このgooブログの編集ページには「あの年の今頃、何してた?」という企画があり、過年度の同じ時期にアップロードした記事の写真をサムネイルで表示してくれる。今朝見た時は5年前の2007年7月の写真が表示されていた。その中でどうしても思い出せない写真が1枚あった。気になったので2007年7月の記事を確認してみた。するとそれは下記のとおり、柏崎刈羽原発の事故についての記事で、写真は刈羽原発を上空から見た「Google Earth」の画像だった。記事を読みながら、最近話題の政府が行なっている「エネルギー政策に関する意見聴取会」のことを思い出した。そして日本は昨年、未曽有の大災害を経験しながら、5年前と何も変わっていないような気がした。
それはさておき、柏崎は僕が高校3年のインタハイ前、水球の夏合宿をやった思い出の地。現在、柏崎には高校や大学のチームの他、社会人のチームまである「水球の町」として市をあげて振興を図っている。大いに期待する一方、わが熊本の水球事情を振り返ると寂しい思いが交錯した。
刈羽原発(2007.7.18)
新潟県中越沖地震で柏崎刈羽原発は3号機の火災が発生したが、その後も次から次にその他の事故の発表が続き、耐震性の設計に問題があるのではないかと指摘されている。記者会見における東電側の対応もしどろもどろと言った感じで、地域住民に不安を与えているようだ。要するに設計上の想定を大幅に上回る地震が来たということなのだろうが、見通しが甘いのではないかとの記者からの質問に、東電の担当者も何か奥歯にモノが挟まったような感じだ。勝手に解釈すると、建設時に想定している地震の強さは「強くてもこのくらいでおさまってほしいなぁ」という希望的観測のレベルではないだろうか。それ以上の耐震強度を要求するとイニシャルコストがかかり過ぎて採算がとれない・・・おそらくそんなことなんじゃないかな。それが答弁の歯切れの悪さになっているのだろう。これからは人間の想像を絶するような自然災害が度々起こるような気がしてならない。そんな時、どんな建物や構造物も絶対安全ということはあり得ないと心しておかねばならないだろう。
それはさておき、柏崎は僕が高校3年のインタハイ前、水球の夏合宿をやった思い出の地。現在、柏崎には高校や大学のチームの他、社会人のチームまである「水球の町」として市をあげて振興を図っている。大いに期待する一方、わが熊本の水球事情を振り返ると寂しい思いが交錯した。
刈羽原発(2007.7.18)
新潟県中越沖地震で柏崎刈羽原発は3号機の火災が発生したが、その後も次から次にその他の事故の発表が続き、耐震性の設計に問題があるのではないかと指摘されている。記者会見における東電側の対応もしどろもどろと言った感じで、地域住民に不安を与えているようだ。要するに設計上の想定を大幅に上回る地震が来たということなのだろうが、見通しが甘いのではないかとの記者からの質問に、東電の担当者も何か奥歯にモノが挟まったような感じだ。勝手に解釈すると、建設時に想定している地震の強さは「強くてもこのくらいでおさまってほしいなぁ」という希望的観測のレベルではないだろうか。それ以上の耐震強度を要求するとイニシャルコストがかかり過ぎて採算がとれない・・・おそらくそんなことなんじゃないかな。それが答弁の歯切れの悪さになっているのだろう。これからは人間の想像を絶するような自然災害が度々起こるような気がしてならない。そんな時、どんな建物や構造物も絶対安全ということはあり得ないと心しておかねばならないだろう。