事件番号 平成17(行ケ)10841
事件名 審決取消請求事件
裁判年月日 平成18年12月25日
裁判所名 知的財産高等裁判所
裁判長裁判官 中野哲弘
(判示)
『ウ 前記相違点1についての評価
・・・
被告は,甲1において,①「先に導入されていた発光反応系の1成分」であるHRPは,励起光照射によって自ら蛍光を発するものではなく,本件発明で使用するDidac4(3)のような蛍光色素とは全く異質のものである,②上記HRPは,ルミノールと接触することにより,一時的に蛍光を発するだけであるのに対し,本件発明の蛍光分析においては,蛍光色素は励起光が照射されている限り,発光し続けるから,この点において,甲1発明の発光とは本質的に異なると主張する。しかしながら,甲1発明の「先に導入されていた発光反応系の1成分」が,励起光照射によって自ら蛍光を発するものではなく,励起光が照射されている限り発光し続けるものでないとしても,蛍光色素を用いて組織中の抗原の分布を調べる蛍光抗体法が上記のとおり古くから知られていることからすると,甲1発明において「発光標識」に蛍光色素を用いることは,当業者が容易に想到することができたものということができ,この点を本質的な違いということはできない。』
『エ 前記相違点2についての評価
・・・
甲1には,甲1発明を細胞表面レセプター対に用いることができることが記載されているところ,上記(1)イの検定方法を細胞表面レセプター対に用いた場合には,「反応容器の底における透明支持体」に固定されるものは,「生物細胞」であり,多くの生物細胞を固定するとすれば,必然的に「相互に接触した細胞の層の形態」となるものと解される。
また,本件発明における「相互に接触した細胞の層の形態の生物細胞」の技術的な意義について本件特許の明細書及び図面には記載はなく,それが格別の技術的な意義を有するとは解されない。この点について,被告は,本件発明における「相互に接触した細胞の層の形態で」の技術的な意義は,細胞の数が多くなると,蛍光標識された生物細胞からのシグナルが強くなり,検出感度が高くなるということであると主張するが,仮にそうであるとしても,そのことをもって格別の技術的な意義とはいえない。
そうすると,甲1発明において「相互に接触した細胞の層の形態の生物細胞」を用いることを,当業者は容易に想到することができたものと認められる。』
『(3) 取消事由5(甲1発明についての認定の誤り)につき審決は,本件発明と甲1発明とを対比した上,本件発明の要件のうち「相互に接触した細胞の層の形態で反応容器(1)の底(2)における透明支持体に適用され且つ結合されていない蛍光色素(4)を含有する溶液(3)と接触している蛍光標識された生物細胞(5)の定量的光学的分析方法」については,甲1には記載がないとし,この点を両者の相違点として認定している(8頁4行~8行)。
・・・
しかしながら,上記(2)のとおり,上記「相互に接触した細胞の層の形態で反応容器(1)の底(2)における透明支持体に適用され且つ結合されていない蛍光色素(4)を含有する溶液(3)と接触している蛍光標識された生物細胞(5)の定量的光学的分析方法」のうち,分析対象が「相互に接触した細胞の層の形態の生物細胞」である点並びに「蛍光色素」及び「蛍光標識」を用いる点については,甲1に記載がないから,この限度では,本件発明と甲1発明は相違するということができるが,その余の点,すなわち,「反応容器の底における透明支持体に適用され且つ結合されていない発光標識を含有する溶液と接触している発光標識されたものの定量的光学的分析方法」である点については,本件発明は甲1発明と一致する。
そうすると,審決がこのような一致している点についても相違するとしたことは,甲1発明の認定を誤り,その結果,本件発明と甲1発明との相違点の認定を誤ったものであるということができるから,取消事由5は,この限度で理由がある。』
(現時点の感想)
判決は、蛍光色素を用いて組織中の抗原の分布を調べる蛍光抗体法が古くから知られていることを考慮して、「甲1発明において「発光標識」に蛍光色素を用いることは,当業者が容易に想到することができた」とした。
最近、進歩性の判断が厳しいという声がある。筆者は、このような主張の原因は、進歩性の判断、特に組み合わせの判断が定式化できないことにあると思う。例えば、この判決は、個別具体事例に則して、深く技術的な事実認定を行った。このような論理付けの定式化は、きわめて困難である。
一方、従前においては、組み合わせの可否の基準として、動機付けがあるかないか、という極めてわかりやすいが、主観的・感覚的な基準が、特に審査段階では、多く見受けられたように思う。
ところが、近時、特許権の無効の抗弁が多く行われるようになるなど、進歩性について争われる事件が増え、判決も多くなされている。その判決を見て、「わかりやすい」判断基準に慣れ親しんだ我々は驚いた、というところが、多分にあるのではないだろうか。
思うに、組み合わせの可否は、事例に則して深く判断しなければ、技術的に難解なものなど正しく判断できないものも多い。そのような事例に対しては、やはり、深い技術的事実認定に裏付けられた、論理的な判断が行われるべきではないだろうか。弁理士、または、審査官の存在価値は、個別具体事例に応じて、自らの力でそのような判断を技術的に行い得るところにあるのではないだろうか。
最後に、強力な独占権が付与される特許権には、やはり、その強さに応じた進歩性が必要なのだと言うのが合理的な考えではないか。特許権は、産業の発展のために、あえて自由競争に例外を設けたものである、ことを忘れてはならないと思う。
