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一粒のタイル2

平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるからです。(マタイ5:9)

井戸を掘るイサク、心を掘る私たち(2022.10.20 祈り会)

2022-10-20 23:29:56 | 祈り会メッセージ
2022年10月20日祈り会メッセージ
『井戸を掘るイサク、心の奥深くへ掘る私たち』
【創世記26:18~19】

18 イサクは、彼の父アブラハムの時代に掘られて、アブラハムの死後にペリシテ人がふさいだ井戸を掘り返した。イサクは、それらに父がつけていた名と同じ名をつけた。
19 イサクのしもべたちがその谷間を掘っているとき、そこに湧き水の井戸を見つけた。

 きょうはイサクの3回目です。先週はイサクが主役になっている聖書の記事が少ないと話しました。それゆえアブラハムとヤコブに比べてイサクはやや地味な感じがしますが、イサクがいたからこそ、「信仰の父」と呼ばれるアブラハムの信仰が、イサクを介してヤコブに伝えられ、21世紀の私たちにも伝えられたという話をしました。

 きょう開く26章はイサクが主役の章です。イサクは他の章にもたくさん登場していますが、大体の場合イサクは脇役でアブラハムやサラ、ヤコブが主役です。しかし、26章はまぎれもなくイサクが主役の章です。

 まず26章の始めの方には、イサクたちが住んでいたカナンの地で飢きんがあり、カナンの南方のペリシテ人の地のゲラルに住むようになったことが記されています。ゲラルの王はアビメレクでした。イサクは妻のリベカのことを「あれは私の妹です」と、ゲラルの土地の人々に伝えていました。イサクの父のアブラハムも妻のサラのことを「これは私の妹です」(20:2)とアビメレクに伝えていましたから、アブラハムとイサクはよく似た親子なのかもしれません。

 さて12節から16節までをお読みします。

創世記26:12 イサクはその地に種を蒔き、その年に百倍の収穫を見た。は彼を祝福された。
13 こうして、この人は富み、ますます栄えて、非常に裕福になった。
14 彼が羊の群れや牛の群れ、それに多くのしもべを持つようになったので、ペリシテ人は彼をねたんだ。
15 それでペリシテ人は、イサクの父アブラハムの時代に父のしもべたちが掘った井戸を、すべてふさいで土で満たした。
16 アビメレクはイサクに言った。「さあ、われわれのところから出て行ってほしい。われわれより、はるかに強くなったから。」

 12節には、主がイサクを祝福されたことが書かれています。それでイサクは非常に裕福になりました。しかし、このことでペリシテ人たちに、ねたまれるようになりました。神様に祝福されると、かえって苦難に陥ることは新約のクリスチャンでも「あるある」ですね。たとえばパウロも神様に大変に祝福された使徒でしたが、それゆえに多くの苦難をも味わいました。でも、このことでパウロの品性が練られていきました。パウロはローマ人への手紙に書いています。

ローマ5:2 キリストによって私たちは、信仰によって、今立っているこの恵みに導き入れられました。そして、神の栄光にあずかる望みを喜んでいます。
3 それだけではなく、苦難さえも喜んでいます。それは、苦難が忍耐を生み出し、
4 忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと、私たちは知っているからです。

 同じように、イサクも苦難に陥ったことで彼の品性が練られていったのだと思います。17節から19節、

創世記26:17 イサクはそこを去り、ゲラルの谷間に天幕を張って、そこに住んだ。
18 イサクは、彼の父アブラハムの時代に掘られて、アブラハムの死後にペリシテ人がふさいだ井戸を掘り返した。イサクは、それらに父がつけていた名と同じ名をつけた。
19 イサクのしもべたちがその谷間を掘っているとき、そこに湧き水の井戸を見つけた。

 この18節と19節が、藤本先生の『祈る人びと』のイサクの回の冒頭に挙げられているみことばです。藤本先生はイサクが父アブラハムの時代に掘られた井戸を掘り返したことを、ご自身が2代目のクリスチャンであり、且つ牧師としても2代目であることと重ねています。そして、24節と25節を引用して次のように書いています。まず24節をお読みします。

24 はその夜、彼に現れて言われた。「わたしは、あなたの父アブラハムの神である。恐れてはならない。わたしがあなたとともにいるからだ。わたしはあなたを祝福し、あなたの子孫を増し加える。わたしのしもべアブラハムのゆえに。」

 主はイサクをアブラハムのゆえに祝福するとおっしゃいました。この箇所を引用して、藤本先生はクリスチャン・ホームの2代目も初代のゆえに祝福される、しかし、それは2代目が自動的・機械的に祝福されるのではないと書き、25節を引用しています。25節、

25 イサクはそこに祭壇を築き、の御名を呼び求めた。彼はそこに天幕を張り、イサクのしもべたちは、そこに井戸を掘った。

 イサクはそこに祭壇を築き、主の御名を呼び求めました。新改訳第3版では主に祈ったとあります。祝福は自動的・機械的には与えられず、主に祈ることによって与えられます。祈ることで主との個人的な関係が築かれて、祝福されるようになります。現代のクリスチャン・ホームの2代目も同じだと藤本先生は書いておられます。

