暑い日が続きます。
でも、日差しは何となく真夏を通り越して、秋の気配も・・。
でも暑い!
今日は義母の祥月命日でした。
結婚してすぐに夫の両親との同居生活でしたから、それはそれは沢山の事がありました。
お花が大好きで、姐さん肌の義母。
時々載せる写真ですが、認知症も出た晩年でしたが、これは義姉も来て金四郎も連れてみんなで近くの入間川に散歩に行った時に、見つけたオオイヌタデの花を摘んで嬉しそうにしてる所です。
仏壇の上で、こうしていつも微笑んでいます
父親が昔の帝大を出て、一人東南アジアに渡り、当時の植民地の代表のような言葉、プランテーションの成功者で、それなりに豊かに育った義母です。
学齢期になって日本に帰って来て、まずは栃木県那須にある母方の祖父母の家に預けられて小学校を過ごしているので、もともと持ってる性格や素質も手伝って草花、植木が大好きになったようです。
義母自身も義父が長男であったので、その両親と暮らしたこともあって、色々沢山のことを知っていました。
竹で割った様な性格、と称されることもあり、激しい時もありましたが、嫁は自分の持ち物。
ちゃんとしつけなくては、と、嫌みやイジメではなく教わったり学んだりしましたですよ。
それはそれは本当に色々ありましたが、明るいし、言う事聞いていれば日常、問題はなく、、、のような・・。
可愛がっても下さったと・・名前もお嫁さんの事は、00さんというのでしょうが、義母は私のことをY子ちゃん、Y子ちゃんと、ちゃんづけで呼んでくれました。
まぁ語りだすとキリがなく、これは昔のスタイルで同居した人にしか理解できないことです。
晩年は認知症もあって、性格ゆえにそうなってる自分を私に弱みとして見られるのを嫌って大変な事多かったです。
私が仕事を持つことは夫が元気なうちはご法度!女は妻、母、嫁、家を守る!としっかりと禁じられて、朝晩一緒。(今じゃ考えられませんよ)
実親と過ごした時間より長い時を過ごしましたから、嫁、姑に似る?かもしれません、私(^_-)-☆
21年前の早朝、家で看病も相当難しい状態になって、かかりつけの病院に入院を決めたその日の朝でした。遅くまで起きて明日があるからと、寝たけど、気になって目が覚めるなり、着るものも着ないで階下の義母の部屋をバ~っと開けて、あぁぁぁ~~~~ベッドの上でその少し前に旅立った義母を見つけたのです。
「お母さま、お母様!、、、」と何度叫んでも、、、、あの時の状態はいまだに目に浮かびます。
未だ、手にはぬくもりがありましたから。
こんな話するつもりなかったけど、、、もうこの話はここで終わりにしたいと、、記しました。
彼女の好きな物、嫌いな物、好きな事、嫌いな事、人も物も、全て知ってると思います。
義姉たちも知らないことだわ、って、、。
感情の動きも、時として行違うこともありましたが、上品で、センスもある人でしたから、、、私も作り上げられました。
もう、剥げ落ちましたけど・・・お母様ごめんなさいねぇ~~~(;^ω^) メッキはしょせんメッキでーす(笑)
義母が亡くなって一年で夫は早期退職、移住を決めたのです。
こちらの生活は全然知らない義母。
でも、多分、気に入ってくれる!と夫。
真夏の庭に咲いてる花、義母も好きでした。
ジニア(ヒャクニチソウ)
千日紅
百と千、義母と話したことあります。どっちが高い花? あなたはどっちが好き?
そりゃ千でしょう~!私は千日紅の方が好きです。
あらぁ、あなた欲張りねぇ~~大笑いしました。
飾りました
お昼は、有り合わせの白玉粉でこれまた買い置きの餡子で、
白玉団子の餡子乗せ。
とにかく甘い物大好きで、普通おはぎをアンでからむと艶を出すのに砂糖を乗せると教わりましたが、その砂糖の分量が!👀
でね、言う事が「喉を通るときに痛い!と思うほど甘いのが良くてね、昔は何でもそうしたものよ!」って!!
