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一粒のタイル2

平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるからです。(マタイ5:9)

いまだ遠い平和への道のり(2023.3.9 祈り会)

2023-03-13 05:17:37 | 祈り会メッセージ
2023年3月9日祈り会説教
『いまだ遠い平和への道のり』
【イザヤ2:1~4、マタイ5:9】

イザヤ2:1 アモツの子イザヤが、ユダとエルサレムについて見たことば。
2 終わりの日に、の家の山は山々の頂に堅く立ち、もろもろの丘より高くそびえ立つ。そこにすべての国々が流れて来る。
3 多くの民族が来て言う。「さあ、の山、ヤコブの神の家に上ろう。主はご自分の道を私たちに教えてくださる。私たちはその道筋を進もう。」それは、シオンからみおしえが、エルサレムからのことばが出るからだ。
4 主は国々の間をさばき、多くの民族に判決を下す。彼らはその剣を鋤に、その槍を鎌に打ち直す。国は国に向かって剣を上げず、もう戦うことを学ばない。

 「静岡のクラーク先生」や「もう一人のクラーク先生」とも呼ばれる、エドワード・ウォーレン・クラーク先生のことを私は絶賛していますから、私がこのクラーク先生のことを全面的に肯定していると思っている方もいらっしゃるかもしれません。でも、それは誤解で、私は必ずしも全肯定はしていません。それは当然で、どんな人にも、それはちょっとどうなの?という点はありますよね。きょうは、そういう点を見たいと思います。ただし、私がクラーク先生について、首をかしげる点があるのは21世紀の現代の視点で見ているということもあると思います。クラーク先生は19世紀の後半から20世紀の初めまでを生きた人ですから、当時としては、それが当たり前だったということもあるでしょう。

 きょう注目したいのは、クラーク先生の平和への意識です。まずは周辺的なことから話を始めます。

 クラーク先生は幅広い分野の学問に通じていましたが、専門は化学でした。クラーク先生がいかに化学に通じていたかを示す、こんなエピソードがあります。下記は、クラーク先生が静岡学問所に着任してから4ヶ月ほど経った時期に、アメリカの知人宛てに書いた手紙の一部です。

数週間前、黒っぽい液体が私の許に送られて来て、彼らの地方[静岡県中部の相良]のある土地の水がこの液体で覆われていて、その正体は何なのか知りたいとのことだった。少し分析しただけで、私はこれがかなりの割合で良質の石油からなることが分かった 。その一部にいわゆる「分別蒸留」のプロセスを施したところ、それぞれ特別の性質を持った四つ別々の物質を得ることができた。これらの液体を私は注意深く試験管に入れ、その地方に送り返したのだが、そこには神秘的に見える化学式を書いておいたので、きっと彼らにはエジプトのヒエログリフ[古代エジプトの象形文字]のように映ったことだろう。(今野喜和人・訳)

 クラーク先生は当時23歳で、その若さでこれだけのことができたのは、今の目で見るとすごい事だと思います。

 この手紙でクラーク先生は黒っぽい液体を分析したと書いています。実は静岡学問所はクラーク先生のために立派な実験室を作りました。そこで分析を行ったのでしょう。そして、『Katz Awa』には、クラーク先生が火薬を使った実験を行っていたことが書かれています(恐らく学生たちの前で実験して見せたのだと思います)。引用します。

この実験室私は下条[クラークの通訳]と(予備的な爆発物の)綿火薬、ニトログリセリン、ダイナマイト、水銀雷管、アームストロング砲の信管を作った。これらはすべて改良されて実戦で使用されたと聞く。もし、これらが実験室で我々が見たような威力を実戦でも発揮していたなら、ロシア人が残っているだろうか!

 この『Katz Awa』は日露戦争中の1904年に書かれたもので、クラーク先生は30年前の若い時に自分が化学の実験室で行った火薬の実験を回想して、このように書いています。火薬は少量でもすごい威力の爆発力を見せたのでしょう。そして、クラーク先生は、この実験室で見せた威力を実戦の日露戦争でも発揮していたら、ロシア人は一人も生き残っていないだろう、と書いています。クラーク先生は日本軍の勝利を願い、このような書き方をしたのだと思いますが、日本の勝利を願いすぎる余り、つい筆が滑った感もあります。

