金四郎 たのんまっせぇ~

夫、老柴犬金四郎と南房総に移住して16年を過ぎ、今や身も心もすっかり房総人。亡き愛犬との思い出と共に綴る日々の出来事

「ぞうれっしゃがやってきた」・・この話、知っていますか?

2013-07-18 13:19:30 | つれづれ思うこと
久しぶりに、こちら南房総も夕べから雨が今朝まで降り、ほっと一息です。
また、今は暑くなって来て、蒸し暑さも加わって来ましたが、天からのもらい水は、本当にありがたいですね。

さて、本題です
上記の話をご存じでしょうか?
70年ほど前にあった太平洋戦争、その時に動物園の動物たちが空襲を受けた際に逃げ出して、人々に危害を加えないために、軍の命令で殺されていった中で、象を守り抜いた、名古屋市の東山動物園。

その実話をもとにして、絵本や歌が作られていますが、そのうちの一つです。

今、私が属している合唱団で長いこと、歌い継がれています。

ここの市の少年少女合唱団も同じように歌い継いでいます。来月はその合唱団とミュージカルで、この歌を歌います。

私は、所属して1年5か月、創立30周年を迎える合唱団の中ではひよこで、初めてこの話、歌に触れ、胸を打たれました。



最新の楽譜と、それにまつわるお話が資料とともにある冊子を頂き、歌っていくうちに、読むうちに、知らない方には、是非お伝えしたいと思いました。

☆太平洋戦争が終わった後、1949年(昭和24年)に「ゾウ列車」が全国から名古屋へと走りました。
絵本や合唱曲も作られたゾウ列車とは何なのか、なぜ走ったのかを時間を追ってみていきましょう。

という書き出しで始まっています。

お話が長くなるので、概要を記します。

1937年(昭和12年)7月、太平洋戦争へと続く日中戦争がはじまりました。

その年の12月、木下サーカスにいたゾウ4頭が 名古屋市の東山動物園に来ました。
キーコ(♀22歳)、マカニー(♀20歳)、エルド(♀17歳)、アドン(♂16歳)です。

戦争がはげしくなると動物たちの輸送や食料などを手に入れることが難しくなって来てるということで、サーカスの方から、象を別れ別れにするのは忍びないから4頭全部を引き取って欲しいとの依頼でした。

ゾウと別れることになったサーカスのゾウ使いの少女たちの思いは、当時の動物園長さんの心に強く残ったのです。

入園するその日、クリスマス・イヴで、みぞれ降る寒い日に4人のゾウ使いの少女たちに付き添われて、来たゾウたちは、その別れを惜しんでなんども泣いていました。
冷たい雨に打たれたゾウさんに、少女たちは、「かわいそうに」と、寒さを忘れたように、自分たちの着ていたオーバーをかけると、嬉しそうに眼を細めていた姿が目に浮かぶ、と当時の飼育係主任の方が話していました。

1941年(昭和16年)12月8日太平洋戦争開戦。

翌年、名古屋に初めて空襲、その後昭和19年からは、日本への本格的な空襲が始まりました。

昭和18年、上野動物園にて毒薬などによる動物の殺処分が始まります。

ここからは、その資料から引用します。

上野動物園では8月半ばから9月半ばまでの1か月で14種27点の動物が殺されました。

11月4日  爆撃による猛獣脱走を心配して、軍が東山動物園に猛獣の殺処分を要請。
ヒグマとライオンが1頭ずつ処分される。
ヒグマは毒殺、ライオンは毒入りの肉を食べない為絞殺される。
戦争が激しくなり、動物のエサ、暖房用の燃料不足が深刻になる。

昭和18年の中ごろから動物園内の空き地でイモ、麦、かぼちゃ、大根などの栽培を始め、昭和19年には園内の空き地は、ほとんど畑となったのですが、それでも動物のエサの量にはたりなく、動物のフンを近くの農家で藁と交換したり、製粉工場までリヤカーをひいてフスマを1日がかりで取に行ったり、死んだ動物の肉すらも肉食獣の餌になりました。

次から次へと下りる軍の動物殺処分に当時の北王園長は動物の助命嘆願をします
「(爆撃で)檻が壊れるほどなら中の動物たちも死ぬ」
「寝室の中でもゾウの前足を絶えず鎖でつないでおく」などと・・。

それでも聞き入れてもらえず、昭和19年12月には内務省命令で、ライオン4頭、トラ1頭、ヒョウ2頭を射殺。数日後クマ8頭を射殺。
(この時、ツキノワグマは、胸が狙えるように、飼育係が来るといつも餌を欲しがって2本立ちになるので、飼育係が立会を命ぜられた)

