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徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

風流ってナニ?

2022-11-03 19:13:07 | 伝統芸能
 国連教育科学文化機関(ユネスコ)の評価機関は、「風流踊」をユネスコ無形文化遺産へ提案することを決定し、熊本県荒尾市の「野原八幡宮風流」を含む24都府県41件の民俗芸能「風流踊(ふりゅうおどり)」を無形文化遺産に登録するよう勧告した、と文化庁が1日発表した。



 当初計画にはたしか「野原八幡宮風流」は含まれていなかったと記憶しているので、熊本県民としては喜ばしいことには違いないのだが、この「十把一絡げ」的な登録ってどうなの?という気がしないでもない。周りのおっちゃんおばちゃん達も「目出度いな、知らんけど」といった感じでその意味はよくわかっていない。文化庁によれば「風流踊」について次のように説明している。

「風流踊」は、広く親しまれている盆踊や、小歌踊、念仏踊、太鼓踊など、各地の歴史や風土に応じて様々な形で伝承されてきた民俗芸能。華やかな、人目を惹くという「風流」の精神を体現し、衣裳や持ちものに趣向をこらして、笛、太鼓、鉦などで囃し立て、賑やかに踊ることにより、災厄を祓い、安寧な暮らしがもたされることを願うという共通の特徴をもつ。

 これを読んでもよくわからないが、そもそも「風流」ってナニ?という疑問も湧く。
 折口信夫の著書に「能舞台の解説」という短編がある。自らが会主を務める観能の会での前説をまとめたものだと思われるが、能や松囃子と風流の関係性についての話がなかなか興味深い。その一部を抜粋してみた。



▼ユネスコ無形文化遺産への登録が勧告された「風流踊」一覧

ほかひびと ~芸能の源流~

2022-10-18 20:01:24 | 伝統芸能
 昨夜の「100分de名著 折口信夫“古代研究”(3)」は「ほかひびとの芸能史」と題して、日本の芸能はどのようにして発展したのかを解説していた。

 常世から祝福の言葉を述べにやって来る「マレビト(神)」。「マレビト」を迎えて食事を出したり歌を聴いてもらったりともてなすことが、一つの形式を生んでその形式というものが日本の芸能の源流となっていった。全国に残る神楽の中で折口が注目したのは長野県の「雪まつり」。翁面を着けた「マレビト(神)」のほかに「もどき」と呼ばれる別の翁が登場する。神の舞を真似しながら意図的に崩し、笑いを誘う。折口は日本の演芸の大きな要素をなすものとして「もどき」役の意義を重くみたいと述べている。近代の猿楽にあててみれば狂言方に当たるものである。そしてその「もどき」のルーツは「ほかひびと」であるとも述べている。

 日本の芸能史の始まりには「ほかひびと」という流浪の民の存在があった。「ほかい」とは「ほぐ(寿ぐ)」と同じ意味を持つ。折口によれば、「ほかひびと」とはもともと神の代りに祝福の言葉を述べる人すなわち宗教者だった。大和朝廷による権力統一や改宗を拒んだりして集落を追われる「ほかひびと」が出てきた。やがて彼らは家々を回って「ほかい」を行い金品を受け取る芸能者の道を歩むことになった。多くの人に「ほかい」を聞いてもらうために祝福の言葉に滑稽の身振りを加えて笑いを誘い、徐々に宗教的なあり方から脱却して行った。一方で彼らは流浪しながら施しを受ける賤しい身分の者として差別を受けたと考えられる。彼らの異様な風体も相俟って、忌み嫌われる対象ともなって行った。折口が雪深い集落で見た「もどき」芸は「ほかひびと」が険しい道のりの果てに伝えたものの一つだった。彼らの生き様は今も日本各地の祭に息づいているのである。

 概ねそんなような内容だったが、番組を見ながら次の二つのことが頭に浮かんだ。
 一つは能楽の原点とも言われる「翁」のこと。昨年3月に熊本でも行われた「翁プロジェクト熊本公演」で初めてナマで見た「翁」における「翁」と「三番叟」の関係はまさに、この「マレビト」と「もどき」の関係に他ならない。あらためて能楽ないし翁の深遠を感じた。


2021.3.9 水前寺成趣園能楽殿「翁プロジェクト熊本公演」~三番叟・揉みの段~

 二つ目は、川端康成の「伊豆の踊子」のこと。「ほかひびと」は後の世の旅芸人や門付け芸人へと繋がっていくわけだが、「河原乞食」とも呼ばれた流浪の芸人たちが蔑まれる様子が描かれている。天城峠の茶屋の婆さんや宿の女将らが旅芸人たちに向ける侮蔑のまなざし。そして村の入口には「物ごい旅芸人村に入るべからず」という立て札。淡い恋物語の向こうに酷い差別の現実が見える。


