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徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

山鹿灯籠まつりの歴史

2021-08-25 19:45:30 | イベント
 今年の「山鹿灯籠まつり」も一部神事が行われただけで終わった。2年も続くと、来年はやれるんだろうかと心配になる。1年後にコロナが終息しているという保証は何もない。
 
 ところでこの「山鹿灯籠まつり」は景行天皇の九州巡幸の際のエピソードが起源だという。曰く
 景行天皇が、玉名から山鹿に向けて進む際、一面濃霧が立ち込めて進路を阻んだので、里人が松明をかかげて一行を迎え、今の大宮神社辺りへ導いた。その時の松明が山鹿燈籠の起源と伝えられる。

 ただ、この話は日本書紀に書かれている景行12年、西暦でいうと82年の話。日本書紀はフィクション、ノンフィクション取り混ぜた物語なので、そのつもりで読んだほうがよさそうだ。
 この景行天皇の九州巡幸は、時のヤマト王権に従わない熊襲や各地の土蜘蛛(土地の豪族)たちを征伐していく話なのだが、山口県の防府辺りから始まる。九州に上陸すると福岡県、大分県、宮崎県と東側を巡り、さらに鹿児島県、熊本県、長崎県、島原から有明海を渡り再び熊本県へ入る。おそらく長洲あたりに上陸したのだろう。そこから山鹿へ向かうときに上記のエピソードが生まれるわけだ。

 しかし、景行天皇を導いた松明がいきなり灯籠に変わったわけではなさそうだ。灯籠というのは本来仏具。室町時代、枯渇した温泉を祈祷によって復活させた、金剛乗寺中興の祖、宥明法印の没後、追善供養のために灯籠が奉納されるようになり、それが灯籠まつりになったという説もある。1000年以上も続いた神仏習合の時代。いつの頃からか景行天皇の伝説と結びついていったと考えられる。

 今日のような灯籠おどりを中心とした「山鹿灯籠まつり」になったのは昭和も戦後10年ほど経ってからのことであり、まだ70年足らずの新しい祭りでもある。

 能「土蜘蛛」は平安時代の武将、源頼光による妖怪「土蜘蛛」退治の話だが、景行天皇時代の土蜘蛛征伐の伝説が下敷きになっているともいわれる。


2014.8.2 水前寺成趣園能楽殿 出水神社薪能 金春流「土蜘(つちぐも)」


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2 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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Re:小父さんK 様 (FUSA)
2021-08-25 22:26:03
景行天皇の九州巡幸は、古事記には一切出てこないんです。役回りとしては古事記のヤマトタケルにあたるのでしょうか。主役級の人物です。

玉名から山鹿へ向かったのが本当だとすると道も整備されていない時代ですから、菊池川を舟で遡ったとも考えられます。フィクションとしてもそちらが面白いような…(笑)

> 朝貢や租税を納めなかった…

そういうことですね。恭順の意を物的なもので示す時代でしょうからね。

灯籠まつりの拠点たるべき金剛乗寺が今日、まつりの表舞台に登場しないのは明治初期の神仏分離と廃仏毀釈が影響していると思われます。

> 動画の「山鹿灯篭まつり千人踊り」・・・

やはり、灯籠を頭にいただく千人の女性による群舞を考え出したことが大成功だったと思います。

次の世代への継承が最重要課題だと思います。
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Unknown (小父さんK)
2021-08-25 21:07:15
>景行天皇の九州巡幸の際のエピソードが起源だという

へーっ、景行天皇って行動的な方だったんですね。

>一面濃霧が立ち込めて進路を阻んだので、里人が松明をかかげて一行を迎え

フィクションにしろ洒落た逸話ですね。
伝説なんてのはどれもよく似たものなんでしょう。

「ヤマト王権に従わない」とは朝貢や租税を納めなかったことでしょうかね?

>追善供養のために灯籠が奉納されるようになり、・・・

だいぶ現実味を帯びているようです。

動画の「山鹿灯篭まつり 千人踊り」のシーンに圧倒されました。
見事と言おうか、圧巻ですね。
これが2年も無いと、後の受け継ぎが心配ですね。
ん?踊り手は皆女性なんですね!?

有難うございました。
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