日本の「政治」の〈可能性〉と〈方向性〉について考える。

「政治」についての感想なり思いを語りながら、21世紀の〈地域政党〉の〈可能性〉と〈方向性〉について考えたい。

日本政治の可能性と方向性を考える前にしておかなければならない事について

2014-02-19 | 社会 政治
最初に断っておきます。1週間前くらいから再開しましたブログの記事、全部を削除しました。ここしばらくあまり眠れなかったので、まるで一人カラオケ状態みたいに、雑談めいたことをひたすら書きなぐっては投稿する、それを繰り返してきましたが、やはり、つまらない、面白くないので、やめた次第です。ごめんなさいね。
私のブログの名前は、日本の「政治」の〈可能性〉と〈方向性〉について考える、ですが、これからは、「オニクタラム」(ペンネーム)の〈可能性〉と〈方向性〉について考える、を書いていきますので、よければお付き合いお願いします。
この1週間あまり眠れませんでした。私は去年の12月に還暦を迎え、また孫が2人、もうすぐ3人になりますが、正真正銘のオジイさんです。もちろん、老いていくことに抗いながら、突っ張って生きてますよ。
それでも確実に着実に老いています。日々実感しています。眠れない、くよくよとあの時はこうだった、ああすればよかった、あぁ、夜中に何度も起きてトイレに行く。これですかね、トイレで起きてしまうのですね。
もう少し若い頃は、こんな事態を想定できない、当然ですね。(しかし、これも勝手な理屈ですね、だって年老いていくの当たり前でしょう。自分の親を横で見ているんだから、これ、例の「想定外」、昨日書いていた記事、もうないですが、についてどのような観点から見ればいいかという話に関係づけて書いています。)
ところがそうした状態が当たり前の日常となってくると、もうそろそろなんとかしないと、これからの日本の「政治」の、ではなくて私の、オニクタラムの〈可能性〉と〈方向性〉について考えないと、大変だということになったのです。
別にこんなこと、私の父母や近所のお年寄りを見てきたんだから、今更なんで、という話。
でも、このいつも見ていたはずなのに、自分がその当事者でなかったために、自分のこととしては真剣に考えられなかったんですね。私のジツノ父や母なのに、父母の抱える問題を一緒になっては考えてこなかったんですね。
一番近い距離にいる存在に対しても私はこうした態度を取ってきたんですから、隣近所の、ましてや全く知らないお爺ちゃん、お婆ちゃんの肉体的苦痛や心労なんて分かるはずがないでしょう。
でもこれって、責められないのじゃありませんか。
責められないと思います、確かに。しかしそんな私が、今度はこれまで当然のこととしてきた態度じゃなくて、その立場をがらりと変えて、息子や娘に、腰が痛い、肩が凝ったので、揉んで欲しいとか、もっと柔らかく相手の立場になって揉んでくれとか、挙句は、子供が年老いた親の面倒を見るのは当たり前なんだからとか、こうなってくると、少し責められても仕方がなくなる、そうじゃないですかね。
もちろん、私もそんなことはわかってくる、痛いほど、なんであの時に、おふくろのトイレの介助、もっと優しくできなかったのか、ぁーあ、また漏らしたのか、こんなにこぼして誰が掃除するのか、ーーー。ひどいよね、もう「人間失格」ですよね。
でもやってしまったんですね。もういくら後悔しても謝れないし、二度と優しくしてあげれない。あれほど自分の身体が、背中が曲がっていても、毎日のおさんどんに精を出して、愛情深く育んでくれたのに。
私ができなかったのに、父母にできなかったことを、なんで子供たちに要求できる、強制できる。
それもそう、確かにそうなんですね。
日本や世界各地で助けを求めて悲鳴をあげている人達がいる。私もなんとかしたいと「感じる心」はある。(確かに。しかしながら、その心がどんなに、どれほどいい加減な、その時々の情勢というか環境の変化、例えば対象となっている当該問題についてマスコミが取り上げる頻度、によって簡単にあっちに流され、またこっちに戻されてしまう、そんなたわいもない心だということに、もうヘドが出るほどにイヤになっちまっているくらいに、気がついているんだが、いやごめんなさい、上品に言いますね、気が付いているのですが。)

しかしその心は、私が当時のサダム・フセインの抑圧体制からイラク国民の解放云々の問題を喋っていた時に、半ば冗談交じりに、早く俺をこの施設から解放してくれよ、自宅に帰らせてくれよ、と私の言を遮った父の胸中を感じられない心だったのも確かなんですね。
また感じられたとしても、いや感じてはいたのですが、感じれば感じるほどに何もできない私自身の不甲斐なさというか、甲斐性のなさに腹が立ちますから、なるべく感じないように努めていたんですね。
急いで付言しておきますが、この介護施設の方は親切でしたし、父も大変に感謝していましたし、もちろん私もありがたかったのですよ。
次回はここから話を続けていきます。お付き合いありがとうございます。
なるべく上品に話したいのですが、そうじゃない時も少しだけ我慢してくださいね。























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