母の生家がある玉名市大浜町へ行くと、帰りは河内川沿いの県道101号を通って山越えすることが多い。2000年に他界した父はこの道がことのほか好きだった。途中、鮎帰橋のそばに水車がポツンと1基。掲示板に、昔は河内川沿いに80基ほどの水車があり、米や雑穀をつく動力としていたと書いてある。このあたりの地区を平(だいら)地区と呼ぶ。南北朝時代にはこの辺りを菊池氏の家来、天乃氏が治めていたので天ヶ庄と呼んでいたという。この地区には古くから子守歌が歌い継がれていて「天ヶ庄の子守歌」と呼んでいた。天乃氏が菊池家の幼君を預かっていた頃の名残りだという。今日では歌う人もなく、歌詞の一部が残るのみでメロディは失われている。歌詞の内容を読むと、昔はこの辺りまで船がのぼって来ていたようだ。
県道を熊本へ向かってもう少し進むと、歌枕として知られる鼓ヶ滝がある。その先を右折して橋を渡り登って行くと檜垣嫗や宮本武蔵の伝説が残る岩戸観音の霊厳洞へと続く道である。

河内川(鮎帰橋近く)

だいら水車

県道を熊本へ向かってもう少し進むと、歌枕として知られる鼓ヶ滝がある。その先を右折して橋を渡り登って行くと檜垣嫗や宮本武蔵の伝説が残る岩戸観音の霊厳洞へと続く道である。

河内川(鮎帰橋近く)

だいら水車
