
お盆と聞くとなぜか「おどま盆ぎり盆ぎり 盆から先ゃおらんと」という「五木の子守唄」の歌詞が頭に浮かぶ。
父が天草の大矢野島(現在の上天草市)の上村小学校に赴任した昭和10年頃、天草は大小100余りの島々に20数万人の人が暮らす貧しい地方だった。家が貧しいために「口減らし」として子守奉公に出された少女たちの中には遠く五木村まで出かけた娘もいるという。自らの不幸な境遇を子供に歌って聴かせ、自らをも慰めていたという「五木の子守唄」は天草の「福連木の子守唄」がもとになったという説もあるらしい。
昭和28年(1953)に「五木の子守唄」がレコード化されたことによって全国的に有名となったが、「福連木の子守唄」は熊本県内ですら、まだあまり知られていない。
ところでお盆になったら家へ帰るという子守奉公の娘たちの中には天草へ帰る娘もいたであろう。五木村から小鶴原女木線を歩いて八代で渡船に乗ったのだろうか。悲哀の日々の中でもわが家へ帰るのはさぞや嬉しかったことだろう。