強いて言えば辛党だった私。
いやぁ~~ビックリ👀
それが、いまは義母ほどではないけど、しっかり甘党、、見て!この体‼!でございます
ご飯は、ちょっと叱られれそうだけど、今はねとても便利な世の中なのよ、お母様!で、出来合いの油揚げに、冷やしたそうめんを詰めてチンチーン(^^♪
ついでに冷凍にしてあった酢飯も詰めてお稲荷さん
お稲荷さんは義父が大好きで、義母は海苔巻きの方が好きだけど、お父ちゃまがお好きだから、作るのよ!なんて言ってましたわね、まぁ白玉上げたから、、よかんべぇ~~(^^♪
もともと動物は、小鳥や犬が大好きで、私が来る前までは結構飼っていた義母。
認知症が出てしばらくして金四郎を迎えたときは、もう最後を見るのは嫌だから、反対!と言っていたのに、、、
衰えていく認知力に不安、ざわめき、色々あって不安定な中でも、金四郎を抱く時、金四郎がそばにいる時、こんな穏やかな表情していました。
金四郎はしっかりとアニマルセラピーをしていました(^_-)-☆
金四郎~~~ありがとうねぇ~~
そして、これからも天国からよろしくねぇ~~金四郎~~たのんまっせ~
でも、日差しは何となく真夏を通り越して、秋の気配も・・。
でも暑い!
今日は義母の祥月命日でした。
結婚してすぐに夫の両親との同居生活でしたから、それはそれは沢山の事がありました。
お花が大好きで、姐さん肌の義母。
時々載せる写真ですが、認知症も出た晩年でしたが、これは義姉も来て金四郎も連れてみんなで近くの入間川に散歩に行った時に、見つけたオオイヌタデの花を摘んで嬉しそうにしてる所です。
仏壇の上で、こうしていつも微笑んでいます
父親が昔の帝大を出て、一人東南アジアに渡り、当時の植民地の代表のような言葉、プランテーションの成功者で、それなりに豊かに育った義母です。
学齢期になって日本に帰って来て、まずは栃木県那須にある母方の祖父母の家に預けられて小学校を過ごしているので、もともと持ってる性格や素質も手伝って草花、植木が大好きになったようです。
義母自身も義父が長男であったので、その両親と暮らしたこともあって、色々沢山のことを知っていました。
竹で割った様な性格、と称されることもあり、激しい時もありましたが、嫁は自分の持ち物。
ちゃんとしつけなくては、と、嫌みやイジメではなく教わったり学んだりしましたですよ。
それはそれは本当に色々ありましたが、明るいし、言う事聞いていれば日常、問題はなく、、、のような・・。
可愛がっても下さったと・・名前もお嫁さんの事は、00さんというのでしょうが、義母は私のことをY子ちゃん、Y子ちゃんと、ちゃんづけで呼んでくれました。
まぁ語りだすとキリがなく、これは昔のスタイルで同居した人にしか理解できないことです。
晩年は認知症もあって、性格ゆえにそうなってる自分を私に弱みとして見られるのを嫌って大変な事多かったです。
私が仕事を持つことは夫が元気なうちはご法度!女は妻、母、嫁、家を守る!としっかりと禁じられて、朝晩一緒。(今じゃ考えられませんよ)
実親と過ごした時間より長い時を過ごしましたから、嫁、姑に似る?かもしれません、私(^_-)-☆
21年前の早朝、家で看病も相当難しい状態になって、かかりつけの病院に入院を決めたその日の朝でした。遅くまで起きて明日があるからと、寝たけど、気になって目が覚めるなり、着るものも着ないで階下の義母の部屋をバ~っと開けて、あぁぁぁ~~~~ベッドの上でその少し前に旅立った義母を見つけたのです。
「お母さま、お母様!、、、」と何度叫んでも、、、、あの時の状態はいまだに目に浮かびます。
未だ、手にはぬくもりがありましたから。
こんな話するつもりなかったけど、、、もうこの話はここで終わりにしたいと、、記しました。
彼女の好きな物、嫌いな物、好きな事、嫌いな事、人も物も、全て知ってると思います。
義姉たちも知らないことだわ、って、、。
感情の動きも、時として行違うこともありましたが、上品で、センスもある人でしたから、、、私も作り上げられました。
もう、剥げ落ちましたけど・・・お母様ごめんなさいねぇ~~~(;^ω^) メッキはしょせんメッキでーす(笑)
義母が亡くなって一年で夫は早期退職、移住を決めたのです。
こちらの生活は全然知らない義母。
でも、多分、気に入ってくれる!と夫。
真夏の庭に咲いてる花、義母も好きでした。
ジニア(ヒャクニチソウ)
千日紅
百と千、義母と話したことあります。どっちが高い花? あなたはどっちが好き?
