日本の「政治」の〈可能性〉と〈方向性〉について考える。

「政治」についての感想なり思いを語りながら、21世紀の〈地域政党〉の〈可能性〉と〈方向性〉について考えたい。

「システム」論から、これから世界で引き起こされるあまりにも面白くない「出来事」を考えるとき

2020-04-08 | エッセイ
「システム」論から、これから世界で引き起こされるあまりにも面白くない「出来事」を考えるとき

以下の話は、既にいろいろな人が語っていることだと推察する。また私自身も以前に、多国籍企業や世界的農業ビジネスに関する著作に目を通したこともあるが、今の私が読者にお伝えしたいのは、私の描くシステムとその関係の歩みを下敷きにして、それらの著作を再構成してほしいのである。同時にまた、キッシンジャーやブレジンスキーならば次の一手をどう打つ(読む)か、それを念頭において、世界の歩みを考えてほしいのである。彼らは現実の政治に直接・間接に加わり、彼らの描く青写真が具体化されていくのを眺めているかもしれない。とても敵うような相手とはならないのだが、それでも私の「システム論」を学んだ人ならば、何かを描くことができると信じている。いつもあなた自身にしか見出すことのできない、あなた自身の「感じる心」を大切にして、世界を想像し、またそこから新たな世界の動きを創造してほしいのだ。

さて、コロナ禍の今、私たちが考えておかなければならない重要な問題がある。と言っても、それは、それほど目新しいことでもない。たとえば、「農業」部門に関与する多国籍企業は、ある特定の農産物(農産品)を市場で独占することを企図して、一つのシナリオを描き、既にそれを実行しているのだ。

たとえば、私たちの食べているコメや野菜でもそうなのだ。ある特定の農品目にだけしか使えない、農薬があり、またその農薬背しか育たない、成長できない「種」がある。そのための遺伝子組み換えが必要とされる可能性も否定できまい。さらに、それが1年限りでその翌年には全く使えないために、必ず翌年には新たなためとそれにしか適合しない農薬や肥料を農業従事者は購入しなければならないのだ。

こうした「実験」を、各々の描くシナリオの下に現実化できた少数の世界的多国籍企業は、丸儲けであり、生産者はそうした購入費用を含めた採算ベースを頭に入れておかなければならない。そこに、今の「温暖化」に伴う天候の激しい変化を想定した時、今後の世界の眺望を、ある程度は想像できるのではあるまいか。

もとより、ここで一番考えておかなければならないのは、生産者である農業従事者と消費者の健康問題、とくに後者のそれである。どのような農薬と肥料また種が使用されているかを直接には知らない、消費者のアレルギーを引き起こすのか、じびょうをさらにあっかさせるのか、そこに、ただちにではないが10年後、あるいは20年後先となれば、両者の因果関係を探るのも困難なこととなるだろう。

各国の政府が国民の健康を守れるのかという問いは、もはやその問自体が愚問であることは明白であろう。政府に、今の政治にそれを期待できないし、期待すること自体が時間の無駄なのである。それはまさに今、コロナ禍に遭遇しているこの瞬間においても、同様なことなのである。

「ウイルス」に関しても、同様なことを、世界的製薬企業が実行すると想定するのは、当たり前であり、私たちの健康を守るためにも、彼らが試みる、試みてきた世界戦略をあらかじめ予測する、あるいは過去の出来事を検証しておくのは、大切ではあるまいか。

もしこうした作業をほんの少しでも行うならば、世界的製薬会社の重役であった者が、後に米国政府の重鎮となっていることを見出すであろう(勿論、こうした動きは何も、製薬会社だけではないし、この逆の流れも、つまり米国政府から企業への転身もあることを、付言しておく。)その人物の軌跡をたどっていくとき、もはや製薬会社云々の話を通り越して、瞬く間に、ありとあらゆる世界の出来事がつながって、それこそ関係論的に、描き直せるのではあるまいか。(なお、この他にも有名な人物は、それこそ枚挙に暇がないほどである。)さらに、それを私のシステムとその関係史と結び付け直すとき、おそらく、いや確信をもって、次の世界の動きを読み取ることができるに違いない。

ここで付言しておきたいのは、誰が、どこの国が「友」(同盟国)であり、「敵」なのかという問題は、あまり関係のないということなのだ。それに惑わされてはならない。友も敵も信頼、信用できない、というよりも、友とか敵とか、信頼とか信用などという発想自体がおかしなことなのだ。私たちはシステムとその関係の歩みを担うシステム人であり、システム人ならば、システム人としてどのように行動し、どのように逃げ惑うかを、ただそれだけを考えればいいのである。

ところで、毎年、異なるウイルスがつくられ、その際、あらかじめ変種するようにウイルスがつくられていることも含めるとき、そしてそこにまた、そのウイルスを制御できる特定の抗ワクチンも生産可能だし、その際も、需要と生産の関係を考慮して、「市場」の動向を常に観察し、必要とあれば、需要を増大(喚起)させるために、政府やマスコミ、国連機関を操作する。そして、これも先の農産物と同様に、毎年、あるいは数年のサイクルで動かしていけるとすれば、製薬会社はそれこそホクホクではあるまいか。

そこには製薬会社の他に、それこそシステムとその関係の歩みを「高度化」(あるいは「低度化」)させることによって、利益に与れる世界的多国籍企業と(先述した世界的なアグリビジネス企業も含まれている。当然ながら、農業と製薬企業は「連動」しながら、何が「売れ筋」かを。コロナ禍のいまも鋭く観察している。逆に言えば、私たちの行動は絶えず診(み)られているのだ。怖い話かもしれないが、あなた自身もおそらく、その立場であれば、そうするに違いない。)、その背後に控える世界的大株主、世界的銀行家が存在している。

そして、忘れてならないのは、圧倒的大多数を占める私のような人たちが最後の砦として控えているのである。この事実をゆめゆめ看過してはならないのだ。私たちこそが、システムとその関係の歩みを担うシステム人として、システムの歩みを支持し、その安定化に誰よりも貢献している「主役」(実行犯)なのだ、という事実を。たとえ1%対99%に示される世界的な富の分極化状態においては「持たざる者」として位置づけられていても、「有権者」としての世界的存在を思えば、大多数を占めているのは、まさに私たち自身であることも、これまた事実なのである。

もし、そうだとすれば、私たちは少なくともこれから先も第2、第3のコロナ禍に直面して右往左往することを、今から予測しておく必要があるのではあるまいか。逆に言えば、今こそ、肩の力を抜いて、勿論、言うまでもないが十分に健康には留意しながら、2,30年先の世界の動きを見通せる、そうした行動指針を作成して、身の回りの人たちに呼び掛け、協力を求めていく必要があるだろう。(続)

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