徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

石牟礼道子さんが遺した新作能

2018-02-13 13:29:22 | 音楽芸能
 水俣病を描いた小説「苦海浄土」で知られる作家、石牟礼(いしむれ)道子さんが先日90歳で他界されたが、僕は石牟礼さんの作品を通読したことがまだない。「苦海浄土」を手に取ったことはあるのだが、読むのが段々辛くなってきて、途中でやめてしまった。訃報を聞き、やっぱり石牟礼さんを避けて通るのはいけないなと思い直した。何か入りやすい作品はないかと探したすえ、2002年に発表された新作能「不知火」を手始めに読むことにした。この作品は2003年に水俣現地で奉納上演されたほか、東京などでも上演されている。いつか熊本で再演されることがあればぜひ観てみたい。

▼新作能「不知火」あらすじ
 ヒトが作り出した様々な毒が、水脈に沿って山と海を覆い尽くし、生類は命脈を絶たれようとしている。ここに至って菩薩が竜神に命じ、不知火(姉)と常若(弟)に生類の命脈をつなぐ最後の仕事に赴かせる。毒により息絶えようとする二人を、八朔の満潮の恋路ヶ浜に呼びよせて、回生のとき夫婦の仲を約す。菩薩が呼んだ古代中国の楽祖が浜の石を打ち合せて二人を祝婚し、再び来る世はこの穢土よりと天高く日月と星のある限り甦らんことをと舞を舞い声なき浜を荘厳する。

 また、石牟礼さんのもう1本の新作能「沖宮(おきのみや)」が今秋上演される。島原の乱(1637~38)が終わった後の天草が舞台。天草四郎の乳兄妹で、戦乱で孤児となった少女あやは、干ばつに苦しむ村のため、竜神のいけにえに選ばれる。緋色の衣をまとい、海の底へと沈んでいくあや。その魂を迎えに、四郎の霊が現れる。やがて村に恵みの雨が降り始めるという物語だ。
 これは、東京、京都、熊本で上演されることが既に決まっており、見逃せない。


不知火海と天草諸島

熊本城歌舞伎はいずこへ?

2018-02-12 21:17:08 | イベント
 今から4、5年前、こんな記事が熊日新聞の紙面を飾った。もうこんな話はなかったかのような感がある。熊本地震もあり、やむを得ない面はあるとは思うが、この計画はボツになったのか、まだ生きているのか、市当局にはハッキリさせてもらいたいものだ。
 熊本城の観光客がV字回復した一因として、ビッグイベントの開催があげられており、今こそ再検討の価値ありと見るのだが。


▼2013年11月の熊日新聞記事


▼2014年2月の熊日新聞記事

オリンピックの光と影

2018-02-11 13:48:53 | スポーツ一般
 平昌冬季オリンピックが始まった。Niftyニュースにこんな話が載っていた。
 脱北後にアイスホッケー女子韓国代表として活躍した皇甫永さんによれば、今回、南北合同チーム要員として北朝鮮から来た選手と監督以外に2人の「監視要員」が来ているという。

 これまでも大きな国際スポーツ大会は数々の亡命事件があり、北朝鮮が神経をとがらすのはある意味当然ではある。このニュースを見て思い出したのは1964年の東京オリンピック。大学1年だった僕は、水球競技会場の補助役員としてのアルバイトの合間に、世界トップレベルの選手たちの練習風景を見るため、2、3人の仲間とともにずっとプールサイドにへばりついていた。ある日、練習会場の一つだった神宮プールに優勝候補の一つ、ソ連チームがやってきた。練習が一段落した時、一人の選手がプールサイドにたたずんでいたので、今がチャンスとばかり、僕らはその選手に駆け寄り、片言の英語と身振り手振りを交えながら、ボールテクニックについてたずねた。その選手はほとんど英語を理解できなかったが、実際にボールを手に取りながら教えてくれた。ふと気が付くと、5、6㍍離れたところから僕らのやり取りをじっと見ているソ連チームの関係者がいた。CCCP(エス・エス・エス・アール)の文字が入ったジャージを着てはいたが、選手でもコーチでもないことはひと目でわかった。その時は通訳かなにかのスタッフだろうと思ったが、鋭い視線が印象に残った。オリンピックが終わった後、先輩があるところから情報を仕入れて来た。「あれはKGBだったらしいよ。選手たちの亡命をおそれて監視していたらしい」
 オリンピックにはそういう一面もあるのだということをその時初めて知った。

