2022年9月15日祈り会メッセージ
『主への忠誠を示す契約のしるし』
【創世記22:1~14】
アブラハムが自分の息子のイサクを全焼のいけにえを献げるために屠ろうとした今日の記事は、非常に戸惑いを覚える箇所です。アブラハムがいかに神の命令に忠実に従う者だったかがよく分かる場面ではありますが、そこまで忠実であらねばならないのかと、とても戸惑いを覚えます。
アブラハムが聖書に初めて登場するのは創世記11章の後半です。アブラハムは父のテラと故郷のウルを出て、ハランの地にいました。そのハランで父のテラが死んだ時、主はアブラハムに仰せられました。12章1節と2節です。
この主の御声を聴いたアブラハムは故郷のウルとは反対方向に向かって出発しました。このアブラハムの信仰については、私たちは素直に見習いたいと思います。アブラハムのように主の御声に導かれて信仰の道を歩んで行く者でありたいと思わされます。しかし、22章のアブラハムを見習いたいと思うことは難しいことです。創世記22章のアブラハムについて新約聖書のヘブル人への手紙11章は次のように書いています。
このように、ヘブル書はアブラハムが「神には人を死者の中からよみがえらせることもできる」と考えたのでイサクを献げようとしたと書いています。ヘブル書が書いている通りなのかもしれませんが、ここにはイエス様の復活を経た後の新約の考え方が入っていますから、アブラハムが本当によみがえりのことまで考えていただろうか?という思いがしないでもありません。また、創世記22章にはアブラハムがこのことで悩み苦しんだことが何も書かれていないことにも、やはり戸惑いを覚えます。先週ご一緒に見た21章では、妻のサラがアブラハムにハガルとイシュマエルを「追い出してください」と言ったことに彼が非常に苦しんだことが書かれています。21章9節から11節です。
このように、21章のアブラハムは非常に苦しんでいます。でも22章のアブラハムについて、聖書は彼が苦しんだとは書いていません。これは、一体どういうことでしょうか?いろいろと戸惑いを覚えることが多いので、実は私はこれまで説教で創世記22章を取り上げたことはありませんでした。
では、なぜ今夜は22章を開くことにしたのかと言えば、先週21章を開いたことで、22章を理解するためのキーワードが与えられた気がするからです。それは「契約」というキーワードです。アブラハムは、主と結んだ「契約」のゆえに、主の命令に従順に従ったのではないでしょうか?手持ちの注解書を何冊か調べましたが、22章のアブラハムの従順さと「契約」を結び付けている注解はありませんでした。しかし、「契約」のゆえにアブラハムが主の命令に従ったと考えれば、アブラハムの行動はよく理解できるように思います。
ここで先週分かち合ったことをもう一度振り返りたいと思います。創世記21章14節から20節までをお読みします。
16節に、ハガルが声をあげて泣いたことが書かれています。しかし、17節には「神は少年の声を聞かれ」とあります。声をあげて泣いたのはハガルなのに神が聞いたのは少年の声であると聖書は書いています。また20節には、「神が少年とともにおられた」と書いてあります。神はハガルとも、もちろん共におられたはずです。でも聖書は「神が少年とともにおられた」と書いています。どうして聖書はこういう書き方をしているのか?それはハガルが主と契約を結んでいなかったからではないか、という話を先週しました。アブラハムとイシュマエル、そしてアブラハムの家のすべての男子は主との「契約」のしるしとして割礼を受けました。一方、女性であるハガルは割礼を受けていません。それは主と「契約」を結んでいないということであり、それゆえ聖書はハガルが声をあげて泣いた時に「神は少年の声を聞かれ」と書いたのではないか、先週はそのように話しました。
そして、今週の22章では、聖書が重視している「契約」の重みがアブラハムの主の命令への従順さの源になっているのではないかと示されています。割礼は体の一部を切り裂きますから、血が流れ、痛みを伴います。現代の契約書はハンコやサインで契約しますが、アブラハムたちは割礼を受けました。江戸時代の日本では大石内蔵助が率いる赤穂浪士が主君の浅野内匠頭の仇討ちをすると誓約した時に、血判を押したとされていますね。血判は刀の刃で指を切った血で母印を押します。割礼も血判も、重大な誓約においては血を流し痛みを感じることで一層強い決意が込められるという意味合いがあったと思います。そして新しい契約のしるしであるイエス様の血もまたそうであったことを覚えます。しかもイエス様の血の場合は単なる痛みではなくて、十字架での死の苦しみを伴うものでした。
赤穂浪士の血判は主君への忠誠を示す血でもありました。イエス様も天の父の御心に従順に従って十字架に付きましたから、イエス様の血は天の父への忠誠のしるしの血でもあったと言えるのではないでしょうか?それゆえアブラハムの場合も、契約のしるしの割礼の血は、主への忠誠のしるしの血であり、この忠誠心のゆえにアブラハムは主の命令に素直に従って息子のイサクを献げようとしたのではないでしょうか?