事件名 審決取消請求事件
裁判年月日 平成18年12月25日
裁判所名 知的財産高等裁判所
裁判長裁判官 中野哲弘
(判示)
『ウ 前記相違点1についての評価
・・・
被告は,甲1において,①「先に導入されていた発光反応系の1成分」であるHRPは,励起光照射によって自ら蛍光を発するものではなく,本件発明で使用するDidac4(3)のような蛍光色素とは全く異質のものである,②上記HRPは,ルミノールと接触することにより,一時的に蛍光を発するだけであるのに対し,本件発明の蛍光分析においては,蛍光色素は励起光が照射されている限り,発光し続けるから,この点において,甲1発明の発光とは本質的に異なると主張する。しかしながら,甲1発明の「先に導入されていた発光反応系の1成分」が,励起光照射によって自ら蛍光を発するものではなく,励起光が照射されている限り発光し続けるものでないとしても,蛍光色素を用いて組織中の抗原の分布を調べる蛍光抗体法が上記のとおり古くから知られていることからすると,甲1発明において「発光標識」に蛍光色素を用いることは,当業者が容易に想到することができたものということができ,この点を本質的な違いということはできない。』
『エ 前記相違点2についての評価
・・・
甲1には,甲1発明を細胞表面レセプター対に用いることができることが記載されているところ,上記(1)イの検定方法を細胞表面レセプター対に用いた場合には,「反応容器の底における透明支持体」に固定されるものは,「生物細胞」であり,多くの生物細胞を固定するとすれば,必然的に「相互に接触した細胞の層の形態」となるものと解される。
また,本件発明における「相互に接触した細胞の層の形態の生物細胞」の技術的な意義について本件特許の明細書及び図面には記載はなく,それが格別の技術的な意義を有するとは解されない。この点について,被告は,本件発明における「相互に接触した細胞の層の形態で」の技術的な意義は,細胞の数が多くなると,蛍光標識された生物細胞からのシグナルが強くなり,検出感度が高くなるということであると主張するが,仮にそうであるとしても,そのことをもって格別の技術的な意義とはいえない。
そうすると,甲1発明において「相互に接触した細胞の層の形態の生物細胞」を用いることを,当業者は容易に想到することができたものと認められる。』
『(3) 取消事由5(甲1発明についての認定の誤り)につき審決は,本件発明と甲1発明とを対比した上,本件発明の要件のうち「相互に接触した細胞の層の形態で反応容器(1)の底(2)における透明支持体に適用され且つ結合されていない蛍光色素(4)を含有する溶液(3)と接触している蛍光標識された生物細胞(5)の定量的光学的分析方法」については,甲1には記載がないとし,この点を両者の相違点として認定している(8頁4行~8行)。
・・・
しかしながら,上記(2)のとおり,上記「相互に接触した細胞の層の形態で反応容器(1)の底(2)における透明支持体に適用され且つ結合されていない蛍光色素(4)を含有する溶液(3)と接触している蛍光標識された生物細胞(5)の定量的光学的分析方法」のうち,分析対象が「相互に接触した細胞の層の形態の生物細胞」である点並びに「蛍光色素」及び「蛍光標識」を用いる点については,甲1に記載がないから,この限度では,本件発明と甲1発明は相違するということができるが,その余の点,すなわち,「反応容器の底における透明支持体に適用され且つ結合されていない発光標識を含有する溶液と接触している発光標識されたものの定量的光学的分析方法」である点については,本件発明は甲1発明と一致する。
そうすると,審決がこのような一致している点についても相違するとしたことは,甲1発明の認定を誤り,その結果,本件発明と甲1発明との相違点の認定を誤ったものであるということができるから,取消事由5は,この限度で理由がある。』
(現時点の感想)
判決は、蛍光色素を用いて組織中の抗原の分布を調べる蛍光抗体法が古くから知られていることを考慮して、「甲1発明において「発光標識」に蛍光色素を用いることは,当業者が容易に想到することができた」とした。
最近、進歩性の判断が厳しいという声がある。筆者は、このような主張の原因は、進歩性の判断、特に組み合わせの判断が定式化できないことにあると思う。例えば、この判決は、個別具体事例に則して、深く技術的な事実認定を行った。このような論理付けの定式化は、きわめて困難である。
一方、従前においては、組み合わせの可否の基準として、動機付けがあるかないか、という極めてわかりやすいが、主観的・感覚的な基準が、特に審査段階では、多く見受けられたように思う。
ところが、近時、特許権の無効の抗弁が多く行われるようになるなど、進歩性について争われる事件が増え、判決も多くなされている。その判決を見て、「わかりやすい」判断基準に慣れ親しんだ我々は驚いた、というところが、多分にあるのではないだろうか。
思うに、組み合わせの可否は、事例に則して深く判断しなければ、技術的に難解なものなど正しく判断できないものも多い。そのような事例に対しては、やはり、深い技術的事実認定に裏付けられた、論理的な判断が行われるべきではないだろうか。弁理士、または、審査官の存在価値は、個別具体事例に応じて、自らの力でそのような判断を技術的に行い得るところにあるのではないだろうか。
最後に、強力な独占権が付与される特許権には、やはり、その強さに応じた進歩性が必要なのだと言うのが合理的な考えではないか。特許権は、産業の発展のために、あえて自由競争に例外を設けたものである、ことを忘れてはならないと思う。