ボクの奥さん

ボクの奥さんは、甲斐よしひろさんの大ファン。そんな彼女との生活をお話したいと思います。

今さらながら…その2

2013-02-04 01:07:17 | 日記
幼い頃から音楽に溢れた環境で育ったという甲斐さん

セミプロのマンドリン奏者だったお父様
音楽好きなお兄様方に囲まれて

カントリーからジャズから
演歌・歌謡曲まで何でも聞いていたという


お父様に連れられ家の隣のスナックで
歌を披露していたことが嫌になったり

学校の音楽の授業では
キーが合わなかったり、コブシをつけて叱られたりで

人前で歌うことはなかったらしいけど

FENを聴いたりレコードを集めたりと
音楽を聴くことは人一倍好きな少年だったらしい


リバプール・サウンズから
ブリティッシュ・ミュージックに傾倒して

デイブ・クラーク・ファイブのファンクラブに入会したことも…(驚)


ただ一番最初に欲しくて堪らなかったレコードが

【女と男のいる舗道】のサントラ盤だったのが
今思うと少し哀しいそうだ(笑)


ゴダールの映画がどうこうではなくて…
だって当時の甲斐さんは小学生でしょう?(笑)

曲の構成にヤラレちゃったらしい(笑)

同じ起伏のリズムでメロディが繰返し
気分をどんどんハイにさせておいて

唐突にブレイク…2秒後にまた始まる
そういうセンセーショナルなのが好きで
すごく影響されているという


パーカッションを多用された時期があったし
甲斐さんってギターリフがお好きみたいだし…(笑)


甲斐バンドを『日本人の血のブルースバンド』と
呼んだ方がいらっしゃったそうだけど

甲斐さんご自身が『当たってる』と言われたとか…


大森さんが初めて甲斐さんの歌を聴いた時に
ブルース・シンガーだと思われたという


甲斐さんも憂歌団みたいなバンドがやりたかったと
おっしゃったことがあるそうだ

よく甲斐さんのラジオで
憂歌団の曲を流しておられましたよね?


ハリー・ベラフォンテがライブで【マティルダ】を歌う時に

観客を上手く乗せて軽く煽りながら
最後は大合唱に持っていくようなコール&レスポンスが

甲斐さんのライブの原型になっているという

心当たりがあるどころじゃないです(爆)


甲斐さんがステージで衣装を1枚ずつ脱いでいくのは

ミック・ジャガーの影響らしいし
動きもどことなく似てますよね?

奥さんいわく…

煽るだけ煽ってスッと引くトコとか(爆)

単純にバックステップ踏む時に
『あっ!ミック!』って思う(笑)


ROCKSでセルフカバーをやることは
リスキーでハードルの高い作業だったという甲斐さん

そのアルバムの熱をライブでいかに伝えるか

オーディエンスの反応を感じて

ああ正解だったんだな
自分たちのスタイル、色が出来たんだなと

(アルバムにするだけじゃなく)
ライブでやって初めて曲が完結するんだと…


特に今回のツアーは
今までの総決算のつもりで挑んでいる

ずっと熱心に応援してくれる人に
感謝の思いを込めてやりますと
語っておられます


奥さんに言わせると

ずっと現役でライブをやってくれてることに感謝!!なんだそうだ(笑)
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今さらながら…その1

2013-02-04 00:51:43 | 日記
40周年イブ最初のツアー中なので
ボクなりに甲斐さんの音楽の原点を整理してみようかと…

きっとボクの奥さんも含め
甲斐フリークの皆様には退屈かと思われますので

オヒマなら読んでね♪って感じで
流してやってくださいm(_ _)m


ご実家のような日銭の商売じゃなくて
サラリーマンになりたかったという甲斐さん

某・観光会社にお勤めになり
10秒で時刻表をめくる特技を持ち(笑)

旗を持って添乗員もなさったそうだ

この当時の七三分けの写真を見て
長岡さんが30分も笑ったんですよね(笑)


B型の方はアクシデントに強いので
ツアコンに向いていると聞いたことがあるけど…?


でも甲斐さんご自身は

10年勤めて課長になれたら嬉しいか?と考えたら…嬉しくない


前日にどれほど眠っても
先輩が運転する車の中で寝てしまう
緊張感が保てない


洗いざらしのTシャツでもいいから
こざっぱりしていたいのに

数少ない手持ちのスーツに雨が染み込んで
ホコリが舞ったりするのが嫌で

甲斐さんいわく…

『脱サラじゃなくてサラリーマン失格』(苦笑)


照和の仲間内では
いつ甲斐さんが戻って来るか?を
賭けていたとかいないとか…(笑)

戻るか?戻らないか?じゃないんですね(爆)


音楽の縦笛のテストの時には
どうしても吹けないのに

テストが終わる頃にやっと
その曲に親しみがわいて

吹けるようになるんだという甲斐さん(笑)

何をするにもハートが向いてないとダメなんだそうだ

善し悪しに関わらず
そういう風にしか生きられない人間の一人なんだと…


どんな仕事でも苦痛はあるかも知れないけど

今の仕事では眠れなくても体がきつくても
それを苦痛と感じないそうだ


でも当時の甲斐さんは
どうしても音楽がやりたかった訳じゃなかったという

好きなことで選ぶなら映画でも良かったらしい

それでも生きて行こうと思ったのは音楽の道だったそうだ


照和に戻ってまた歌い始めてからも
まだプロになろうか?どうしようか?と考えていた甲斐さん


周りに勧められてワンマン・コンサートを開いたら
800人以上の観客が集まったらしい

1枚100円のチケットなんて
雨でも降れば行かなくてもいいかと
思える程度のものなのに…と思った甲斐さん


俺がずっと歌っていくことは
この800人以上の思いを背負っていくことなんだと

この時に初めて『プロになる』というより
プロになったんだと意識したという


自分で選んだ道で食べていけなかったら
もう何処にも自分の場所はないと思ったそうだ


照和での人気を聞きつけた東京のレコード会社から

甲斐さんの曲を聞きもしないでスカウトされて
喧嘩になったこともあったようだけど…


オリジナルを書きためて急ぎ過ぎず
かつ待ち過ぎてチャンスを逃すことがないように
自分の中で熟す時期を見極めようとしていたそうだ
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