そりゃ千でしょう~!私は千日紅の方が好きです。
あらぁ、あなた欲張りねぇ~~大笑いしました。
飾りました
お昼は、有り合わせの白玉粉でこれまた買い置きの餡子で、
白玉団子の餡子乗せ。
とにかく甘い物大好きで、普通おはぎをアンでからむと艶を出すのに砂糖を乗せると教わりましたが、その砂糖の分量が!👀
でね、言う事が「喉を通るときに痛い!と思うほど甘いのが良くてね、昔は何でもそうしたものよ!」って!!
強いて言えば辛党だった私。
いやぁ~~ビックリ👀
それが、いまは義母ほどではないけど、しっかり甘党、、見て!この体‼!でございます
ご飯は、ちょっと叱られれそうだけど、今はねとても便利な世の中なのよ、お母様!で、出来合いの油揚げに、冷やしたそうめんを詰めてチンチーン(^^♪
ついでに冷凍にしてあった酢飯も詰めてお稲荷さん
お稲荷さんは義父が大好きで、義母は海苔巻きの方が好きだけど、お父ちゃまがお好きだから、作るのよ!なんて言ってましたわね、まぁ白玉上げたから、、よかんべぇ~~(^^♪
もともと動物は、小鳥や犬が大好きで、私が来る前までは結構飼っていた義母。
認知症が出てしばらくして金四郎を迎えたときは、もう最後を見るのは嫌だから、反対!と言っていたのに、、、
衰えていく認知力に不安、ざわめき、色々あって不安定な中でも、金四郎を抱く時、金四郎がそばにいる時、こんな穏やかな表情していました。
金四郎はしっかりとアニマルセラピーをしていました(^_-)-☆
金四郎~~~ありがとうねぇ~~
そして、これからも天国からよろしくねぇ~~金四郎~~たのんまっせ~
この話になるとママさんのお姉さまの話思い出します。
私はお姉さまより恵まれていたと思います。お姉さまの話は、とても信じられません。
多分、義母も嫁をやって来たからこその思いやりもあったと思います。
一緒に暮らすって、一人がっての思い込みや、親切って出来ないのです。
そこをどう考えるか、は自分次第で幸せにも不幸にもなると思います。
いぇいぇ、このブログは私はえらかったと言いたいわけではなく、偲ぶ意味なので、天国で喜んで下さってますよ、の言葉は嬉しいです♪
義母との関係、一般的に姑ね、字も好きじゃないし、ニュアンスも、、(;^ω^)
幸せは自分がどう感じるか!だけですね。
新婚生活を二人だけから初めて両親もあまり介入しない人たちをみるとそれもまた羨ましくもあり、、でしたから、、。
これが私の人生なんです、今を振り返って後悔することがない、、ってかっこいい事言えたらいいんだけど、そうもいかず、友達に過去を語ると涙になるとき有りますよ。
義母は私のこと人様には良く言っていましたが、本心は・・・??ですよ(笑)
回りが見ててくれた、それはありがたい事でした。
私の東京の姉も何十年と義父母と一緒でしたから、その苦労を知ってるだけに
kinshiroさんがお義母様の命日の日に、このような記事を載せてくれて、あちらで喜んでると思います。
kinshiroさんが素直で、姑の望む嫁になろおと努力したから
姑と一緒の生活が楽しかったと言えるのです。
姉を見ていたので、姉もkinshiroさんも尊敬してます。
kinsiroさん しあわせだったんだな~なんて思いましたよ。
もっと仲良くしておけばよかった~なんて思うときもありますが・・・
嫁 姑 難しいです(笑)
感謝されるkinsiroさん 素敵ですよ(*^-^*)
近い距離でも他人でいられるのはお互い幸せなんだと思います
でも、美姫さんは、お食事やお義父様の病院などお世話をきちんとなさってるじゃありませんか♪
それだけだって、年老いた者にはありがたい事なんです。
何かの時に、頼りになる者が近くにいる!
