八代海干拓事業の遺跡が「八代海干拓遺跡」として国の史跡に指定されることになったというニュースが先日流れていた。
八代海の干拓事業で、江戸時代後期から昭和初期にかけて築かれた八代市の堤防や樋門が「八代海干拓遺跡」として新たに国の史跡に指定されることになりました。国の史跡に指定されるのは、八代市にある「高島新地旧堤防跡」と「大鞘樋門群」、それに「郡築樋門群」の合わせて6つの構造物です。いずれも八代海沿岸に農地を作り出すために行われた干拓事業により、江戸時代後期から昭和初期にかけて作られました。(NHKニュースより)
八代は、父が太田郷小学校に長く勤め、熊本から汽車通勤をしていたが、日曜日にはよく僕を連れて行った。幼い頃の思い出が残る懐かしい町だ。しかし、その後なぜか八代とは縁遠くなってしまった。3年前に約60年ぶりくらいに訪れたが、父が生きていればおそらく八代へ連れて行けというだろう。八代は昨年、豪雨災害に見舞われたりもしたが、今回の国史跡指定が八代の町の観光振興に効果をもたらしてくれれば喜ばしい。

大鞘樋門跡
▼八代干拓工事の作業歌として歌われ始めたという「八代おざや(大鞘)節」
八代海の干拓事業で、江戸時代後期から昭和初期にかけて築かれた八代市の堤防や樋門が「八代海干拓遺跡」として新たに国の史跡に指定されることになりました。国の史跡に指定されるのは、八代市にある「高島新地旧堤防跡」と「大鞘樋門群」、それに「郡築樋門群」の合わせて6つの構造物です。いずれも八代海沿岸に農地を作り出すために行われた干拓事業により、江戸時代後期から昭和初期にかけて作られました。(NHKニュースより)
八代は、父が太田郷小学校に長く勤め、熊本から汽車通勤をしていたが、日曜日にはよく僕を連れて行った。幼い頃の思い出が残る懐かしい町だ。しかし、その後なぜか八代とは縁遠くなってしまった。3年前に約60年ぶりくらいに訪れたが、父が生きていればおそらく八代へ連れて行けというだろう。八代は昨年、豪雨災害に見舞われたりもしたが、今回の国史跡指定が八代の町の観光振興に効果をもたらしてくれれば喜ばしい。

大鞘樋門跡
▼八代干拓工事の作業歌として歌われ始めたという「八代おざや(大鞘)節」