映画「伊豆の踊子」(1963年 日活)

御旅所御能奉納・御能組

2022-09-17 17:53:52 | 伝統芸能
 もし台風14号なかりせば明日の御旅所奉納能で演じられるはずだった御能組(プログラム)は下表のとおり。10月に延期されることになったが、役者さんたちのスケジュールもあってこのままの演目になるとは限らない。
 この中で未見は「六浦」のみだが、いずれも見ごたえ十分の演目ばかり。特に「枕慈童」は個人的にも思い出の曲。2014年の熊本城薪能でも演じられたが、今回同様台風の襲来で二の丸広場の特設舞台から手狭な本丸御殿大広間へと急遽会場変更となった。この時シテを務めたのは喜多流の女性能楽師・大島衣恵さん。女性がシテを務める能を見たのはこの時が初めてだった。
 不老不死の霊水で700年を生き続けねばならなかった童子の話。


御旅所能舞台の鏡板

2022-09-14 09:11:22 | 伝統芸能
 今朝の熊日新聞に下の記事が載った。藤崎八旛宮例大祭で御能奉納が行われる御旅所能舞台(熊本市中央区新町)の鏡板を崇城大美術学科の学生らが新たに描いたという。百年以上の歴史を有するこの能舞台は老朽化が進んだため、熊本市が昨年から改修工事を進め、檜をふんだんに使って見違えるほど美しくなっているのを6月末の新町大祓の時に見ていた。今回新調された鏡板は例大祭の「神幸行列」がある18日に〝こけら落とし〟が行われるという。
 神事として始まった原始の能は、野外に土を盛り上げただけの簡素な舞台で、神社の境内などの大きな老松の下などで行われた。まずこの自然木の老松に神を降ろすことから始まった。この神が宿った松の木を「影向の松(ようごうのまつ)」と呼ぶ。つまり、もともと舞台のそばにあった天然の松の木を模して描かれたのが能舞台の「鏡板の松」なのである。
 藤崎八旛宮例大祭の御能奉納は今年413回目。この能舞台が熊本の祭礼文化を次世代に継承し、熊本の能文化をさらに発展させる役割を担うことを願ってやまない。
 なお、例大祭の御能奉納は、神幸行列の朝随兵が御旅所に到着する午前9時から、金春流と喜多流の御能、和泉流の狂言が演じられる。観覧無料。


2022.9.14 熊日新聞朝刊より



改修工事前の鏡板

喜多流能楽師一行の南仏公演

2022-09-11 12:34:34 | 伝統芸能
 現在、南フランス能公演ツアー中の喜多流能楽師・大島衣恵さんがFacebookに中間報告を投稿されていた。その中で一行のエクサンプロヴァンス市長への表敬訪問が地元新聞に掲載されたことを紹介されていた。
 記事にはジョワサン市長とレイナル副市長が、交流都市である熊本市の大西一史市長と約1時間にわたってオンライン会議を行い、来年、交流都市10周年を迎える両市をつなぐプロジェクトやパートナーシップについて話し合った。その後、市庁舎で狩野了一さんを団長とする能楽師一行の表敬訪問を受けたことなどが書かれていた。

 熊本市とエクサンプロヴァンスとの交流は1984年の熊本日仏協会のエクサンプロヴァンス市訪問に始まるが、80年代初めからフランスでの能公演を行なっていた喜多流能楽師の狩野琇鵬さん(2016年没)が1992年、エクサンプロヴァンス市へ能楽堂を寄贈、以後も度々公演やワークショップなどを行なってきたことにより、2013年に両市の交流都市が締結された。狩野琇鵬さんは2009年にフランス芸術文化勲章「オフィシエ」を受章、2012年には「ジャンヌダルク600年祭」を記念して、自ら演出した新作能「ジャンヌ・ダルク」を、オルレアン、パリ、エクサンプロヴァンスで公演した。
 