距離はあっても、、です。
ある意味理想的なのだとすら思います。
私は、、、う~ん、時代が違ったし、義母ももっとすごい嫁を経験してるからこその関係だったおもいます。
それぞれの立場で人は成長していけば、それで、、、過去を疎んじても自分が幸せじゃなくなるだけですものねぇ(^^
素敵なお話、と言って頂いて内心ほっとしております。
姑を書く時、いろいろあったけど、結果的にはなんです。
その中にも沢山の思いが交叉します。
作り笑いの無い人でしたから、笑顔はそのままの義母です。
認知症になってからは特に!
ふふふ、剥げ落ちた物をまた貼り付けるようにしなくては、、素敵なコメントありがとうございます
私と義母は未だ他人です😅
それがいいのか悪いのかはわかりませんが💦
関係性が希薄過ぎて、私は義母をテーマにした日記は、今後も書けそうにありません・・・。
お嫁さんの役割を立派になさったkinshiroさん、尊敬いたします!
素敵なお話を読ませていただきました。
お義母様の写真はみんなすごくいいお顔で笑っていらっしゃリ、
そこにまた眩しいくらいの光が射していて素晴らしいと思いました。
メッキなんて全然はげちゃいないと思いますよ♡♡ lily
そう言って頂ける!読んでそれを感じ取って下さるおばさんの深い思い、ありがたく存じます。
そうなんです、本当に大変と迷い悩むことあっても底は愛情からです、彼女の経験と希望、思いからの事が此方に返って来るような、、私は操り人形じゃない!なんて心で逆らってみても自分が辛くなるだけですから、私自身も辛いことにどっぷりとつからないタイプなのかもしれません。
とにかく義母の言うとおりにしていれば家庭はギスギスしません。
子どもたちのそれを自然と受け止めていました。
今になって話すと、、ですが、、、(^_-)-☆
表面はきついけど、心根の優しい子供に育ったのは年寄りと暮らしたおかげだと思います。
離れていると、義親と距離が出来る、仕方ないです。
私の両親を見ても、兄嫁たちみんな良いですが、一番近くにいる兄嫁は、あまりに入り込む両親に嫌気がさして、ある時から近い距離が一番遠くなりました。
共に節度を持ってが一番ですから、おばさんはお仕事もあったし、理解して下さっての事でしょうから、良い関係なんだと、、。
子供を持つ、まさにそうですよね、
たまに来る息子の言動は親を叱咤激励のつもりでもキツイ!と思うことありますが、娘は子供たちが受験など大変な時期にきて、私が親だった時に、こんなに怒らなかった、と自分を反省するんだそうです( ´艸`)
子を持って知る親の恩、確かに情感は育ちますね。
でもね、望んでも叶わないことは、相手にも辛いことなので、口には出さませんが・・。
時によっては自分の親より、近くにいますから、仕事や、手順、一つ一つをふと顧みる時、義母がそこにおります(^_-)-☆
母が私の在り方をみて、感心してくれて、、
流石お義母様にしつけられて、あなた凄いわねぇ~~って、、褒めてくれました。
それを認める母もエライ!
