乗ってほしかったし、病院を紹介してくれたことのお礼もいいたかった。
医師は以前と変わらず親切に対応してくれた。実は、今の主治医とは先輩後輩の間柄で、数日前の学会で会って、がんであることはもう知っていた。
まずは、自分もがんとは思っていなくてびっくりしたということだった。そして、とても珍しい病気だが、自分なら、まずは症例を探して(国内では見つからないかもしれない、外国などの英語の論文を探さなければならないかもしれないが、それでも数は多くはないだろうとのこと)その症例を参考に治療をしていくだろうと話された。
さらに、主治医はとても医師としての技量も高いし、他にも医師がおりみんなで相談しながら治療をすすめられるだろうということ、再発してから治療をしてもなかなか効果は上がらないので予防的治療には意味があると思うこと、若いのだから治療をして長生きして欲しいことなど話してくれた。何かあったらいつでもこちらの病院に相談においでとも話していただき、とても心強く感じた。
不安はぬぐえないけど、やるしかないという思いは強くなってきた。