金四郎 たのんまっせぇ~

夫、老柴犬金四郎と南房総に移住して16年を過ぎ、今や身も心もすっかり房総人。亡き愛犬との思い出と共に綴る日々の出来事

美香ちゃんは、お星さまになりました

2021-12-01 17:44:37 | 日々の暮らし、思い出

中学時代の親友のお嬢さん、美香ちゃんが11月24日、44年の命の役目を終えてこの天使の梯子を上りました。
その知らせは25日朝、友人からあったのに私のスマホの調子なのか翌日26日朝、葬儀の段取りなどと一緒に入ってきたのです。

まさか、まさかの思いで、少し落ち着いてから電話しました。
必死で明るい声を出して

「おはよ~~今ね、美香の朝ご飯作ってるの、ガスの火もつけっぱなし!でもね、お化粧もして、すご~~く綺麗(^^♪」でした。

(友人は私のお琴の先生でもありました。
3歳から習ってるお琴で、NHKの邦楽研究会にも属したことある実力の持ち主でもあります。)


美香ちゃんはダウン症で生まれました。

これからは少し長くなりますので、お時間のある時にでも読んで下さいませ。
コメントも閉じておりますので、スルーしてくださっても構いません。


美香ちゃんは娘と同じ年、三週間違いで生まれました。
一歳になった時、親友仲間と初めて会いました。
娘とは明らかに仕草が違ってて、始めは戸惑いましたが、そうなんだ、これが美香ちゃんなんだ、と受け止めてから、こちらも気が楽になったのを覚えています。

それからしばらくは友達も色々と忙しくて、4年後には弟君が、その2年後にはもう一人の弟君が生まれて、、、私も義両親との暮らしで、一台の黒電話で長話もできず、かなりの間ご無沙汰となりました。

たまに来るハガキには美香ちゃんの様子、息子たちのヤンチャな様子が、短く書かれてるだけでした。

美香ちゃんが生まれてからはダウン症特有の心臓病があり、それもかなり重篤で2ヵ月は・・半年は・・一年は・・と命を区切られながら、沢山の入院、手術を繰り返していたそうです。

美香ちゃんが15歳になる年、美香ちゃんのお父さんは、障害を持つ娘や、ヤンチャ盛りの息子にお父さんの頑張ってる姿、カッコいい姿を見せようと、日ごろ少しずつ練習してきたマラソンで、地区の大会に参加したのですが、そこでもうすぐゴールという所で倒れて心筋梗塞でそのまま帰らぬ人となりました。 46歳だったかと・・

全然知らなくてね、、その年末、喪中はがきが来て驚いて他の友達と連絡して年が明けてから訪ねたのです。
本当に凄い、こんなひどいことがある!!と、、思いつつ会った友人は、明るかった(^_-)-☆

それはそれは言葉にならないほど大変な事ではあっても、ご主人の人柄で学生時代からの多くの友人知人が、事あるごとに集まり、助けられながら、子供たちの為にも頑張らなくては!と・・

彼女は東京の郊外の団地で、ご両親は遠く広島。
お母様がしばらくはいて下さったらしいけど、それから年子の妹さんが家族で団地の向かいの建物に引っ越して来てくれて、何かと支えて下さってる事。
昔から知ってる仲ですから、その妹さんにも会って話しました。

色々な障害を持っていてもお姉さんである美香ちゃんは、弟たちをちゃんと取り仕切ってる!って・・
だんな様の保険などで経済的には困らないけど、母親が仕事してないのは、子供たちにも良い教育にはならないから、と友人は美香ちゃんの作業所所送り迎えなどの支障にならない範囲で、お掃除やチラシ配りの仕事も始めていました。
話を聞きながら、頭が下がりました。

美香ちゃんは心臓から来る肺炎やそれに伴う色々な合併症でそれからも度々入院したり、命を区切られたりしながら奇跡的な回復をして、頑張ってきたのです。
それでもいつもニコニコ。
本当に笑顔を絶やさない美香ちゃんでした。

美香ちゃんは、とても手先が器用で刺繍が上手。この作品も「世界の童話集」からの絵を刺繍にしたもので、全部、一つ一つクロスでステッチされています。

編み物も難しい模様編みではないけど、細かな針目で丁寧に仕上げた直線立ちで編んだベストなどを作っていました。

絵も幼さが残る、純粋な絵は、心が洗われるようで私は大好きでした。

何か送ると、こうして絵ハガキでお礼状が来ました。
それが楽しみでもありました。
一番最近の絵葉書は私の誕生日の右下のです。

私の母が亡くなった時は友人と実家までお線香を上げに来てくれました。

そして、それからこんな絵ハガキにして送ってくれました。

友人は、美香ちゃんが20歳の時に、いつ何が有るか分からないけど、ここまで成長した証にと小さなホールを借りて、作品展を催しました。
その時はまだ埼玉に住んで居たので、見に行きましたけど、もうねぇ‥嬉しくて友人と抱き合って喜びましたよ♪