東京オリンピック水球決勝リーグ
ハンガリー v s ソ連(5-2)

ソ連のカラシニコフ(白5番)とハンガリーのルショラーン(青6番)のマッチアップ

西郷どんのルーツ

2018-02-09 17:30:39 | 歴史
 NHK大河ドラマ「西郷どん」が放送されていますが、西郷家のルーツは熊本県菊池市にあります。
 西郷家発祥の地(下の地図参照)に記念碑が建てられていますので、ご興味のある方は一度訪ねてみてはいかが。
 32歳の頃、幕府の追及を逃れて奄美大島の龍郷(たつごう)で約3年間暮らしますが、その時「菊池源吾」と名乗っています。「わが源は菊池にあり」という意味なのでしょうか。
 また、島津斉彬公の参勤のお供で初めて江戸へ上った28歳の頃、豊前街道沿いの休息所「御馬下の角小屋」で店の番頭利平に「ここから菊池の西郷村はいかほどか」とたずね、利平が「三里ほどです」と答えると、「わしは西郷吉之助と申す。親父さまから、ご先祖が西郷村じゃと聞いていたが懐かしくてのう」と言ったというエピソードが伝えられています。
 なお、若宮神社境内の案内板には次のように記されています。
 ここの集落は西郷といい、明治維新で活躍し西南の役薩軍の将西郷隆盛(1827~1877年)の祖先発祥の地です。
 また、この一帯は菊池十八外城の一つ増永城跡で、初代の城主西郷太郎政隆は菊池氏初代則隆の子で菊池一族でした。その後裔26代西郷九兵衛昌隆の時、薩摩に移り住んだという記録があり、初代西郷太郎政隆から32代目が西郷隆盛(生涯のうち3年余、鹿児島県大島郡龍郷町に居住。この時「菊池源吾」と名乗る。)です。
 境内の記念碑「西郷南洲先生祖先発祥の地」は徳富蘇峰筆。熊本三洲会・旧加茂川村有志により昭和27年10月の建立です。


菊池市七城町砂田 若宮神社


若宮神社拝殿


徳富蘇峰筆による記念碑


西南戦争の痕跡と寺原田畑

2018-02-08 17:54:36 | 歴史
 熊本地震で崩落した京町のむくり屋根の家(F氏宅)の石垣はいまだ手つかずのまま。前を通る度に胸が痛む。ここは瀬戸坂や寺原を見おろす高台の上にある。明治10年の西南の役を目撃した吉田如雪の「西南の役見聞録」によれば、瀬戸坂上の松枝亘屋敷に官軍の砲台が据えられていたという。(津々堂のたわごと日録より)それがこの家だったのかどうかはわからないが、この家の屋内には西南戦争時の弾痕が残る。
 旧藩時代、寺原田畑は湿地帯だったため、堀切や石垣などで区画されることはなかった。官軍にとって鎮台(熊本城)北東部の弱点と考えていたのかもしれない。
 崩れた石垣が復旧できなければ、この日本近代史の痕跡が残る家の存続は難しいかもしれない。

▼瀬戸坂上のむくり屋根の家(F氏宅)


▼寺原・坪井・竹部一帯を望む

春のくまもとおどり 2018

2018-02-07 10:55:45 | 日本文化
 熊本を中心に県内外で活躍する舞踊団花童(はなわらべ)&はつ喜による可憐で美しい舞。
 日本の伝統文化を受け継いだ少女たちによる、華やかな舞台をお楽しみください。

日 時 3月17日(土)・18日(日)10:00~12:00
    3月19日(月)・20日(火)15:00~17:00
    ※荒天中止

会 場 熊本城二の丸広場

観覧料 無料

主 催 熊本市(お城まつり運営委員会)