 今回の能公演は9 月 9 日と10 日の両日、サンミトル公園に建つ能舞台「狩野丹秀記念能楽堂」で行われたという。


エクサンプロヴァンス市長へ表敬訪問する狩野了一団長


新作能「ジャンヌダルク」

今年は能が見られるか

2022-08-30 21:28:36 | 伝統芸能
 8月も明日で終わり、9月は例年なら秋のイベントが目白押しとなるシーズン。しかし、コロナ感染が高止まりの状態では開催を見送るイベントも多いだろう。
 ところで今年は能の公演をまだ一度も見ていない。コロナ禍が始まった2020年こそ観能ゼロだったが、昨年は予想外に4つの舞台を見ることができた。今年は3年ぶりの開催がアナウンスされていた「出水神社薪能」が感染拡大のため急遽中止となり、9月には「藤崎八旛宮例大祭・新町御旅所御能奉納」が予定されているがどうなるか予断は許さない。また例年10月の「熊本城薪能」も未だ開催のアナウンスはなく、模様眺めをしているのだろう。せめて1回でも見ることができたらラッキーなのだが。


2021年3月水前寺成趣園能楽殿で行われた「翁プロジェクト」熊本公演より「三番叟・揉ノ段」

二人三番叟にアクセス集中!

2022-08-27 21:29:18 | 伝統芸能
 昨夜、8年前に投稿した「二人三番叟」の記事に一時的にアクセスが集中した。そういえば「にっぽんの芸能」で「二人三番叟」をやるとかいってたなと思い出し番組表を確認すると、花柳寿々彦と藤間直三による「二人三番叟」が放送されたあとだった。その番組を見た視聴者が検索したのだろう。
 8年前の6月、某社の祝賀会で舞踊団花童のくるみ・あやのコンビが「二人三番叟」を披露することを知り、特別の許可をいただいて潜入し、見せていただいた時の映像をブログで紹介したのだった。ナマの義太夫節はその1年前、県立劇場で人形浄瑠璃「八陣守護城」を見て以来二度目だった。実はこの日、リハーサルから見ていたが、くるみ・あやのコンビによる初めての「二人三番叟」にもかかわらず、なかなか見ごたえのある舞だった。
 この動画は限定公開にしていたが、これを機会に公開することにした。


第27回くまもと全国邦楽コンクール ~映像を見ながら~

2022-08-21 21:10:12 | 伝統芸能
 6月12日、熊本市民会館で行われた「長谷検校記念 第27回くまもと全国邦楽コンクール」の映像がYouTubeで公開されたので、当日のことを思い出しながらじっくり鑑賞した。
 最優秀賞・優秀賞・奨励賞の受賞者の演奏を再見できたのは嬉しいのだが、受賞できなかった出場者の中にもう一度聴いてみたい方もおられたのでそれが残念だったが、映像編集の都合もあると思うのでやむを得ない。
 審査員を代表して講評された藤本草さん(伝統音楽プロデューサー)のお話の中で、27回目にして初めて熊本県から最優秀賞を受賞された箏曲の清原晏(きよはらはる)さんについて触れておられた。「清原さんが選ばれたのはけっして地元へ配慮したわけではなく、永い間、熊本の邦楽関係者が全国コンクールを開催し、邦楽の発展に尽くしてこられた努力が清原さんという形で結実したものだと考えている」というお話に感動した。
 素人の浅見に過ぎないが、今回の選考には昨今の演奏テクニック重視から、長谷検校の時代の「地歌のこころ」へ原点回帰する考えが働いたと思いたい。

※参考:くまもと全国邦楽コンクール「長谷検校と九州系地歌


郡上おどり ~かわさき~

2022-08-14 21:27:40 | 伝統芸能
 先週木曜日(11日)、BSプレミアムで新日本風土記「郡上八幡」を放送していた。初回放送は10年前だそうだが、たしか見るのは今回が2回目だ。岐阜県郡上市八幡町。毎年、三十三夜にわたり盆踊りが開催され、なかでもお盆の4日間は、朝4時まで徹夜で踊り明かすことで知られている。参加者のエネルギーには感心させられるが、その徹夜おどりのクライマックスで踊られる曲の一つが「かわさき」。「かわさき」というのは、三重県伊勢市の勢田川に沿った商人町河崎で江戸中期の頃から謡われていた俚謡。全国各地からやって来るお伊勢参りの人々によって各地に伝えられた。郡上八幡にも伝わり、題名もそのまま「かわさき」として謡い継がれているという。そしてこの「かわさき」がもとになって「伊勢音頭」が出来上がったという。
 さて、その徹夜おどりが昨日から始まっているはずだが、コロナ禍の中、どんなまつりになっているのだろう。