***私は、この部分が来ると、読んでいても歌っていても胸が詰まり、しばらく声が出ませんでした。 その時の飼育係の方の胸の内もつづられています。***

東山動物園にはすでに花子というゾウがいましたが、昭和14年には亡くなり、昭和20年2月、動物園が閉園になるまでに、キーコ、アドンも 栄養失調などで亡くなりました。

昭和20年8月15日終戦

この時、東山動物園には、戦前291頭、約1000種の動物がいたが、殺処分や、飢えと寒さで、残ったのはゾウ2頭、チンパンジー1頭、カンムリ鶴2羽、ハクチョウ1羽、カモ20羽だったそうです。

そして、日本でゾウを守り抜くことができたのは東山動物園だけでした。

付記があります
☆ なぜゾウは生き残れたのでしょうか?

昭和20年3月、中部管区司令部所属 三井高孟氏 名古屋の第3師団の獣医部の方が、軍馬用のエサをゾウ舎の通路に置くように命令(兵士たちに命令の理由は言わなかったが、ゾウのためであった)

「軍規違反だから、自分が生きている間は話さないで欲しい」と 家族や友人に言っていた。

・・・・と。

そして、大した動物がいない中、動物園は開園するのですが、上野動物園の入場者数が増えていく中で、ゾウを見たいという声が大きくなり、東京の子供たちが東山動物園にゾウを貸してくださいと来たそうです。

しかし、園長さんはこの戦争で、体の弱ったゾウたちを輸送するのは無理と判断、また、当時の飼育主任さんの話。

「戦後お前たちにも華やかな時代がやってきた。そういえば東京の子供たちが、東京にもぜひゾウさんを1頭ゆずって下さいと、わざわざ訪れたとき、マカニー、お前はどうしてもいうことを聞かなかった。 エルドと離そうとすると、お前は悲しそうに泣き叫んだ。抱き合うようにして別れを悲しむ仲の良い2頭の姿に子供たちも、かわいそう・・とあきらめてしまった」

・・・と。

そうして、それでは、このゾウたちを 子供たちに見せて上げましょうと、子供たちが東山動物園を訪れることになり、訪れた子供たちが代表で、その時の市長さんなどに働きかけ、市長の働き掛けで、市、国鉄(当時)、動物園関係者のはからいで、特別列車を仕立てることを決定したそうです。

当時の記事から
「ワァー ゾウさんのお鼻のブランコは初めてだィ」小雨模様の天気も忘れてしまい、名古屋市東山動物園は八幡小学校他4校のお友達1400名で大賑わい、人気者マカニー、エルド両嬢を取り囲む小学校の吉田、本村の両君は軽々とゾウさんのお鼻にまかれて「アレヨアレヨ」という間に長いお鼻はブランコに早変わり。
楽しい半日を送って午後2時帰郷した。(写真つき)

・・と有ります。

これは昭和24年の話です。

戦争で荒んだ子供たちの心も こうしたことで癒され、日本は復興へと進んでいったのです。


今、私は元より、団塊の世代と言われる夫達も、戦争を知らない子供たちとして育ち、当たり前のように「平和憲法」に守られ、当時のような不自由も知らず生きてきました。

でも、今 戦争が起きたら、ボタン一つで、世界は破滅するほどですから、こんな戦争が有ったということすらも問題ではなくなってしまいそうで、怖いです。

ただ、人間の犠牲のみならず、こういう形でも理不尽に生命を奪われた動物たちを思い、戦争の悲惨さや、あってはならない物であることを改めて思います。

金四郎のこんな姿に癒されて、平和であることを感謝する日々です。



クールマットを敷いてから、時々、この中でもくつろいでいます♪



今の所、お腹は大丈夫。

動作を変えるときに時々びっこを引くことがあるので、それはまた病院の時に伺います。


命あるものは必ず、召されます。
それができるだけ穏やかに訪れることを ひたすら祈ります。




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8 コメント

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胸がいっぱいになるお話ですね (はおと)
2013-07-18 17:09:14
kinshiroさん、こんにちは。

「ぞうれっしゃがやってきた」、聞いた事はありましたが、
詳しいお話と、それを元に作られた合唱曲は知りませんでした。

今、tou tubeでこういうのを見つけましたよ。

http://www.youtube.com/watch?v=nmJzsdacH4Q

胸が痛くなるお話ですね。

そして今の日本が憲法の改正などで、
誤った方向へ行ったなら。。。と心配になって来ます。


どうか、穏やかで、全ての命が幸せに過ごせる
そんな平和な地球であって欲しいと、いつも願っています。
返信する
はおと様 (kinshiro)
2013-07-19 15:01:11
こんにちは♪