アイドルのはなし。

2018-02-06 20:54:42 | 日本文化
 昨日のブログ記事に、ブラタモリに出演した松田法子先生のことを「アイドル」云々と書きながらふと思った。いったいいつから普通に「アイドル」などという言葉を使うようになったのだろう。たしか、僕の小中学校時代には使われていた記憶はない。当時も今日のアイドルにあたるような、例えば美空ひばり、松島トモ子、鰐淵晴子など少女スターはいたと思うが、「アイドル」などという呼び方はしていなかった。どうも僕が高校に入った60年代の初めあたりがあやしい。吉永小百合を始めとする若手映画スターや橋幸夫らの若手歌謡スターあたりをアイドルと表現するメディアが出てきたように記憶している。
 国語辞書によれば「アイドル」とは「偶像」「崇拝される人や物」「あこがれの的」「熱狂的なファンをもつ人」を意味すると書かれている。そう言えば、まだ小学生の頃、「第三の男」で知られる英国のキャロル・リード監督の映画に「落ちた偶像」というのがあった。原題は「The Fallen Idol」だった。一人の少年が、あこがれの的だった男性の浮気から大人の現実を知るような映画だった。
 それはさておき、僕が初めて「アイドル」という言葉を口にしたのは多分、高1か高2の時、アメリカの人気歌手リッキー・ネルソンの「ティーンエイジ・アイドル)」のレコードを買った時ではなかったろうか。アメリカではさらにその20年くらい前の1940年代、若手の頃のフランク・シナトラあたりが「アイドル」歌手の始まりだといわれているそうだ。
 日本のアイドルブームも始まって久しいが、どうやら「そこそこ可愛いけれど特に芸はない」人のことを指すようだ。

リッキー・ネルソン「ティーンエイジ・アイドル」

Some people call me a teenage idol
Some people say they envy me
I guess they got no way of knowing
How lonesome I can be

I need somebody to be my baby
Someone to tell my troubles to
I've got no time to ever find her
'Cause I'm just passing through

I travel around from town to lonely town
I guess I'll always be just a rolling stone

If I find fortune and fame
And lots of people know my name
That won't mean a thing if I'm all alone

I get no rest when I'm feelin' weary
I gotta pack my bags and go
I gotta be somewhere tomorrow
To smile and do my show

I travel around from town to lonely town
I guess I'll always be just a rolling stone

If I find fortune and fame
And lots of people know my name
That won't mean a thing if I'm all alone

Some people call me a teenage idol
Some people say they envy me
I guess they got no way of knowing
How lonesome I can be
How lonesome I can be

最近のテレビから

2018-02-05 13:00:15 | テレビ
▼ブラタモリ「有馬温泉」(NHK総合)
 今回は日本書紀にも登場する日本最古の温泉、兵庫県の「有馬温泉」。他の温泉と異なり、近くに火山が無い有馬温泉の秘密を探る。特徴の赤い湯や塩分濃度、大変な維持管理などが明らかになる。そして温泉そのものもさることながら、コアなブラタモリファンの間で秘かにアイドル的存在となっている、京都府立大学の松田法子先生が、「熱海温泉」、「別府温泉」に続き三度目の登場。ご専門の研究テーマの一つが温泉町の成立ち、歴史、文化などについて。宝塚のトップスターを思わせるその美貌とたたずまいに見とれているうちに出演時間はあっという間に過ぎてしまった。また、次回の登場を待とう。

▼民謡魂 ふるさとの唄「千葉県旭市」(NHK総合)
 全国でも有数のイワシ漁場として知られる九十九里浜は江戸時代、イワシを乾燥させて作る肥料「干鰯(ほしか)」の生産で大いに栄えた。その歴史を地元の民謡に踊りや芝居を交えた音楽劇で紡ぐ。また、太平洋に浮かぶ島々の民謡も紹介する。遠浅の九十九里浜は漁船を浜に引き上げたり、また押し出す過酷な重労働に女性たちが従事した。「おっぺし」と呼ばれたそんな女性が三人登場し、往時の思い出を語っていたが、明るい表情が余計かつての辛い仕事を偲ばせた。紹介された民謡たちももちろん良かったのだが、音楽劇で使われていた「海饗風唄」のメロディが心に残った。この番組で三味線方や監修を務める本條秀太郎さんの作品だが、「現代民族歌謡」と銘打ち、本来の日本音楽の持つ感性への回帰をめざす本條さんの心意気が詰まった名曲だ。

