みみこのneko的生活

スノーボードとねことともに・・・がんと向き合って生きる

元気です

2022-10-22 22:21:31 | 副腎皮質がんだった!

久しぶりの投稿です。

おかげさまで元気にしています。

コロナ後は副腎皮質がんの定期検査・診察は1年ごとになっており、数値は安定しています。

今年は人間ドックと脳ドックも受けましたが、再検査となるようなものはありませんでした。

年々あちこち老化は気になるところではありますが、元気に仕事もしています。

スノーボードも続けているし、ねこも元気です。

病気のことを忘れている時間の方が多くなっていますが、『死』を意識することは多くあります。

治療中のときも強く思いましたが、今は年を重ね、いつどうなるかわからないからこそ、今を大事に楽しく暮らしていきたいなあとやっぱり思う今日この頃です。

北海道の四季は、やっぱり美しい。ねこは、いつもかわいい❤ もうすぐ冬です。


稀な病気の悩み

2006-03-27 18:30:23 | 副腎皮質がんだった!

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今日、みーみーがどっかに行ったんだけど、またもおらは置いてけぼりさ。

だから、みーみーが帰ってきてから、ずっとここに入ってたんだ。

おらも、これに入って、どっか行きたかったな~。でも、病院ならやだけどね。(にゃんた)

私の病気(副腎皮質がん)は、100万人に1人くらいかかると言われています。日本だと、100人強でしょうか?けれど、そのような稀な病気というのはがんのみならず結構あるのではないかと思います。

稀な病気だと、症例も少ないため治療法が確立していないことが多いです。さらに、治療法はあっても、選択肢が少ないことが多いです。

私の場合、まずは、手術、それが無理ならミトタンの服用、放射線治療もする場合があるようですがあまり効きがよくないようです。

薬もミトタン以外だと実験的なものになってしまう上に、保険適用にならず医療費が高くなるでしょう。(保険適用になってもミトタンは高い薬ですが・・・)

なかなか厳しい現実です。再発したら、どんな治療、どんな方向に向かっていくのかなあと思うことがあります。

そんな現実のなかで、悩みながら生き続けようと努力している人たちは日本中に結構いるのではないかと思います。

再発の恐怖はあるものの、術後の痛みも抗がん剤の苦しみも今のところ少なく元気に過ごしていることを考えると、私などまだまだ序の口でしょう。

多くの人がかかる病気に力を注ぐのはよくわかります。でも、稀な病気にも時には目を向けて欲しいし、稀な病気ではなくとも悩んでいる人の多い保険適用外や混合診療の問題もなんとか解決していってほしい、そう願っています。お金のあるなしで命のありようが変わってしまうなんてことは、とても悲しいことです。

そして、そのための活動をしている人たちを応援したり、自分のできる範囲で関わっていきたい、それがこれからの私の課題です。


病理報告書

2006-03-16 19:48:45 | 副腎皮質がんだった!

「癌掲示板」で知り合った友人から、病理報告書を見せてもらったら?とのアドバイスをもらい、病理報告書を12月見せてもらい、さらに、2部あるからと言って、1部もらった。

英語、しかも、専門用語の英語のため、よくわからないが、がんであることは間違いないようだ。

それによると、私の病気はかなり省略するが以下のような状況らしい。

腫瘍は繊維性の被膜を有し、境界は鮮明な病理組織所見を呈している。

Weissのcriteria of adrenocortical malignancyに照合させると、9項目中4項目が陽性であり、adrnocortical carcinomaの所見と考えられる。

ki67の免疫染色では、labeling indexが3ー4%である。

以上より、少なくともhigh gradeの可能性は低いと思われるが、mitotaneの予防投与、adosterolシンチを用いたfollowが望まれる。

副腎皮質ホルモン合成酵素を免疫組織化学的に検討したところ、DHEA-STの腫瘍細胞での発現が著名に見られており、これも副腎皮質癌と一致する所見である。

さらに、c17の発現が著名に見られるなどandrogen産出と一致する所見に加え、副腎皮質癌特有のdisorganized steroidogenesisのパターンも見られまして、副腎皮質癌に一致する所見となっている。


2005.10 がん告知

2006-03-14 22:00:35 | 副腎皮質がんだった!