ありがとう、今、見ました。

そう、あぁ言う感じで子供たちを大人のグループでうたうのです。
あれは最後の部分ですが、大人だけで歌う、2曲目の「雨よ降るな」というところでは、娘とゾウの別れをうたうのですが、必死で歌わないと泣けちゃいそうで、歌いこんでいくうちに冷静になれました。

本当に私も、はおとさんと同じ思いで、この時期にこのことを知って頂きたく、アップしました。
原発も、見切り発車はやはり怖いことです。

平和に慣れきった自分を見直す良い機会だとおもいました。

返信する
何度も何度も読みました (ノエママ)
2013-07-19 17:58:38
kinshiroさん、こんにちは♪

昨晩遅くに、記事が投稿されていることに気付いてはいたのですが…コメントが掛けませんでした。

書こうとしたのですが話が重すぎて何も書けなくて…ごめんなさい。

私は当時こんな悲惨なことがあっただなんて知りませんでした。

そしてkinshiroさんがこうして紹介して下さった文章を昨日から何度も何度も読みました。

動物たちが人間たちの身勝手で殺されていく光景思うと胸が詰まりそうになりました。

優しいゾウ使いの少女たちがゾウたちを見送る時、自分たちのオーバーを掛けてあげて…

それだけでも救われた気持ちになりました。

その後、キーコとアドンは栄養失調で亡くなってしまったのですね。
でもマカニーとエルドは心ある獣医さんの計らいで何とか生き残れたのですね…
よかった…

犠牲になった動物たちのためにも、戦争…二度と起きてはいけないですよね…

今、とても近隣国とお互いとても敏感になっていますね…

どうして仲良くやっていけないのだろうと思いますが、戦争になった背景や事実に対して自分たちがあまりにも無関心すぎた結果だと思います。

この前、テレビでドイツ人の僧侶が「日本人は団結力はあるけど、サッカーに例えるといざという時にお互いパスばかり回している」と…

みんな自分が責任は取りたくないのですよね…
だからなかなか言い出せなくて…

いろいろ考えさせられました。
返信する
ノエママ様 (kinshiro)
2013-07-19 22:00:00
こんばんは、そしてコメントありがとうございます。

あなたの気持ちが痛いほど伝わってきます。

私も漠然とは知っていましたが、出来るだけ避けていたような気がします。

でも、いざ歌うとなって、これだけ犬や猫の好きな人達と交わっているなら、やはり本気で考えて欲しいな・・と。

読んだ方それぞれに それぞれの思いがあってよいと思います。
ただ、人間ですら、罪のない人々が 国という名の下で命を断たれているけど、もっと罪のない動物たちの運命も・・・という現実を。

一人一人に真剣に考えて頂き、私もまた その一人として、心を込めて合唱に臨みたいと思いました。

動物たちは人間が平和に暮らしてこそ、本当の癒しになるのだと思います。

それがまた彼らの平和なのですよね。

返信する
Unknown (通りすがり)
2016-05-04 12:04:58
なんでこんな嘘書くかなぁ

国は殺処分の要請なんてしてませんが・・・
国が命令したのは動物が園から逃げないように処置しろだけです

上野動物園の殺処分も国の命令から東京都知事がその判断をしただけです

東山動物園で当時殺処分しようとしたのは、地元の住民と猟友会です

空襲を受けて、その後殺処分を園長に判断を迫ったのは猟友会の人で、その判断を下したのは園長です
国は全く関わってませんよ

詳しくは、当時の園長北王英一著書の動物の四季です
すでに、廃刊になってるので、個人のブログなりで調べては如何でしょうか?
返信する
通りすがり様 (kinshiro)
2016-05-05 09:31:52
まず、個人の見解を通りすがりに置いて行かれたことありがとうございます。

しかし、嘘とは、故意に間違ったことを伝えることで、その意思はございません。
あくまでも、初めてこの歌に接して、頂いた資料から読み解いて事実を知ったと・・・ですから、私は、資料の通り、国とは書いていません、あくまでも軍です。

当時の軍は、国とおとりになるのはそれぞれ個人の見解です。
少なくとも罪のない動物たちが、その状況下で、犠牲になった事実は存在するのです。
その思いを込めて歌を歌った。
嘘を書いたという認識はございませんので、ご理解頂きたく存じます。

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 (かにまんじゅう)
2018-03-26 23:23:50
ああああああ、な、涙が、うう、止まらん😢うわーーーーん
返信する
 (かにまんじゅう)
2018-03-26 23:30:39
ああああああ、な、涙が、うう、止まらん😢うわーーーーん
何度聞いても涙が出る😭うう、平和になってください。
いつまでも平和を待っています。
返信する

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