 この文章が、クラーク先生が20代の頃の文章であれば、分からないでもありません。でも、これはクラーク先生が55歳の時の文章です。50代のクラーク先生の中にまだまだ好戦的な気持ちがたっぷりとあることに少々驚きます。クラーク先生は勝海舟が江戸城無血開城のために尽力したことを絶賛しています。ですから、全体的な基調としてはクラーク先生は平和を愛している人だということが分かります。しかし、同時に日本軍がいくつかの戦いでロシア軍を打ち負かすほどの戦果を挙げていることを高く評価しています。そして、日本が日清戦争と日露戦争の頃にはかなり強力な軍事力を持つに至ったのは勝海舟がその基礎を築いたからだと書いています。クラーク先生は、勝海舟が江戸城無血開城のために尽力したことを高く評価していただけではなく、勝海舟が日本の軍隊、特に海軍の基礎を築いたことを高く評価しています。

 それは当時としては当然のことなのでしょう。アジアの多くの地域が西洋諸国によって植民地化されていった中で、日本は免れました。それは当時の日本が高い軍事力を持っていたからではなく、日本を狙っている西洋諸国がたくさんあって、互いににらみ合っていたからだという幸運もあったのだろうと思います。そういう危険な状況の中で、日本は外国に対抗できる軍事力を高めて行きました。そして、日清戦争と日露戦争の頃には日本の軍隊が外国と対等以上に戦える軍事力を持ったことをクラーク先生は、高く評価しています。

 きょう私が、この祈祷会で何を皆さんと分かち合いたいかというと、当時はそれが仕方のないことであったとしても、日本も世界もいつまで同じことを繰り返し続けるのだろうかということです。そして、こんな世界のことを神様はきっと悲しい目をして見ておられるだろうということです。

 クラーク先生が『Katz Awa』を書いた1904年の10年後の1914年に第一次世界大戦が始まって1918年まで続きました。そして、このような悲劇が起こらないようにと国際連盟が1920年に発足します。しかし、その甲斐なく約20年後には第二次世界大戦が起きます。そして第二次世界大戦後に今度は国際連合が発足しましたが、戦争は絶えることがなく、国連の安保理事会はロシアとウクライナの戦争を止めることができずにいます。

 日本も1945年に全面降伏して軍事力をすべて放棄して、日本国憲法にもそれを明記しましたが、自衛隊という名の軍隊の軍事力を強化し続けています。特にこの10年は法律面でも予算面でも軍事力強化が加速しています。

 今回私は『Katz Awa』を読んで、人間は懲りずに同じことを延々と繰り返すのだなと、思いました。きょうの祈祷会の最初にイザヤ書2章をご一緒に読みました。これは『Katz Awa』には引用されていませんが、共にこの聖句を今一度味わいたいと思いましたから、開くことにしました。お読みします。

イザヤ2:1 アモツの子イザヤが、ユダとエルサレムについて見たことば。
2 終わりの日に、の家の山は山々の頂に堅く立ち、もろもろの丘より高くそびえ立つ。そこにすべての国々が流れて来る。
3 多くの民族が来て言う。「さあ、の山、ヤコブの神の家に上ろう。主はご自分の道を私たちに教えてくださる。私たちはその道筋を進もう。」それは、シオンからみおしえが、エルサレムからのことばが出るからだ。
4 主は国々の間をさばき、多くの民族に判決を下す。彼らはその剣を鋤に、その槍を鎌に打ち直す。国は国に向かって剣を上げず、もう戦うことを学ばない。

 イザヤは終わりの日には平和が訪れて、「国は国に向かって剣を上げず、もう戦うことを学ばない」と預言しました。このイザヤの預言はまだ北王国が滅ぶ前の預言で、概ね紀元前750年前後のことでしょう。それから2700年が経った現代でも、未だにこの平和な光景が訪れる気配は全くありません。神様は、この状況をどのように見ておられるでしょうか。きっと悲しんでおられることだろうと思います。

 イエス様は、

マタイ5:9 平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるからです。

 とおっしゃいました。私たちはイエス様を信じた者は神の子どもとされると教わっていますね。でも私たちはそのように「神の子ども」と呼ばれるにふさわしい平和をつくる働きがほとんどできていません。イエス様は棕櫚の聖日にエルサレムに入京する直前に、やがて滅びるエルサレムを見て泣きました(ルカ19:41)。

 なかなか平和をつくることができない人々を見て、イエス様は今も涙を流しておられるのではないかと思います。早く平和な日々が訪れますように祈りたいと思います。お祈りします。

イザヤ2:4 主は国々の間をさばき、多くの民族に判決を下す。彼らはその剣を鋤に、その槍を鎌に打ち直す。国は国に向かって剣を上げず、もう戦うことを学ばない。

マタイ5:9 平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるからです。
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