   ▼東海風流プロジェクトによる「かわさき」



   ▼「かわさき」から発展した「伊勢音頭」

わが父と謡曲「田村」

2022-08-06 22:50:47 | 伝統芸能
 相次ぐ夏イベントの中止のなかでも、僕が最も残念だったのは今夜行われる予定だった「出水神社薪能」の中止。3年ぶりということもあったが、事前に発表されていた今回の演能が「田村」だったからである。今年は2000年に他界した父の二十三回忌の年。その父の思い出の謡曲が「田村」だったので供養にはちょうどよかったのだが。
 父はまだ四つか五つの頃、立田山麓の泰勝寺に住んでおられた長岡家に日参していた。お坊ちゃまの遊び相手としてだったが、お屋敷で謡曲のお稽古が行われる日は、幼い父も末席に侍らせられていたという。父は謡曲「田村」の「ひとたび放せば千の矢先・・・」という一節だけは終生忘れなかった。

▼「田村」あらすじ
 東国の僧が都に上り、春のある日、清水寺を訪れました。そこで箒を持った少年と出会い、聞けば、地主権現に仕える者であると応えます。清水寺の来歴を尋ねる僧に、少年は、坂上田村麿[田村丸]が建立した謂れを語りました。また問われるまま、少年が近隣の名所を挙げるうちに日は暮れ、やがて月が花に照り映える春の宵を迎えます。少年と僧は「春宵一刻値千金」の詩文を共に口ずさみ、清水寺の桜を楽しみます。少年は折からの景色を讃えながら舞いを添え、田村麿ゆかりの田村堂という建物に入っていきました。
 残された僧の前に清水寺門前の者が現れて、清水寺の縁起を語り、少年は田村麿の化身だろうと述べ、回向を勧めます。夜半、僧が法華経を読誦していると、武者姿の田村麿の霊が現れます。田村麿はかつて、鈴鹿山の朝敵を討ち、国土を安全にせよ、との宣旨を受けて、軍勢を率いて観音に参り、願をかけたことを語ります。その後、見事に賊を討ち果たした有様を見せて、これも観音の仏力によるものだと述べて、物語を終えます。(the能ドットコムより)


出水神社薪能・火入れ式

2016.8.6 水前寺成趣園能楽殿 第57回出水神社薪能における金春流能「田村」(シテ 田中秀美)


郷土芸能の伝承

2022-07-29 22:08:12 | 伝統芸能
 今日の熊日電子版に、3年生が卒業し部員ゼロとなった牛深高郷土芸能部に16人が入部。31日に初舞台を迎えるという記事が載っていた。
 6月2日に行われた熊本県高校総合文化祭パレード・郷土芸能部門の常連である牛深高郷土芸能部と鹿本農高郷土芸能伝承部が妙に寂しかったことが気になっていた。
 牛深高については今日のニュースで事情がわかってホッとした。一方の鹿本農高も31日から東京で始まる「とうきょう総文2022(第46回全国高等学校総合文化祭)・郷土芸能部門」に出場することが決まっているので部員も揃ったのだろう。郷土芸能は伝統を繋いでいくことが大変だと聞く。両校とも頑張ってまた次の世代に繋いでいってほしい。

 2014年の熊本県高校総文祭パレードにおける両校の様子を振り返ってみた。




無縁墓と「卒都婆小町」

2022-07-11 20:39:22 | 伝統芸能
 今日は早朝から家内と盆の墓掃除とお参りに行った。立田山西麓のわが家の墓は三方を無縁墓に囲まれている。それらの墓石には6年前の熊本地震で倒れたままのものやあらぬ方向を向いてしまったままのものもある。掃除はほとんどがその無縁墓からわが家の墓地に侵入してくる雑草の刈り取りだ。特に葛は繁茂力が強いので始末が悪い。おそらくこれからこのように放置された無縁墓が増えて行くのだろう。

 そんな無縁墓を眺めていたら、ふと能「卒都婆小町」を思い出した。これまで2回、NHKの「古典芸能への招待」で見た。一度は友枝昭世さん、もう一度は観世清和さんがシテだった。そのあらすじは

――高野山での修行を終えた二人の僧が摂津国で一人の老女に出会う。その老女はあろうことか、卒塔婆(墓標)に腰掛けて休んでいた。僧はこれを見とがめ、立退かせようと説教を始めるが、禅問答よろしく老女に言い負かされる。実はこの老女こそ、かつて美貌と才女の誉れ高い小野小町の老残の姿であった。小町は華やかな昔に引きかえ今の零落ぶりを語っていたが…――