今回、このことを示されて、契約の重み、聖餐式の重みについて改めて考えさせられています。きょうは時間になりましたから、これで話を終えますが、この契約の重み、聖餐式の重みについては、引き続き考えて行きたいと思います。
きょうのメッセージは以上です。一言、お祈りいたします。
『主への忠誠を示す契約のしるし』
【創世記22:1~14】
創世記22:1 これらの出来事の後、神がアブラハムを試練にあわせられた。神が彼に「アブラハムよ」と呼びかけられると、彼は「はい、ここにおります」と答えた。
2 神は仰せられた。「あなたの子、あなたが愛しているひとり子イサクを連れて、モリヤの地に行きなさい。そして、わたしがあなたに告げる一つの山の上で、彼を全焼のささげ物として献げなさい。」
3 翌朝早く、アブラハムはろばに鞍をつけ、二人の若い者と一緒に息子イサクを連れて行った。アブラハムは全焼のささげ物のための薪を割った。こうして彼は、神がお告げになった場所へ向かって行った。
4 三日目に、アブラハムが目を上げると、遠くの方にその場所が見えた。
5 それで、アブラハムは若い者たちに、「おまえたちは、ろばと一緒に、ここに残っていなさい。私と息子はあそこに行き、礼拝をして、おまえたちのところに戻って来る」と言った。
6 アブラハムは全焼のささげ物のための薪を取り、それを息子イサクに背負わせ、火と刃物を手に取った。二人は一緒に進んで行った。
7 イサクは父アブラハムに話しかけて言った。「お父さん。」彼は「何だ。わが子よ」と答えた。イサクは尋ねた。「火と薪はありますが、全焼のささげ物にする羊は、どこにいるのですか。」
8 アブラハムは答えた。「わが子よ、神ご自身が、全焼のささげ物の羊を備えてくださるのだ。」こうして二人は一緒に進んで行った。
9 神がアブラハムにお告げになった場所に彼らが着いたとき、アブラハムは、そこに祭壇を築いて薪を並べた。そして息子イサクを縛り、彼を祭壇の上の薪の上に載せた。
10 アブラハムは手を伸ばして刃物を取り、息子を屠ろうとした。
11 そのとき、主の使いが天から彼に呼びかけられた。「アブラハム、アブラハム。」彼は答えた。「はい、ここにおります。」
12 御使いは言われた。「その子に手を下してはならない。その子に何もしてはならない。今わたしは、あなたが神を恐れていることがよく分かった。あなたは、自分の子、自分のひとり子さえ惜しむことがなかった。」
13 アブラハムが目を上げて見ると、見よ、一匹の雄羊が角を藪に引っかけていた。アブラハムは行って、その雄羊を取り、それを自分の息子の代わりに、全焼のささげ物として献げた。
14 アブラハムは、その場所の名をアドナイ・イルエと呼んだ。今日も、「主の山には備えがある」と言われている。
2 神は仰せられた。「あなたの子、あなたが愛しているひとり子イサクを連れて、モリヤの地に行きなさい。そして、わたしがあなたに告げる一つの山の上で、彼を全焼のささげ物として献げなさい。」
3 翌朝早く、アブラハムはろばに鞍をつけ、二人の若い者と一緒に息子イサクを連れて行った。アブラハムは全焼のささげ物のための薪を割った。こうして彼は、神がお告げになった場所へ向かって行った。
4 三日目に、アブラハムが目を上げると、遠くの方にその場所が見えた。
5 それで、アブラハムは若い者たちに、「おまえたちは、ろばと一緒に、ここに残っていなさい。私と息子はあそこに行き、礼拝をして、おまえたちのところに戻って来る」と言った。
6 アブラハムは全焼のささげ物のための薪を取り、それを息子イサクに背負わせ、火と刃物を手に取った。二人は一緒に進んで行った。