そして、そうしてでも私をしつけた義母は・・ですね♪
でも、今はダメです(笑)
まるで元の木阿弥! って、基礎はあるのかな・・
私ね、いつも人に話すのは、とても大変な所のある義母でしたから、義父の親類は、あのお姉さまに使える百合子ちゃん凄い(私の名前です)って、会うたびに褒めてくれたんです。
で、今の私をここまでにしてくれたお母様に感謝です、そして、このお母様に使えるだけの人間してくれた実の両親に感謝してるんです、、と・・・。
ちょっと恥ずかしいから、此処だけの話ですけどね、、それは今も変わらぬ思いで、仏壇に向かっております。
はい、結婚した当初から同居でした。
同居自体への不安は、正直全然なかったんです。
さだまさしの歌に、相手の家族を愛すればよい!という文句ありますが、その通りにすれば・・って、、
甘かった・・あははは、、ですが、、でも、人生、義母と暮らして楽しい事多かったと思います。
楽しみ方も教わりました、これが私の人生なんですよね♪
まーこさんは、お二人でなにもかも、からでしょ?
それも夫婦間の絆は深まりますね、
夫は、すべて義母に聞け!義母から習え、我関せずでしたから、子供の教育に至るまで義母の指図に従いました。
今ではあり得ません(;^ω^)
それでぎすぎすのない家庭が営めるなら、子供の精神衛生上も良し!です。。
おかげさまで子供たちはよそのお年寄りにはとてもやさしいです、、私は・・あははは、言うまい!(笑)
離れた親とはよほどのことがない限り、上手くいく、それはおっしゃるように好きになれば、こそ!です。大事な事です♪
もちろん色々あってもそれがあったからこそ、我慢、忍耐、知識、考え方、多くの物を得たと思っております♪
晩年の一番大変な時に金四郎を迎えたのも私を助けてくれました(^^♪
お嫁さんをお嫁ちゃんとちゃんづけにするのも義母の習慣で身に着きました。
何となく親しみがあって嬉しかったです。
今、我が家も、息子の奥さんをイヤ奥さんじゃなくて現代は表さんだわね、バリバリのキャリアウーマンですから、、(笑)
Mちゃん、Mちゃんです。子がついていますが子を付けずに愛称で‥♪
もともと犬好きでしたから、金四郎を飼うと話したときは、絶対反対!だったのに、来たら、廊下に寝床作ったら、寒いから入れてあげなさいとか、、人が見てない時はそっといつまでも抱っこしたり、、(笑)
認知症の度合いが抑えられたと思います。
あはは、奈緒ちゃん! どんな形でも犬、猫、好きなペットがいるって、夫婦関係も良くなると・・少々体だるくてもお散歩でるしね、、大事な存在です!
とても感慨深く拝読。
お義母様
しっかり者で、明るく聡明な感じが
お顔にも表れていると思います。
大正生まれかしら?
この時代の方は芯が強く 器は
大きいと思います。私の母がそうでした。
心が広く大きいんですよ。
今 私は少々の反省をしています。
義母に対して本当に良い嫁であったかな?
たまにしか合わない義母に対し、どこか
よそよそしい時もあったわ。
義母を理解するまでに時間が
掛かった様に思います。
子供たちが産まれ、母になったときに
義母を理解できた部分もありました。
お宅は本当に素敵な嫁姑だったのですね。
お義母様の笑顔が物語っていますよ。
同居は大変な面もあったでしょうが
ご自身を大きく育ててもらった部分も
きっとあったんでしょうから
有難いことだと思います。
ご命日に思い出を語ってくださったこと
今頃、あちらできっと金四郎ちゃんと
喜んでくださっていますよ。
お義母さまと 同居でしたか?