 この歳になると、人生の栄枯盛衰の物語が、わが人生と照らし合わせながら妙に心に響く。


能「卒都婆小町」(一部)

山鹿盆踊唄

2022-07-09 21:55:29 | 伝統芸能
 3年ぶりの復活が発表された「山鹿灯籠まつり」のメインイベント「千人灯籠踊り」。浴衣姿の女性たちが和紙でできた灯籠を頭にのせて踊る幽玄の世界が広く知られているが、今年は規模を縮小して行われる。
 「山鹿灯籠まつり」で踊られる曲は3曲。主に踊られるのがこのまつりを象徴する「よへほ節」。明治初期から湯の町山鹿のお座敷唄として歌われていたが、昭和9年に山鹿の旦那衆が大作詞家・野口雨情を招き、温泉町再興のためのご当地ソングとして改作したもの。
 2曲目は「山鹿盆踊唄」。戦後、古墳時代の景行天皇九州巡幸に由来をもつ灯籠まつりを、それとは別に行われていた盆踊りと合体させ、今日のような灯籠まつりの形に再構成した功労者の一人、民俗学者で放送作家の木村祐章によって作られた。
 3曲目は「米原長者口説き歌」。1300年前、大和朝廷によって築かれた鞠智城(きくちじょう)がある米原地区に、当時から語り継がれている「米原長者伝説」。暮れる太陽を呼び戻し、一晩で三千町歩の田植えをしたという長者伝説をもとに作られたのがこの歌である。

 今日はそのうちの「山鹿盆踊唄」を次の二つの映像でご紹介したい。




3年ぶりの出水神社薪能

2022-07-03 20:07:16 | 伝統芸能
 ここ2年、コロナ禍のため開催されなかった「出水神社薪能」が、2019年の第60回記念大会以来3年ぶりに行われます。
 水前寺成趣園の真夏の宵を彩る「出水神社薪能」は、全国各地の神社仏閣などで行われる薪能の中でも五番目の古い歴史を持つといわれています。水前寺成趣園能楽殿は、もともと八代の松井家の能舞台で、昭和61年(1986)に、昭和天皇御在位60年を記念して松井家より移築奉納されたものです。
 今回の番組は未発表ですが、久しぶりの成趣園での薪能が楽しみです。

  と き:令和4年8月6日(土)午後6時より
  ところ:水前寺成趣園内 出水神社能楽殿
  観覧料:無料




前回の第60回記念大会では熊本市出身の金春流能楽師・本田光洋師が「替ノ型 羽衣」を務める




二つの民謡「田原坂」

2022-06-21 15:29:04 | 伝統芸能

 「世界の民謡・童謡」というサイトがあります。日頃よく利用させていただいていますが、先日、このサイトで熊本県民謡の「田原坂」を見ますと、以前見た時に試聴動画として掲載されていた島津亜矢さんの「田原坂」が再生不可となっていました。
 そこで、本條秀美さんが唄っておられる「正調 田原坂」を掲載していただきたいと、サイトへお願いをしておりましたところ、本條秀美さん唄う「正調 田原坂」と歌謡曲調の「田原坂」の2本が掲載されました。
 それが下記のページですが

   世界の民謡・童謡 ~田原坂~

 紹介していただいたことはありがたいのですが、この2曲の違いが気になり始めました。
 以前から「田原坂」には熊本節と鹿児島節があるという話は聞いていましたが、細かいことは知りませんでしたので、本條流民謡三味線の本條秀美さんにおたずねしてみました。
 本條さんのご回答は概ね次のとおりです。
  • この歌謡曲調の方の「田原坂」は鹿児島県民謡「豪傑節」です。
  • 歌詞が全く同じですから、これらの曲は全て「田原坂」として勘違いされる方も多い。
  • 私が民謡を始めた40年位前、「田原坂」と「豪傑節」の違いについて師匠の本條秀太郎先生に尋ねたことがあります。それによると、この歌がレコード化された時に「豪傑節」も「田原坂」の曲名でレコーディングされ、それが全国に広まったと聞きました。その違いをずっと指摘してきたので、最近は大分それが認識されるようになったとも聞きました。しかし、民謡にあまり関心のない方々にはまだ浸透していないのでしょうね。

 というわけで、現在は二つの民謡「田原坂」が存在します。もともとお座敷唄として生まれた「田原坂」ですので、ところ変わればまた異なるアレンジが加えられてきたのでしょう。要はそれぞれが永く唄い継がれていくことが大切だと思います。

     ▼正調 田原坂


     ▼田原坂(豪傑節)