7 イサクは父アブラハムに話しかけて言った。「お父さん。」彼は「何だ。わが子よ」と答えた。イサクは尋ねた。「火と薪はありますが、全焼のささげ物にする羊は、どこにいるのですか。」
8 アブラハムは答えた。「わが子よ、神ご自身が、全焼のささげ物の羊を備えてくださるのだ。」こうして二人は一緒に進んで行った。
9 神がアブラハムにお告げになった場所に彼らが着いたとき、アブラハムは、そこに祭壇を築いて薪を並べた。そして息子イサクを縛り、彼を祭壇の上の薪の上に載せた。
10 アブラハムは手を伸ばして刃物を取り、息子を屠ろうとした。
11 そのとき、主の使いが天から彼に呼びかけられた。「アブラハム、アブラハム。」彼は答えた。「はい、ここにおります。」
12 御使いは言われた。「その子に手を下してはならない。その子に何もしてはならない。今わたしは、あなたが神を恐れていることがよく分かった。あなたは、自分の子、自分のひとり子さえ惜しむことがなかった。」
13 アブラハムが目を上げて見ると、見よ、一匹の雄羊が角を藪に引っかけていた。アブラハムは行って、その雄羊を取り、それを自分の息子の代わりに、全焼のささげ物として献げた。
14 アブラハムは、その場所の名をアドナイ・イルエと呼んだ。今日も、「主の山には備えがある」と言われている。
アブラハムが自分の息子のイサクを全焼のいけにえを献げるために屠ろうとした今日の記事は、非常に戸惑いを覚える箇所です。アブラハムがいかに神の命令に忠実に従う者だったかがよく分かる場面ではありますが、そこまで忠実であらねばならないのかと、とても戸惑いを覚えます。
アブラハムが聖書に初めて登場するのは創世記11章の後半です。アブラハムは父のテラと故郷のウルを出て、ハランの地にいました。そのハランで父のテラが死んだ時、主はアブラハムに仰せられました。12章1節と2節です。
創世記12:1 「あなたは、あなたの土地、あなたの親族、あなたの父の家を離れて、わたしが示す地へ行きなさい。
2 そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとする。あなたは祝福となりなさい。」
2 そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとする。あなたは祝福となりなさい。」
この主の御声を聴いたアブラハムは故郷のウルとは反対方向に向かって出発しました。このアブラハムの信仰については、私たちは素直に見習いたいと思います。アブラハムのように主の御声に導かれて信仰の道を歩んで行く者でありたいと思わされます。しかし、22章のアブラハムを見習いたいと思うことは難しいことです。創世記22章のアブラハムについて新約聖書のヘブル人への手紙11章は次のように書いています。
ヘブル11:17 信仰によって、アブラハムは試みを受けたときにイサクを献げました。約束を受けていた彼が、自分のただひとりの子を献げようとしたのです。
18 神はアブラハムに「イサクにあって、あなたの子孫が起こされる」と言われましたが、
19 彼は、神には人を死者の中からよみがえらせることもできると考えました。それで彼は、比喩的に言えば、イサクを死者の中から取り戻したのです。
18 神はアブラハムに「イサクにあって、あなたの子孫が起こされる」と言われましたが、
19 彼は、神には人を死者の中からよみがえらせることもできると考えました。それで彼は、比喩的に言えば、イサクを死者の中から取り戻したのです。