私は 結婚して生まれ育った土地を 主人と2人して勤め先の関係で 離れましたので
結婚してから 親と暮らす事はありませんでした。
嫁姑問題も無しです。
私は主人の 親達も大好きだったので 関係も良かったのかもしれません。
金四郎さん 色々あったでしょうが 良い経験だと思いますよ。
長い暮らしの中で 教わる事も多いし 読んでいて ほっこりしました。
思い出す事。。。思い出も沢山ありますね。
いつまでもこうして思い出して
もらえて空の上から喜んでいますね
うちもお嫁ちゃんには〇〇ちゃんです
主人の実家でワタシが〇〇さんて
呼ばれていたのが少しイヤだったので…
金四郎君もセラピードックだったのですね
奈緒は…激しいセラピードックですわ(苦笑)
義母の事を、、ありがとうございます。
そうなんですね、芯が通っている❗確かに❗
家族をこよなく愛した人でしたから、嫁もその一人なんですね❤️
好き嫌いがはっきりしてて、目に入れても痛くないほど可愛いがってた兄が、母の意に沿わない結婚をして、お嫁さんを嫌ったので次男の夫に白羽の矢での同居生活でした。
一緒に暮らしたおかげで、人生の色々沢山学びました。
過ぎた時間を悔いるより、その時間が、あっての自分なんだ、と、今は感謝しております😁
そうですね、毎朝おはようございますと、ありがとうございますでしたが、時々の近況も話して伝えるようにします🎵
笑ってる写真に語り掛けて、自分の心に返す❗大事な事ですね❤️
お教えありがとうございます
古い所もあったようですが、芯が通った、
やさしい義母様だと思います。
お花を抱いた写真。金四郎ちゃんを抱いた
写真、晩年ですがとても穏やかな良い
写真だと思います!
これからも命日には、近況報告等、
たくさんお話ししてあげてください!
(僭越ですが)
こうして話すと皆さんそれぞれに色々なことがあって、、ですね、似たようなことも。
義父が亡くなって2年近く経った時、夫の転勤がありました。
家族転勤でしたが、義母を新潟という知らない土地に連れていかれないと、単身を選び、留守宅を私が義母と子供をみました。
そんなことも大変よりはちょっとした変化で、楽しんでいたかもしれません
実際は子供の事も、義母のことも気を抜けないことばかりでしたが・・
やり切って今日があります
そうでしたか!
こうしてお話してると同じような経験してる方あるんですね。
ママさんは義父様が!ですか、我が家の義父は、耳も遠かったですが、性格は強くても普段は温厚で、全て義母任せ。義母の性格を知ってでしょうが、それだけに義母は強かったです(;^ω^)
でも、可愛がられたのも事実だと、、持ち物でしたから、、ね。( ´艸`)
事故も!
命あって、話せることです。大切に生きなさいと言われてるんですね♪
義母の時は、何故か焦りながらも落ち着いてる私に、救急隊員さんが驚いていました。
どこかに覚悟があったのか、私がしっかりしなくてはの責任感もあったのでしょうね。
後から、色々後悔もでしたが、運ばれたかかりつけの病院では本当に、担当医の副院長が当直で、最後の診断を受けました。
入院が決まっていただけに、残念だと、、そしたら、家で死ねたことは本当に幸せな事なんです!と、、、。
義母は家が大好きでしたから、そう思うことにしました。
お葬式は周り全部お花で囲みました。
事故の話とか、同居されてる話・・似たような経験をしたんですよ私も🥹
事故は私の身ですけどね(一時停止をしない車に60キロでぶつけた私の車を見て、死んだと思われた)誕生日プレゼントに買って貰った車が1年足らずで廃車でした💦
私も同居の義父母から○○ちゃんって呼ばれてました🤗昔気質の義父からは妻たるは!みたいな事を言われてましたね😅
義母の突然死も・・1時間前まで食卓を囲んで話をしていたのに😟
取り乱した私に救急隊員から「落ち着いて!」と言われて正気に戻ったのを思い出します🥺
ほんと色んな事ありますね・・義母もお花が大好きでした(アルバムは花ばかり)
ねぇ、本当に色々ありました。
でも、そうですよね、実際の親とだって色々あるんですもの、義理の仲は遠慮と気使いで上手くいくのかもしれません、、ただ‥ですが、、(笑)