▼海饗風唄

目からウロコの芸能史 ~白拍子・乱拍子って!?~

2018-02-04 20:29:39 | 日本文化
 沖本幸子著「乱舞の中世 白拍子・乱拍子・猿楽」(吉川弘文館)を読むと、たちこめたモヤが払われて中世芸能が急にクッキリと見えてきたような気がする。
 今日「日本文化」といわれるものの多くが中世すなわち鎌倉・室町時代に形づくられたといわれる。なかでも猿楽(能)や茶の湯などはその代表格だ。能は観阿弥・世阿弥父子によって14世紀後半から15世紀前半にかけて大成されたとよくいわれるが、大成というのは、その前に何かいろんなものがあったということ。戦乱が続いたこの時代に、人々を熱狂させ、そして滅んでいった中世芸能として、著者は「白拍子・乱拍子」を取り上げ、それがその後の芸能の歴史にどんな役割をはたしたのかを解明している。
 白拍子というと祇王や静御前のような歌舞を演じる女性芸能者を思い浮かべるが、もともとはその字のとおり「拍子」つまりリズムのことだという。「白」は特別な色に染まっていないベーシックなもの。それに対し「乱拍子」は乱れた、言い換えれば変化が自由なリズムという意味だと思われる。そしてこの二つの芸能は別々の道を歩み、やがて滅びて行くのだが、これらの芸能が能の成立にどんな影響を与えたのかについてスポットを当てている。
 乱拍子といえば、今日では能「道成寺」の見せ場の一つになっている舞事を思い出す。小鼓とシテの足使いが張りつめた緊迫感の中で繰り広げられるのだが、本来の意味の乱拍子とはかなり異なる意味合いとなっている。むしろ、能の原点といわれる「翁(式三番)」に登場する翁や千歳や三番叟が白拍子や乱拍子の流れを受け継いでいるという。例えば、三番叟が舞う「揉みの段」を見ていると、このリズムはいったいどこから来たのだろうといつも思う。今回、この本を読むことによってストンと腑に落ちたような気がした。


能「道成寺」乱拍子


三番叟「揉みの段」

くまもと初午おどり

2018-02-03 16:11:00 | 音楽芸能
 城彩苑・湧々座で毎月行われている舞踊団花童&はつ喜「くまもと四季めぐり」。
 今月は「くまもと初午おどり」でした。


熊本城稲荷神社音頭(はつ喜月若&花童全員)


梅(ゆうあ・れいな・かな・きみか)


はかま踊り(はつ喜月若)


こわらべインタビュー(みこと・すず・あやか)


草の芽(ゆうあ・れいな・かな・きみか)


牛深三下り(はつ喜月若・あかね・ゆりあ)


「河内お国めぐり」より「安来節」(きみか・すず)


「河内お国めぐり」フィナーレ

はなちゃんはもう14才!

2018-02-02 17:53:18 | テレビ
 6年ほど前に出版され、映画やテレビドラマにもなった「はなちゃんのみそ汁」のはなちゃんはもう14才になったそうだ。4月からは10年前に亡くなったお母さんの教えに沿い、食育を学べる高校へ進学するという。日テレの鈴江アナが10年ぶりにはなちゃんを訪ね、現在のはなちゃんの様子をリポートしていた。4、5才の頃、お母さんの千恵さんからしつけられるはなちゃんの映像が流れたが、涙なしには見れない。はなちゃんは今ではお母さんとの日々の記憶はうっすらしか残っていないという。それでも今日も教わったみそ汁を作っている。はなちゃんは、これまで多くの人から「かわいそう、かわいそう」と言われ続けて来たが、自分自身はかわいそうと思ったことは一度もないという。母のイメージと重なる小林麻央さんの遺児たちにも、あまりかわいそうだとか言わないでほしいという。
 はなちゃんがお母さんのように、優しさと強さをあわせ持った女性に育つことを祈るばかりだ。


やっと再建へ向け動き出した愛染院

2018-02-01 17:18:32 | 熊本
 肥後細川家初代熊本藩主・細川忠利公が寛永9年(1632)に熊本へ転封された時に創建されたと伝えられる京町1丁目の古刹・愛染院は、熊本地震により大規模な損壊を被っていたが、この程やっと公費解体が行われた。再建時期は未定だが、ずっと手付かずの状態から、やっと再建へ向けて動き出しホッとした。
 僕が子どもの頃から見慣れたお寺が消え、西方の山並みが見通せるのは初めてでちょっと不思議な感じがした。


本堂が解体された愛染院


熊本地震前の愛染院


 愛染院では、再建する本堂の格天井に描く天井絵を募集しているそうです。腕に自信の方は応募されてみてはいかがでしょうか。