ボクの奥さん

ボクの奥さんは、甲斐よしひろさんの大ファン。そんな彼女との生活をお話したいと思います。

Happy Go Lucky!(5/16)より抜粋

2024-05-20 14:55:00 | メディア
甲斐さんのビルボードツアーは、10年目にして初の福岡公演開催となりましたが
その2日前、長岡さんがラジオ番組で「甲斐さんの話をしてた♪」と奥さんが騒いでいたから(笑)
ボクも、その録音を聴いてみたところ、なかなか興味深かったので、ご紹介したいと思います♪

番組が始まり、ほどなくして、長岡さんが…
「今日の1曲目はね…これね、50年前のヒット曲ですけども
個人的にもね、この曲に隠された1人の思い出やエピソードがたくさんある…聴いて下さい
『猫』っていうグループなんですけど『地下鉄に乗って』」…と曲を紹介された時
奥さんは「この曲、甲斐さんも大好きだよね」と思いながら聴いていたらしい

曲が明けると…「これ、ナンか、地下鉄に乗ってる様子がよく判るでしょ?」と長岡さん
「だから、長崎県はね、地下鉄がないですけど、この曲を聴いてさ
これ、50年前なんです、今から…この『猫』っていうグループは、全員がね、早稲田大学出身者です

これ、あの…前身を言うとね、早稲田大学に当時
『ザ・リガニーズ』って、ザリガニじゃないです(笑)
『ザ・リガニーズ』っていうバンドがいて、ヒットしてたんですよ
…で、ボーカリストが、新田さんっていう人で
私たち甲斐バンドとか、チューリップとか、ミカバンドのプロデューサーだったんです」
…って、チューリップの「心の旅」のリードボーカルに、姫野達也さんを抜擢なさった方ですよね?

ちなみに、甲斐バンドに関しては、アルバム「この夜にさよなら」「誘惑」
「マイ・ジェネレーション」をプロデュースされてます♪

ともあれ…「…で、新田さんは、そのバンドをヤメて、東芝EMIっていうレコード会社に入って
プロデューサーになって、私たちを育てた挙げ句
たくさんのヒット曲を生み出して、そのあと、東芝EMIを退社して
ファンハウスっていうレコード会社を作って、そこで、数々のアーティストのヒット曲を作りました
私が尊敬するプロデューサーの1人ですね

その『ザ・リガニーズ』の他のメンバー2人と
早稲田にいた、もう1つのバンドが『ジ・アマリーズ』…字余り~(笑)
『ジ・アマリーズ』に田口清さんって人がいたんですけど…
…で、結成されたのが、この『猫』ってバンドなんですよ

この『ジ・アマリーズ』のベース担当だった人が、坪野さんっていうんですけども
私が、ポニーキャニオンに入った時の私の上司で
私にディレクターの仕事を教えてくれた人なんですよ
…で、坪野さんは、研ナオコさんとか、ALFEEを育てたディレクターで
彼も私が尊敬するディレクターの1人、ね?

『ザリガニ』とか『字余り』など、この頃、早稲田大学で
ナンか、変な語呂合わせが流行ってたんですか?(笑)
でも、そうやってね、結成されたのが、この『猫』なんですが

同じ早稲田出身の後藤由多加さんって人がいたんです
これもね、この人が、吉田拓郎さんと一緒に作ったプロダクションが『ユイ音楽工房』ってトコなんですけど
そこに、かぐや姫とかいっぱいいるんですよ、そのプロダクションに…

…で(『猫』は)そこに入って、吉田拓郎さんのバックバンドとして活動することになるんですね
…で、この曲は、吉田拓郎さんがコンサート本番前の楽屋で
即興的にメロディを付けて、コーラスを上げて、そのあとコンサートで即演…即演奏したらしいです

私、当時ね、福岡にいたんですね、その…大学生で
…で、甲斐よしひろくんと、よーくこの曲を聴いていて、行ったことのない東京の地下鉄…
『地下鉄丸ノ内線ってあるけな?』みたいな感じでね(笑)その丸ノ内線に出て来る駅名…
四ッ谷とか、赤坂見附とか、新宿とか出て来るんですけど、憧れは抱いてました

…で、だから、上京して高円寺に住んだんですけども、高円寺には、この丸ノ内線…
地下鉄丸ノ内線が走ってて『新高円寺』ってトコね」と話されてましたが
甲斐バンドの皆さんの「共同生活」が、高円寺で始まった理由として
田家秀樹さんは、著書「ポップコーンをほおばって」の中で…

初代のマネージャーでいらした、日吉孝夫さんが高円寺在住でいらしたことや
あるいは、当時、甲斐バンドが所属なさっていたシンコーミュージックまで
丸ノ内線1本で行けたことなどを挙げられたあと
当時の皆さんは、池袋に行くのに、丸ノ内線を終点まで乗っておられたとお知りになって
「わかりやすさ」が一番だったのかも知れないと記されてました(笑)