ふふふ、現代風お供えですよね。
それもあり!ですね。
認知症になってからは金四郎の存在大きかったです。
大変なことも精神的にやり抜けたのは金四郎がいたからだと。。
夫、、実は、覚えていませんで、、(笑)
彼は、いつもここにいるから、って、言わないと仏壇にも、、なんですよ、、心に住んでいる、それならそれで良しです。
実親に可愛がられた思いは沢山あるでしょうから、、って、あまり昔話しない人なんですけどね(^_-)-☆
そうでしたか、ママさんはお舅さんだけの所へでしたのね、男親の方が面倒は無いと言いますが、色々ですよね。
真夏でしたから時として忘れちゃうことありましたが、年齢でしょうか、色々と思い出されてきて・・
金四郎の事は本当に可愛がってたので、そうですね、天国で一緒、、金四郎が気を使ってるカモぉ~~( ´艸`)
仏花って、昔は好きじゃなかったんですけど、実際、自分で育てたら可愛いですね、、咲いてるうちはと思ったけど、せっかくですので、今日は切りました(^^♪
はい、真夏ですので時として忘れちゃうことあるんですが・・今日は何故か色々と思い出して。。
お花を見てる、触れてる時に顔は本当にいい笑顔でした。
強い気性で、目に入れても痛くないという長兄が気に入らないお嫁さんと結婚したので、同居は次男の夫に、、でした。
なので立場上、大変な思い沢山ありましたが、楽しいこと大好きな人でしたので、気が合ったのかもしれません。
年数は実親との方が一年ほど多かったですが、朝から晩まで一緒ですから、目の届かない所に居られるのがいやでね、、(笑)
時間としたら、義母と金四郎とが一番長いかと‥あっ、夫が長生きしてくれれば、夫とですよね(笑)
頑張ってもらいましょう。
ヒャクニチソウ、私は昔は好きじゃなかったんです。もともと千日紅の方が好きでしたが、自分で育て見ると可愛物ですね。
お花の無い夏は、とても便利です。
稲荷油揚げにお蕎麦を入れてるのを友人宅でご馳走になったことあってとても美味しかったんです。
で、そうめん(^^♪
イヤ、中々美味しかったですよ、冷やしておけますから、、
上に薬味とか、今回は手作りのゆかりをパラりでした。
お義母さんの命日に、思い出されて素敵です。
ある日突然に、親族になるのですから、良い事も、嫌な事も、多々あると思います。
きっと良い方が多かったのでしょうね。😁
義父母さんの好みの食事(今風)も準備されていて凄い。
金四郎ちゃんもアニマルセラピーで、しっかり抱かれて
いて、可愛い😍です。
今日は、当時の話をご主人様とされるのでしょうね。
「そういえば」って感じですね。😁
いつも早々のコメントありがとうございます
ですね、色々あっても気が合ってたのかも、、なんて思うこともあります。
笑顔すてきでしょ?
髪の毛も紫に染めててね、、
ですね、夫は末っ子ですが、義母は本当は長兄と暮らしたかったの、、気に入らないお嫁さんだと言って次男の夫に白羽の矢でしたから、嫁は、、、いつも気位高かったけど、不出来な嫁でも感謝してくれてるといいなぁと思っています。
金四郎の存在はとても大きかったです。
きっと今頃あちらの世界で金四郎君と仲良くしているわよ。
うちでは嫁いだ前の年に義母はもう47歳という若さでしたが亡くなっていますの。
なので思い出は儀父とのことしかないですよ。
百日草も千日紅も仏花として重宝しますね。
昔はあまり好きな花ではなかったけれど最近は好きで毎年植えています。
今日はお義母様の祥月命日でしたのね
優しいお顔で大好きなお花を摘んで楽しそうな笑顔が素敵!
実母さんよりもお義母様と過ごされた方が長かったのですね
夏の花ジニア
丈夫で長持ちなので 田舎では仏花に重宝していたようです
センニチコウは可愛くて ドライフラワーにもなりますね油揚げに冷やしたそうめんですか\(◎o◎)/!
でも美味しそう
そうめん大好きですもの
金四郎君は寂しくないですね
おばあちゃまに天国で抱っこされていますものね~🐕
金四郎さんのブログを
義母さんは
天国から読んで
喜んでくれていると思います☺️
金四郎ちゃんも(*≧∀≦*)
これからもたくさんの
笑顔と幸せが、
金四郎さんご家族に
ありますように。
ステキな夜を☆★☆
テル