日本の「政治」の〈可能性〉と〈方向性〉について考える。

「政治」についての感想なり思いを語りながら、21世紀の〈地域政党〉の〈可能性〉と〈方向性〉について考えたい。

「靖国」の「英霊」は「日本」と「日本人」のそれ以前に、「システム」と「システム人」の「靖国」の「英霊」として存在しているのである--(2)

2020-04-10 | エッセイ
「靖国」の「英霊」は「日本」と「日本人」のそれ以前に、「システム」と「システム人」の「靖国」の「英霊」として存在しているのである--(2)


今回から、また話口調で書いてみようと思います。前回の記事は、私のおそらく最後になるであろう著作のアウトラインとしての最初の問題提起、勿論これもたくさんありますが、その一つとお考え下さい。

本題に入る前に、少しだけ私の話にお付き合いください。実は、少し以前に、私が退職した大学から、私の知るある方を介してメールをいただきました。拙著を手に取り痛く感激されたとの電話が大学の方にあり、どうか私の連絡先を教えてほしい旨の内容がメールにはありました。

私は早速、その方に連絡を取り、いろいろな話をするうちに、その方に触発される形で、もう一度、私のこれまでの研究を再構成し、さらにあたためてきた原稿をまとめ直して、世に提示したいと強く思うようになりました。その方曰く、「後世に、私たちの子供やその孫や、またその子供たちに、少しでも住みよい空間を残してやりたい、それが今の大人たちの責任ではあるまいか、とのことでした。

私もずっと、それを頭の片隅に置いていたので、つき動かされたのですね。そこに、コロナ騒動と言いますか、コロナで右往左往している私たちの社会が重なったのですよ。勿論、私も動揺していることは間違いありませんよ。それが証拠に、最近のブログは、ある意味で、私のバランス感覚が働いて、私に書かせているのですよ。少し世の中が右に行ったと思えば左に、またその逆に、と。

しかし、この言い方はやはりおかしなものです。私の「システム論」では、たとえ「左翼」というか「左派」でもまた「右翼」というか「右派」でも、あるいは「民族主義者」でも「無政府主義者」でも、あるいは「市民」でも、それが「世界市民」であったとしても、さらには、「モダン」であれ、「ポスト・モダン」であれ、歴史修正主義者であれその反対の立場をとるものであれ、さらには「侵略肯定派」であれ、「侵略反対派」であれ、「過去」に向き合う、向き合わないとしても、とにかくそれらはシステムの中で言葉遊びをしているにすぎない、と私は見るのですね。

換言すれば、私が提示してきたシステムとその関係の歩みと向き合うことのできない者は、何ら語っていないということなのです。つまり、私たちは、システム人であること、それを、そのシステム人としての役割を「歴史の歩みの「段階」に応じて、すべての世界に暮らす人々が担っていること、それが先ずは議論の最初に置かれるということなのですよ。

「階級」の存在の前に、「システム人」、「民族主義者」の前にシステム人、「近代人」の前にシステム人、「国民」の前にシステム人、「市民」の前に、「世界市民」の前に、システム人として存在しているとの自覚や確認のできない者は、資本主義や民主主義の問題を語れないということなのです。

それは戦争責任や歴史をどう見るかの問題にも、またつながりますよ。すなわち、「侵略」者としての「日本人」云々の前に、システム人としての侵略の問題があり、ナチス・ドイツの侵略云々の前に、システム人としてのドイツ人の存在とその役割があったということなのですね。

欧米の「民主主義」国とされる諸国の国民もまたそうですよ。フランス人、イギリス人、アメリカ人の前に、彼らはシステム人として存在し、システムの歩みのある段階を、システム人として、またその「段階」に応じた「自由」や「民主主義」なるものを幸運にも享受できたということなのです。

この両者は、「関係」として「共時的な存在」の形を構成しています。私たち日本人が、例えばアジアの人々に戦争の加害者として謝罪をするとき、その謝罪はシステム人としての中国人に、韓国人に、していることを理解できなければ、戦争の責任問題を語れません。

ここで大事なことを忘れていました。そもそも「私たち」とは誰なのか、という問題です。簡単ですよ。それは「システム人」に他なりません。私はずっとシステム人としての「私たち」として、またその存在であるとの自覚をもって、表現してきました。たとえ、国家を肯定する立場であれ、そこから離れた存在を目指そうとしても、また「市民」としての、あるいは「世界市民」の立場をとったとしても、その前にシステム人だということを忘れてはなりません。

私たちは、「システム人」として、戦前も戦後も等しく、{[A]→(×)[B]→×[C]}の、また1970年代以降は{[B]→(×)[C]→×[A]}(モデルはいずれも省略形、共時態モデルである)のシステムとその関係の歩みを担っているのですね。

差別と排除の関係を前提とした、{[衣食足りて礼節を知る]→(×)[衣食足りて・足りず礼節を知る・知らず]→×[衣食足りず礼節を知らず]}の関係を担うシステム人なのですよ。

このシステムとその関係の歩みそれ自体が、そこに暮らす人々を、「自らが自らであるために勝ち(負け)続けなきゃならない」セカイ・世界とそこでのセンソウ・戦争へと追い立て、システムに生きるすべての者をある時は加害者(侵略者)に、またある時は被害者(被侵略者)としての存在にしていくのです。

「靖国」も「日本」と「日本人」の靖国の前に、システムの靖国として存在しているのですよ。「英霊」もまたそうです。「日本」と「日本人」の「靖国」である前に、システムの英霊」として存在しているのですよ。

そうした問題をまったく問わない、向き合うことなく、「英霊」を簡単に一つにくくり上げて云々とか、英霊を持ち出して感情的に国家へと収束することで、戦争責任問題をすり抜けようとする云々の議論に甘んじている論者が多いのは、私には残念なことですよ。

私から見れば、これまでの左派や右派の論争はあまりにも弱弱しく、内向きというか、ほとんど闘う、向き合う相手を間違えていたのではないか、とそういわざるを得ません・

次回から、私の発表してきた『覇権システムかの「民主主義」論ー何が「英霊」をつくり出したか』、『「日本人」と「民主主義」』、『21世紀の「日本」と「日本人」と「普遍主義」ー「平和な民主主義」社会の実現のために「僕が僕であるために勝ち(負け)続けなきゃならない」セカイ・世界とそこでのセンソウ・戦争』をたたき台として、加藤典洋著『敗戦後論』やその関連論文と、「コラボ」させながら論を展開していこうと思いますので、よろしくお付き合いお願いいたします。

先ずは、野崎次郎氏の〈『敗戦後論』とポストモダニズム〉(電子版)を手掛かりとして論を展開したいと考えています。

あまり固くならないように、進めていこうと思いますが、いわゆる異種格闘技のような形になるかもしれませんから、まったく触れ合わない話になる危険性も否定できません。あのアリさんと猪木さんの試合のような。勿論、比較すること自体、彼らに失礼でしょうし、また野崎さんにもそうだと思うのですが、今まで以上に、恥をかく覚悟だけはしておきますよ。

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