goo blog サービス終了のお知らせ 

徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

玉音放送の日

2020-08-15 19:28:47 | 歴史
 今日も暑かった。ちょっと用事で外出したが、あまりの暑さにほうほうの体で帰宅した。
 75年前の今日も暑かったらしい。わが家はラジオの前に揃って正座し天皇陛下の玉音放送を聞いたという。

朕深く世界の大勢と帝国の現状とに鑑み、非常の措置を以て時局を収拾せむと欲し、茲に忠良なる爾臣民に告ぐ。
朕は帝国政府をして米英支蘇四国に対し其の共同宣言を受諾する旨通告せしめたり。

という切り出しで始まった玉音放送だが、父も最初は意味が分からなかったそうだ。しかし、次第にポツダム宣言を受諾し、戦争を終わらせる、つまり敗戦を受け入れるという意味なのだとわかり、悔しさとともにホッとしたという。
 その父も他界して今年で20年。戦争を知る年代もどんどん減って行く。日本はこの敗戦から学んだ教訓を、次世代、次々世代へと繋いで行けるのだろうか。


今日の阿蘇山(京町台より)


最新の画像もっと見る

6 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (志場)
2020-08-15 19:59:28
そう言えば、一時は終戦記念日の放送は玉音放送てんこ盛りでしたが、最近はあまり聞きませんね。
返信する
Re:志場様 (FUSA)
2020-08-15 21:40:16
そうですね。
終戦記念日が近づくとテレビ各局で特別番組(ドキュメント、ドラマ問わず)を組みますが、制作する人たちもほとんど戦争経験はないですから、見ていて現実感に乏しい番組が多くなったような気がします。
返信する
Unknown (小父さん)
2020-08-15 21:52:37
すみません、たくさん書き連ねておりましたが、今削除してしまいました。下記をどうぞご笑覧ください。

祖父、父(ニューギニアで終戦)とも陸軍士官学校出の軍人でしたし、長兄は熊本の幼年学校時が終戦です。父や長兄からは戦争中の話は全く聞かなかったです。

現在の私は平和憲法そのもので育ったわけですが、父の住んでいた世界と自分、そして息子や孫が生きていく時代も、戦後75年の今までと同じような世界で暮して行くことを願っています。

正直なところ、父の時代を肯定はしませんが、また父の人生を否定したくもない、答えを持たない自分が今後も続くだろうと考えています。

テレビをたくさん観ていますが、悲惨な戦場の実写フイルムを直視出来ないのも自分です。

失礼致しました。
返信する
Re:小父さん様 (FUSA)
2020-08-16 05:05:31
お父様はニューギニアですか!
大変な目に遭われたでしょうね。おそらく息子に話して聞かせられるようなご体験ではなかったとお察しいたします。

わが父は戦時中は軍需工場の青年学校で教員をやっていましたので、幸い戦地に行くことはありませんでした。B29の空襲を何度か受けて多くの仲間を失ったことはよく話していました。

おっしゃるとおり、息子や孫たちも戦争とは無縁だったこの75年のような日本で生きて行ってほしいと願っています。

戦没者といいますが、その多くが戦わずして亡くなっていますのでね。無念だったでしょうね。

最近のテレビなどで戦争の犠牲者の映像をあまりにも無神経に流すのが気になります。おそらくどこか遠い世界の出来事のような気がしているのでしょう。これも世代が変わって段々現実感が薄れてきているのでしょう。(>_<)
返信する
75年前 (Aちゃん)
2020-08-17 21:25:13
よほど ブログネタが 無い場合には登場する話題ですが 今年は数年ぶりに 書いてしまいました。空襲の記憶を 同期の人に ラインで 送ってしまったが 空襲には 関係が無かった地域に 育った方は 関心の持ち方が違って当然かも??
返信する
Re:Aちゃん様 (FUSA)
2020-08-17 22:07:06
私もしばらく終戦記念日のことは触れていませんでしたが、今年はなぜか急に書きたくなりました。

2013年の記事も読ませていただきました。
幼い頃のご記憶が残っていらっしゃるんですね~
私は終戦の翌年2月の生まれですので、もっぱら父や叔父の話でしか知りません。
返信する

コメントを投稿

サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。
ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。