熊本地震で崩落した京町のむくり屋根の家(F氏宅)の石垣はいまだ手つかずのまま。前を通る度に胸が痛む。ここは瀬戸坂や寺原を見おろす高台の上にある。明治10年の西南の役を目撃した吉田如雪の「西南の役見聞録」によれば、瀬戸坂上の松枝亘屋敷に官軍の砲台が据えられていたという。(津々堂のたわごと日録より)それがこの家だったのかどうかはわからないが、この家の屋内には西南戦争時の弾痕が残る。
旧藩時代、寺原田畑は湿地帯だったため、堀切や石垣などで区画されることはなかった。官軍にとって鎮台(熊本城)北東部の弱点と考えていたのかもしれない。
崩れた石垣が復旧できなければ、この日本近代史の痕跡が残る家の存続は難しいかもしれない。
▼瀬戸坂上のむくり屋根の家(F氏宅)
▼寺原・坪井・竹部一帯を望む
旧藩時代、寺原田畑は湿地帯だったため、堀切や石垣などで区画されることはなかった。官軍にとって鎮台(熊本城)北東部の弱点と考えていたのかもしれない。
崩れた石垣が復旧できなければ、この日本近代史の痕跡が残る家の存続は難しいかもしれない。
▼瀬戸坂上のむくり屋根の家(F氏宅)
▼寺原・坪井・竹部一帯を望む