名古屋駅の西側を昭和のはじめまで流れていた笈瀬川。
名古屋城築城の際には、石垣の材料なる石材を運び、昭和初期からは中川運河と姿を変えて(昭和39年には取扱貨物量約400万トン)水運による物流軸として、名古屋の経済・産業を支えた。その中川運河と並行して流れる堀川との連絡を図るために設けられていた松重閘門(1930(昭和5)年に完成)。
水位差を調整しながら船を航行させるこの閘門は、東西長さ90メートルの水路の両端に高さ約20メートルの塔が2棟ずつあり、一対の塔をつなぐ橋に吊(つ)られた40トンの鉄板を上げ下げした。塔の内部には鋼板を動かすのに使う錘(おもり)が入っている。
塔は下から15メートルくらいのところには中世ヨーロッパの城に見られる「石落とし」に似たひさしがある。その上には三角帽子の屋根をつけた見張り台がある。
欧州の城郭風の意匠のこの閘門は、当時名古屋市役所土木建築係の藤井信武が設計(名古屋市役所の設計も担当)。1976(昭和51)年、閘門は46年間続いた役割を終え、現在は名古屋市指定有形文化財として今なおその雄姿を留めている。
By 名古屋 A.M.