ともあれ…「そいで『赤坂見附』とか『四ッ谷』とか『新宿』といった駅を通過するたびに
この頭の中でね、この曲、流れてました
『♪今、四ッ谷を…♪』とか…『あっ、四ッ谷だー!』とかね『♪赤坂見附を…♪』とか歌って
『ああ、ここが赤坂見附か』とかね、この曲で覚えて行ったんです
そんな感覚がありますね」と話されたあと

「でも、甲斐よしひろくんはね、この当時、福岡でね、この曲に影響されたのか?知らないけど
西鉄電車の駅名が入った『昔話』という曲を作って歌ってた
この曲がね、私は名曲だと思ってます、今でも…スッゴいイイんですよ

電車に乗ったら、久しぶりに、昔つき合ってた彼女が乗り合わせてて…っていうね
吊り革に並んで、2人は話をしてるっていうね、そういうお話なんですけど
『これ、イイ歌だな!』と思いましたよ、甲斐くんをね『天才だ!』と思いました

『レコーディングして、もう1回、聴かしてくんないかなあ』と思うんですけどね
今のバンド形態とは、ちょっとタイプが違う音楽なんでね
(『地下鉄に乗って』みたいな)こういうフォーク調の曲なんですよ」
…と、絶賛なさってましたが、奥さんは、福岡公演初参加の甲斐友さんの「聖地巡り」プランに
この「昔話」の歌詞を逆向きに辿り、大橋界隈(笑)を散策するコースを組み込んでいたこともあり
長岡さんの言葉にテンションが爆上がりしておりました(笑)

それはともかく…「さて…この曲(『地下鉄に乗って』)の歌詞を聴いて、想像するとね
この歌詞からね『彼』はね、彼女と一緒に映画を、たぶん観てるんですけど
丸ノ内線に乗って行くと、銀座、日比谷って通るんですけど
銀座とか日比谷に映画館いっぱいあるので、そこに映画を観に行ってんですよ、ね?

この1972年のヒット作はね『ある愛の詩』『小さな恋のメロディー』とかね
そういうのがヒットしてた…たぶん、どっちかを観たと思うんですよ
『ゴッドファーザー』とか『007』『男はつらいよ』なんかも、この頃、ヒットしてたんですけど
まっ、彼女と観に行く映画じゃないので…

それが、帰りの電車の中で、映画の感想なんかを、こう…語り合いながら
丸ノ内線の高円寺か荻窪辺りのアパートに帰って行ってるんじゃないかな?と推測されます
…で、赤坂見附を過ぎて、四ッ谷の駅を通り過ぎて、新宿の手前の駅…

たぶん、新宿御苑辺りで下車して、余韻を噛みしめながら
『一緒に歩かない?』『歩きませんか?』って感じで
『降りない?』とかって誘ってますよね、ナンか、これね…
でも『もし、君がイヤだったら、このまま君は帰っていいよ』と歌ってますね、優しい男ですよ、これね

このボーカルの田口清さんがね、このあと、不慮の事故で亡くなるんですよ
自分の子供を一緒に自転車に乗せていて、自転車が転倒した時に
咄嗟に子供を庇って、自分の頭を強打して亡くなりました
これにも出てますけど、優しさが…ナンか、滲んでますよね?懐かし~い!名曲ですね
『これ、地下鉄の宣伝に使えばいいのにな』と、よく思うんですけどねぇ」

…と、歌詞を読み込まれ、イメージを膨らませておられるご様子は
甲斐バンド時代、甲斐さんが歌詞をお書きになる際に、よくアドバイスなさっていたという
エピソードと重なったらしく、奥さん遠い目…(笑)

ちなみに…大橋界隈散策は、福岡公演2日目のライブ前に予定していると聞いていたので
「ああ、今頃、西鉄電車に乗ってるのかな?」とか
「そろそろ、ライブ会場に着いたかな?」などと、時計を見るたび、想像していたんですが(笑)
奥さんからのLINEによれば、甲斐さんも久しぶりの福岡ということで
前乗りなさった日に、奥さん達にとっての「聖地」に足を運んでいらしたらしく

「JAPAN DAY」に参加した際に敢行した「ニューヨーク聖地巡り」と同じ場所を
甲斐よしひろバンドの皆さんも巡っていらしたり
福岡ライブ当日の昼間に、散歩がてら巡った聖地に
「かさぶた」発刊前の甲斐さんも、挿入写真の撮影のため
母校やご生誕の地を訪れておられたことを明かされた時のことを思い出したんだとか…(笑)
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