美香ちゃんは、心臓が悪すぎて体を巡る血流が悪く、酸素も行きわたらない為に常時酸素吸入をしていました。
今、コロナで急に言葉として有名になった、パルスオキシメーターの値が、70後半ぐらいだと言っていました。
看護師をしている友達にその話をしたら、それで生きて居られる!動ける!信じられない数値だと・・
普通、95以上あります。
血中の酸素濃度ですね。
大変な体で治療を繰り返し、普通の生活に戻り、また具合が悪くなる、してるうちに体が自然とその数値範囲でも動けるように慣れて行ったとしか思えないそうです。

外出の時は、その時間に見合うより少し多めの酸素ボンベを携帯用に体に下げて、、家に居るときは、大きな驚くほど大きなガスボンベのような酸素ボンベ、タンクになってるのが部屋の壁際においてあって、そこから細いチューブで繋がり、部屋中張り巡らされて、その先は美香ちゃんの鼻に取り付けてありました。

季節の節目、ふと気になった時、友人にメールをすると、今、美香の病院から帰ってきた所。
今、家でお風呂に入れようとしてるから・・とか
昨日、退院してきたの・・と。
片時も美香ちゃんから目が離せず、いつも気にしながら一緒に生活していました。

また有るときは、調子が良いと、だんな様が山梨出身だったので、良く言ったという八ヶ岳までドライブして、そこのレストランのカレーが美味しいから、とレトルトパックで送ってもくれました。
美香ちゃんが「00さんにも食べて欲しいねぇ」と言ってくれたと・・

美香ちゃんはピアノも上手・・だったらしくてね(残念ながら聞くことは出来ませんでしたけど)
私の父が亡くなって、しばらくして、友人の自宅近くの喫茶店で会ったときは、ショパンのノクターンを練習してるって言ってましたね。
31歳ぐらいでした。

激しい動きは出来なくても、塩分を極端に減らした食事しかできなくても、食欲があって、顔だけは元気なんだって、、友人はそれだけが救いなのよ!
体の外見は大人でも、内臓などは子供と一緒だから、治療に必要な器具が大きすぎてものすごい苦痛を伴う治療の時も顔をゆがめながら、泣き言を言わない!って・・・
話を聞きながら、何度も涙が流れました。

本当に頑張りました。
友人も共に本当に頑張りました。
最後にメールしたのは、お誕生日のちょっと前で、我が家で出来たサツマイモ少しと、お菓子、塩分0を心がけて送っているものばかりですが、とても喜んでくれたのに・・・

その直後、体調もよさそうだと、やはり富士山近くにドライブしたら、レストランに入るときに突然倒れて意識不明になったとメールがありました。

でも、すぐに治ったから・・・

またいつものように復活すると信じていました。

残念です・・・・

でも、友人に電話したら、食事をいつも通り作りながら、
「もうねぇ~~まさか・・って・・でも入院も一週間足らずで、前日まで鶏のから揚げを病院食だけど、全部食べたのよ、だから、全然やつれてなくて、お化粧したら、綺麗なの☆」って・・・

「でね、突然でしょ、あそこにも、此処にも連絡って、、ほら美香さん、本当に沢山の方に支えられて、可愛がられて、お世話になって、、、もう連絡するところ思い出すだけでも大変だったのよ」と・・・
常に覚悟はしていたのでしょうが、友の気丈な言葉に、涙が伝って止まりませんでしたが声は出せませんから・・・

美香ちゃんの作品は東京都の障害者展示会でも何回も賞を頂いてるんです。
高円宮妃殿下がそれをご覧になりに来た時は、代表であいさつした時に、抱き着いて満面の笑みの写真もありました(^_-)-☆
美香ちゃんの中には人間として生きてる人なら、だれでも愛するべき存在でした。

純真な心ねに、辛く成った時、迷ったとき、ふと憎しみや嫉みを抱いたとき、美香ちゃんを思うと邪悪な心が飛んでいくのです。

大きな大事な存在だったけど、友人は「美香を置いては逝かれないからね・・・」と・・・
本当に辛くなったときはだんな様に「何でこんなに早く逝っちゃったの!ずるい!早く迎えに来て‥私と美香を」とも言ってました。

何をバカなことを!!って、言ったけど、私にはそれしか言えなかったけど・・・。

美香ちゃんは本当にこの世の中で大事な大きな役目を果たして天使に迎えられて、階段を上っていたのだと信じています。

遠いので、時間が難しいことなどで、ご葬儀には出られない事連絡したら

「ありがと~~今、横にいるわ♪ 綺麗なのよぉ~~まるで本当に眠れる森の姫のよう」と・・・
いつも、今を大事にして美香ちゃんとの生活を楽しみながら、前向きで来た友よ。
またゆっくりと時間を作って会いに行きます。
そして、沢山沢山語りつくしましょうね。


日を追って心が落ち着いて、たまたま来た息子のピアノ(メンデルスゾーンのなぐさめ、とショパンの葬送行進曲を弾いてくれました)に癒されて、ブログにして残しておこうとしたけど、やはり書ききれないことが多くて、支離滅裂だと思います。

ここまでお読みくださった方々に感謝申し上げます。









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