徒然なか話

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加藤清正の家紋論争!?

2012-10-24 18:17:33 | 歴史
 津々堂さんのブログ「津々堂のたわごと日録」で繰り広げられている加藤清正の「桔梗紋」についてのやりとりが実に興味深い。加藤家の家紋は「蛇の目紋」、「桔梗紋」、「折墨紋」の三つを用途に応じて使い分けていたことが知られているが、そのうち「桔梗紋」を使い始めた由来について、熊本城の公式ホームページなどでは
 「清正が肥後に赴くにあたり、秀吉は前年に改易した讃岐の尾藤知定の武具・調度一切を清正に与え、その尾藤家の紋が「桔梗」。清正は桔梗紋の入った武具・調度をそのまま使い自分の家紋にした」と説明している。
 たしかに僕らも今までそう聞いてきたし、加藤神社の湯田宮司が書かれた「仰清正公」の中にもそう書かれている。
 これに対し“mino阿弥”さんという方が「津々堂のたわごと日録」にコメントを寄せられて、実はそうではなく、加藤清正の出自を遡ると、加藤家は美濃国の土岐明智氏流であり、その一族が家紋としていた「桔梗紋」が由来ではないかというのである。何の史料も知識ももたない僕はどういう帰結になるか見守るしかないが、わが京町はかつて加藤神社が鎮座していたゆかりの深い町であり、とても興味深い話である。
 ちなみに京町の商店主で構成される京町繁栄会のキャッチフレーズは
 「京町はせいしょこさんのおひざもと!!」である。


わが京町では普通に見かける加藤家の「桔梗紋」


加藤神社の幟旗には「蛇の目紋」と「桔梗紋」が併用されている


熊本城での催事には加藤家の「蛇の目紋」と細川家の「九曜紋」の陣幕が併用される


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