ノエルのブログ

シネマと海外文学、そしてお庭の話

風立ちぬ

2013-08-19 17:10:30 | 本のレビュー

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「堀越二郎と堀辰雄に。敬意をこめて」--宮崎駿監督の「風立ちぬ」に書かれたオマージュ。宮崎駿が「飛行機という夢」に書いた文章は、素晴らしい名文でうならせられっぱなしだったのだけど、そうなれば原作というか、映画のイメージソースにもなった堀辰雄の名作も読んでみたくなった。そして、読んでみたのが、この文庫本。

日本文学史に残る名作・・・でも、読んだ記憶がない。「風立ちぬ。いざ、生きめやも」--この章句にもある通り、結核を患った恋人との愛と別れを、高原のサナトリウムを舞台に詩情豊かに描いたもの。というと、「ああ、闘病ものね」といわれがちなのだが、堀辰雄の作品はそうしたセンチメンタルさを排した、凛烈とういうべき世界を築きあげている。作品には、信州の高原の冷たく、清涼な風さえ、吹きぬけてきそうで、静謐な死さえ横たわっている。

トーマス・マンの「魔の山」もそうだったけれど、俗界を離れ、死の影と向き合う日々は、透徹した精神をもたらすのかもしれない。富士見高原のサナトリウムが舞台とされる「風立ちぬ」には、信州の冬の自然にも似た厳しさと、透明感が感じられて、強く惹きつけられる。この作品は、堀辰雄自身が実生活で経験したことであり、それが作品の吸引力ともなっているのに違いない。

ただ、堀辰雄自身も結核を病んでいて、後に彼自身も若くして世を去ったとは知らなかった。軽井沢や富士見高原での療養の日々が、傑作文学として結晶化された訳なのだが、そうしたことも知らず、軽井沢へ行った時、万平ホテルのカフェテラスで「ここに、堀辰雄も来たって、書いてある。文学の薫りがするね」などと思っていた自分が、恥ずかしい。

この文庫本におさめられた短編「美しい村」も、素晴らしい作品。人々が、昭和の初めの軽井沢の空気を追憶するのに、堀辰雄の名を必ずあげるのも、よくわかる。名作って、本当に長い命を保ち続けるものなのだなあ。


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