越中八尾、おわら風の盆。
風の盆と聞いてまず思い起こすのは、
ゆったりとしたおわら節に乗せて若い男女が踊る姿だ。
そもそも踊りの所作は収穫に感謝するものなのだが、
互いに菅笠で素顔を隠し、艶やかに踊る姿に
見る人は男女の恋に思いを馳せる。
そこにおわら節の物悲しい曲調もあって、
一様に「哀愁を帯びた」と情緒を感じるものなのだが
一方では、若い未婚の男女が掛け合う姿だから、
哀愁を感じつつも華やかさも伝わってくる。
縁あって、そんなおわらを十数年見てきたのだが、
実はそれとは別に見てみたいおわらがあった。
十代の頃の話だが。
当時、五木寛之の小説を読み漁った時期があって
風の盆を舞台にした短編小説「風の柩」には
地元の人しか知らないおわらが描かれていた。
その印象がその後も長く心に残ることになったのだが。
深夜、人通りの途絶えた町。
そこにどこからともなく聞こえてくる胡弓の物悲しい音色。
見物客も帰り、踊り手も引き揚げたあと、
淋しい町になった時がおわらには似合う、とあった。
そんな記憶が勝手に作り出したおわらを見てみたかったのだ。
「風の柩」が書かれたのはもう50年以上も前のこと。
その時よりも風の盆はずっと有名になった。
今では全国的に注目を浴び、祭の3日間に訪れる観光客は
20万人とも30万人とも言われる。
つまり、深夜になっても、「風の柩」に描かれているように
人が途絶えてしまうわけではない。
けれども、そこには今まで目にしてきたものとは別物のおわらが
確かにあったのだ。
続く。