術後、2週間で退院。

1週間は、自宅でのんびり過ごし、その後、職場に復帰した。

某大学の病理の結果はなかなか来ないので、退院後、結果が悪ければ、電話で連絡が来ることになっていた。腫瘍は取りきれた。しかし、副腎皮質がんは非常に予後が悪く、転移をしていないステージⅠ、Ⅱであっても5年生存率が30~50%と言われているため、抗がん剤治療をして、腫瘍はなくても細胞レベルで残っているがんをたたいてしまおうというのである。「この予防的(補助的)抗がん剤治療に意味はあるのか?抗がん剤治療自体効くかどうかもわからないし、しかも、つらい治療だというのに・・・」という思いはあった。けれど、5年生存率が30~50%というのは私にとって切実に感じられた。

しかし、この時、がんの可能性は結構あると思おうとしていたけど、「そんなわけない」という気持ちが今思うと強かったのだろう。だから、復帰してしまったのだ。

復帰して数日後、電話は来てしまった。

「がんだったから、すぐに入院して欲しい。すぐに抗がん剤治療を始めたい。3週間は入院してほしい。」という内容だった。「せっかく復帰したのに・・・。」ついつい主治医に愚痴ってしまった。でも、治療するしかない。次週より入院することとなる。

すぐに、職場や家族に連絡。そして、私の復職への意欲はぷちんと切れてしまった。抗がん剤治療を始めるための入院は、前は1週間と言っていたのに3週間に変わった、そして、やはり「つらい治療になるかもしれないけど」の言葉。退院後もずっと続けていくのだし、退院してもすぐに仕事ができる状態かわからない。退院しても週に1回は通院だという。それなら、これ以上職場に迷惑をかけないように、そして、自分も治療に専念できるように、正式に休職しようと決心した。

職場の上司はとても理解があり、すぐに手続きをしてくれ、温かい言葉をかけてくださった。本当にありがたかった。また、職場の同僚も、それぞれに思いはあったかもしれないが、温かい言葉をかけてくれた。職場の理解があったこと、これは私にとって本当にありがたく、感謝の一言である。なんとか生きて復帰をしなければという気持ちであった。

そして、家族はやはりショックを受けていたようだが、こればっかりはしょうがない。泣いても笑っても、がんであることには変わらない。特に、夫と両親には申し訳ないが、みんなで病気を受け入れてもらうよりしょうがないのである。抗がん剤治療は厳しいものになることが予想されるので、お見舞いは夫だけ来てもらうようお願いした。両親には、弱っている姿を見せたくなかった。

入院まで数日しかなかった。せっせと入院の準備をする傍ら、またネットで情報収集。体験談はあまりなかったけれど、癌掲示板や文献などによると副作用がきつくて、中断したり中止をしたりする人が多いのは確かなようだ。また、薬自体を調べると、多種多様な副作用の可能性がある。そのなかには、世間一般に抗がん剤というとイメージする脱毛もあった。なので、バックのなかには、春山などで使う薄手のニット帽も入れておくことにした。

また、地元の最初に行った病院にも行った。治療について相談にも乗ってほしかったし、病院を紹介してくれたことのお礼もいいたかった。

医師は以前と変わらず親切に対応してくれた。実は、今の主治医とは先輩後輩の間柄で、数日前の学会で会って、がんであることはもう知っていた。

まずは、自分もがんとは思っていなくてびっくりしたということだった。そして、とても珍しい病気だが、自分なら、まずは症例を探して(国内では見つからないかもしれない、外国などの英語の論文を探さなければならないかもしれないが、それでも数は多くはないだろうとのこと)その症例を参考に治療をしていくだろうと話された。

さらに、主治医はとても医師としての技量も高いし、他にも医師がおりみんなで相談しながら治療をすすめられるだろうということ、再発してから治療をしてもなかなか効果は上がらないので予防的治療には意味があると思うこと、若いのだから治療をして長生きして欲しいことなど話してくれた。何かあったらいつでもこちらの病院に相談においでとも話していただき、とても心強く感じた。

不安はぬぐえないけど、やるしかないという思いは強くなってきた。