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徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

球磨川と洪水の歴史

2020-07-05 20:10:34 | 熊本
 記録的な豪雨で球磨川が氾濫し、甚大な被害をもたらしたが、日本三大急流の一つである球磨川はこれまでも度々氾濫し、「暴れ川」と呼ばれてきた歴史がある。ちょうど55年前、史上最大級といわれた氾濫とその後の経緯について今一度振り返っておく必要があるだろう。

 球磨川で戦後最大の洪水が発生したのは1965年7月。梅雨前線の停滞で降り続いた雨が7月2日夜に激しくなり、氾濫した。同県人吉市では市街地が広範囲で浸水し、同県八代市でも堤防が決壊。流域で家屋1281戸が損壊・流失し、1万戸以上が浸水した。
 この洪水を含め、63~65年に3年連続で大水害が起きたため、国は66年7月、治水を目的とした九州最大級の川辺川ダムを球磨川支流に建設する計画を発表。水没予定地の同県五木村から約500世帯が移転したが、反対運動の広がりを受け、蒲島郁夫県知事が2008年に建設反対を表明。翌年、民主党政権下の前原誠司国交相(当時)は計画中止を表明した。その後、ダムに代わる治水策の協議が続くものの、代替案は策定されていない。(西日本新聞より)


穏やかな球磨川(くまもとサプライズフィルム「くまもとで、まってる。」の一場面より)