このように、ヘブル書はアブラハムが「神には人を死者の中からよみがえらせることもできる」と考えたのでイサクを献げようとしたと書いています。ヘブル書が書いている通りなのかもしれませんが、ここにはイエス様の復活を経た後の新約の考え方が入っていますから、アブラハムが本当によみがえりのことまで考えていただろうか?という思いがしないでもありません。また、創世記22章にはアブラハムがこのことで悩み苦しんだことが何も書かれていないことにも、やはり戸惑いを覚えます。先週ご一緒に見た21章では、妻のサラがアブラハムにハガルとイシュマエルを「追い出してください」と言ったことに彼が非常に苦しんだことが書かれています。21章9節から11節です。
創世記21:9 サラは、エジプトの女ハガルがアブラハムに産んだ子が、イサクをからかっているのを見た。
10 それで、アブラハムに言った。「この女奴隷とその子を追い出してください。この女奴隷の子は、私の子イサクとともに跡取りになるべきではないのですから。」
11 このことで、アブラハムは非常に苦しんだ。それが自分の子に関わることだったからである。
10 それで、アブラハムに言った。「この女奴隷とその子を追い出してください。この女奴隷の子は、私の子イサクとともに跡取りになるべきではないのですから。」
11 このことで、アブラハムは非常に苦しんだ。それが自分の子に関わることだったからである。
このように、21章のアブラハムは非常に苦しんでいます。でも22章のアブラハムについて、聖書は彼が苦しんだとは書いていません。これは、一体どういうことでしょうか?いろいろと戸惑いを覚えることが多いので、実は私はこれまで説教で創世記22章を取り上げたことはありませんでした。
では、なぜ今夜は22章を開くことにしたのかと言えば、先週21章を開いたことで、22章を理解するためのキーワードが与えられた気がするからです。それは「契約」というキーワードです。アブラハムは、主と結んだ「契約」のゆえに、主の命令に従順に従ったのではないでしょうか?手持ちの注解書を何冊か調べましたが、22章のアブラハムの従順さと「契約」を結び付けている注解はありませんでした。しかし、「契約」のゆえにアブラハムが主の命令に従ったと考えれば、アブラハムの行動はよく理解できるように思います。
ここで先週分かち合ったことをもう一度振り返りたいと思います。創世記21章14節から20節までをお読みします。
創世記21:14 翌朝早く、アブラハムは、パンと、水の皮袋を取ってハガルに与え、彼女の肩に担がせ、その子とともに彼女を送り出した。それで彼女は行って、ベエル・シェバの荒野をさまよった。
15 皮袋の水が尽きると、彼女はその子を一本の灌木の下に放り出し、
16 自分は、弓で届くぐらい離れた向こうに行って座った。「あの子が死ぬのを見たくない」と思ったからである。彼女は向こうに座り、声をあげて泣いた。
17 神は少年の声を聞かれ、神の使いは天からハガルを呼んで言った。「ハガルよ、どうしたのか。恐れてはいけない。神が、あそこにいる少年の声を聞かれたからだ。
18 立って、あの少年を起こし、あなたの腕でしっかり抱きなさい。わたしは、あの子を大いなる国民とする。」
19 神がハガルの目を開かれたので、彼女は井戸を見つけた。それで、行って皮袋を水で満たし、少年に飲ませた。
20 神が少年とともにおられたので、彼は成長し、荒野に住んで、弓を射る者となった。
15 皮袋の水が尽きると、彼女はその子を一本の灌木の下に放り出し、
16 自分は、弓で届くぐらい離れた向こうに行って座った。「あの子が死ぬのを見たくない」と思ったからである。彼女は向こうに座り、声をあげて泣いた。
