徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

東雲節(修整版)

2023-07-27 22:28:39 | 音楽芸能
 4年ほど前にYouTubeに「東雲節(しののめぶし)」をアップした。音源は戦前に録音された端唄名人・藤本二三吉さんの唄なのだが、2番の歌詞が聴き取れず、歌詞を探したものの結局見つからなかったのでやむなく1番のみ字幕を入れた。
 つい先日、ひょっとして江戸端唄・俗曲師範の笹木美きえさんならご存じかもしれないと思いつき、おたずねしてみた。笹木さんも初めて聴く歌詞だったそうだが、何とか解読していただいたので2番の歌詞も字幕を付けて再アップした。
 ちなみに「東雲節」は元歌となった端唄をもとに数多の歌詞が作られ歌われているという。
 熊本県大百科事典には次のように紹介されている。

 熊本とかかわりのある民謡で、のちにストライキ節となって流行する。本来は端唄の一種で、元歌の

〽なにをくよくよ川端柳 こがるるなんとしょ
 水の流れを見てくらす
 東雲の暁の鐘 ごんとつきゃ辛いね
 てなことおっしゃいましたかね―

は、遊客が敵娼(あいかた)とのきぬぎぬの別れを惜しむ情歌だった。それが明治30年代から全国的に起きた娼妓解放運動にひっかけて、次のような替え歌が普及したといわれる。

〽祇園山(花岡山)から二本木見れば 倒るるなんとしょ
 金は無かしま(中島) 家も質(茂七)
 東雲のストライキ さりとは辛いね
 てなことおっしゃいましたかね―

 東雲というのは熊本市二本木遊郭の大店・東雲楼のこと。米相場師中島茂七の経営で、90人の娼妓を抱える御殿のような豪勢さだったが、借金に縛られる娼妓たちの生活にはひとかけらの自由もなかった。しかし全国的解放運動の中で、熊本でも明治33年(1900)10月から12月にかけて110人前後の廃業届が出た。楼主たちはありとあらゆる手段を使って自由廃業を妨害したが、そうした楼主たちの悪どさ、それに廃業した娼妓たちが容易に社会復帰できない哀れな現実を歌ったストライキ節が流行したのである。楼主の名前を巧みに盛り込んだ替え歌は、娼妓と民衆との間の一種の共同幻想の歌といってよかろう。この時期には二本木遊郭での娼妓の集団脱走やストライキの記録は残されていない。
(藤川治水・小川芳宏)