 さて、主と出会い、祈り、主と個人的な関係を築くことが必要であるということと、「井戸を掘る」という作業には共通点があると今回この説教の準備をしている中で示されています。主の御声を聴くこととは、心の奥深い所から聴こえる声に耳を傾けることだからです。表面的な願望ではなくて、奥深い自分は何を欲しているのか、心の奥深い部分からの声を聴くことは、とても大切なことです。神様は私たちをご自身の似姿に造られました。それゆえ私たちは元々良い心、良心が与えられています。その良心の声に聴き従うことで御心に適う生活を送ることができます。しかし、罪によって良心が覆い隠されていますから、奥深い声は非常に聴きづらくなっています。

 この奥深い声に耳を傾けることと、井戸を掘ることとはとても良く似ているように思います。地下に存在する豊かな水脈は普段は土に覆われていて気付きません。しかし、井戸を掘って表面にある土を取り除いていくことで、その水脈に辿り着くことができます。心の井戸の場合には、豊かな水脈とは聖霊であり、心の奥に向かって掘り下げることで水脈に至るなら聖霊の声を聴くことができます。これが心の奥深い所にある声です。

 どういう声が聴こえるかは、人それぞれでしょう。この声はイエス様を信じて聖霊を受けていれば聴きやすくなりますが、聖霊を受けていなくても聴こえないわけではないと思います。それは私たちには先行的な恵みが与えられているからです。罪人である私たちは先行的な恵みが無ければ、誰もイエス様と出会うことができません。それゆえ神様の愛によって与えられている先行的な恵みによって、私たちは聖霊の声を聴くことができます。

 私自身は名古屋にいる時に『自己愛とエゴイズム』という本と出合って奥深い声に耳を傾けるようになって高津教会に導かれました。でも考えてみると、本屋さんの本棚にあった『自己愛とエゴイズム』という本に目が留まって手に取り、開いてみたことも奥深い声に聴き従ってのことだったかもしれません。神様はこのように、本人が気付かない間に人を導くお方です。

 今週私は火曜日・水曜日の2日間、静岡市の災害ボランティアに参加しました。先週はカーペットの張替え工事の立ち会いがあって参加できませんでしたが、先々週の2日間に続いて今週また参加することができて、合計4日間になりました。この災害ボランティアは4人から7,8人ぐらいのグループで活動しますから、4日間で25人ぐらいの方と一緒に活動しました。25人とも全部違う方々です。

 実は災害ボランティアに参加することは私にとっては1995年の阪神・淡路大震災の時からの懸案でした。1995年の1月は、私は大学の留学生センターへの採用が決まっていて春からの着任に備えていた時期で、無職でした。ですから神戸にボランティアの人々が続々と入っているという報道を見て、無職の自分こそ神戸に行くべきだと思いました。でも、神戸に行っても自分が何の役に立てるか自信がなくて結局行きませんでした。1995年はまだ教会に導かれる前であり、いま考えると災害ボランティアに行くべきと感じたのも奥深い声ではなかったかなという気がしています。災害ボランティアに参加することはイエス様の御心に適うことだと思うからです。マタイ25章でイエス様はおっしゃいました。

マタイ25:40 「すると、王は彼らに答えます。『まことに、あなたがたに言います。あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、それも最も小さい者たちの一人にしたことは、わたしにしたのです。』」

 今月参加した静岡市の災害ボランティアには県内各地から多くの人が参加しています。一緒に活動した約25人の中には浜松市から来たという方や伊豆の国市、富士市、藤枝市、焼津市の方々がいました。コロナの関係で県内に限っていますが、県内限定としていなければ、きっと全国各地から集まったことでしょう。これらの人々は奥深い声に突き動かされて集まって来た方々のような気がしています。

 次の聖日は教団創立記念礼拝では、先ほど引用したマタイ25章の「最も小さい者たちの一人にしたことは、わたしにしたのです」を中心聖句にして、総合伝道について考える予定です。今のこのひどい世の中での伝道では、心の井戸を掘って奥深い所の声を聴けるようになることもまた大切ではないかなと感じています。ボランティアの人々との交わりを通じて示された総合伝道のことなどもみことばと共に分かち合いたいと願っています。

 イサクがアブラハムの井戸を掘り返した記事から、奥深い所からの声を聴くことの大切さへとイエス様が導いて下さったことを心から感謝したいと思います。一言、お祈りいたします。

18 イサクは、彼の父アブラハムの時代に掘られて、アブラハムの死後にペリシテ人がふさいだ井戸を掘り返した。イサクは、それらに父がつけていた名と同じ名をつけた。
19 イサクのしもべたちがその谷間を掘っているとき、そこに湧き水の井戸を見つけた。
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