17 神は少年の声を聞かれ、神の使いは天からハガルを呼んで言った。「ハガルよ、どうしたのか。恐れてはいけない。神が、あそこにいる少年の声を聞かれたからだ。
18 立って、あの少年を起こし、あなたの腕でしっかり抱きなさい。わたしは、あの子を大いなる国民とする。」
19 神がハガルの目を開かれたので、彼女は井戸を見つけた。それで、行って皮袋を水で満たし、少年に飲ませた。
20 神が少年とともにおられたので、彼は成長し、荒野に住んで、弓を射る者となった。
16節に、ハガルが声をあげて泣いたことが書かれています。しかし、17節には「神は少年の声を聞かれ」とあります。声をあげて泣いたのはハガルなのに神が聞いたのは少年の声であると聖書は書いています。また20節には、「神が少年とともにおられた」と書いてあります。神はハガルとも、もちろん共におられたはずです。でも聖書は「神が少年とともにおられた」と書いています。どうして聖書はこういう書き方をしているのか?それはハガルが主と契約を結んでいなかったからではないか、という話を先週しました。アブラハムとイシュマエル、そしてアブラハムの家のすべての男子は主との「契約」のしるしとして割礼を受けました。一方、女性であるハガルは割礼を受けていません。それは主と「契約」を結んでいないということであり、それゆえ聖書はハガルが声をあげて泣いた時に「神は少年の声を聞かれ」と書いたのではないか、先週はそのように話しました。
そして、今週の22章では、聖書が重視している「契約」の重みがアブラハムの主の命令への従順さの源になっているのではないかと示されています。割礼は体の一部を切り裂きますから、血が流れ、痛みを伴います。現代の契約書はハンコやサインで契約しますが、アブラハムたちは割礼を受けました。江戸時代の日本では大石内蔵助が率いる赤穂浪士が主君の浅野内匠頭の仇討ちをすると誓約した時に、血判を押したとされていますね。血判は刀の刃で指を切った血で母印を押します。割礼も血判も、重大な誓約においては血を流し痛みを感じることで一層強い決意が込められるという意味合いがあったと思います。そして新しい契約のしるしであるイエス様の血もまたそうであったことを覚えます。しかもイエス様の血の場合は単なる痛みではなくて、十字架での死の苦しみを伴うものでした。
赤穂浪士の血判は主君への忠誠を示す血でもありました。イエス様も天の父の御心に従順に従って十字架に付きましたから、イエス様の血は天の父への忠誠のしるしの血でもあったと言えるのではないでしょうか?それゆえアブラハムの場合も、契約のしるしの割礼の血は、主への忠誠のしるしの血であり、この忠誠心のゆえにアブラハムは主の命令に素直に従って息子のイサクを献げようとしたのではないでしょうか?
今回、このことを示されて、契約の重み、聖餐式の重みについて改めて考えさせられています。きょうは時間になりましたから、これで話を終えますが、この契約の重み、聖餐式の重みについては、引き続き考えて行きたいと思います。
きょうのメッセージは以上です。一言、お祈りいたします。
創世記22:2 神は仰せられた。「あなたの子、あなたが愛しているひとり子イサクを連れて、モリヤの地に行きなさい。そして、わたしがあなたに告げる一つの山の上で、彼を全焼のささげ物として献げなさい。」
3 翌朝早く、アブラハムはろばに鞍をつけ、二人の若い者と一緒に息子イサクを連れて行った。
3 翌朝早く、アブラハムはろばに鞍をつけ、二人の若い者と一緒に息子イサクを連れて行った。