7月2日付で、高知県産業振興アドバイザー制度の支援を受けて、高知県JA四万十のアドバイザーとなりました。
(JA四万十のアドバイザーですので、本山町の「土佐天空の郷」は含まれません)
20年以上、色々な産地のお米についてブランド化をしてきました。
しかし、高齢化・担い手不足、さらにブランド米価値の低下などがあり、産地の衰退は止まりません。
判っているのは「今迄と同じ発想では産地の衰退を止める事は不可能」ということだけです。
中山間地の農業を絶やさないためには。
地域が元気になる方法は。
次の時代へ引き継げる農業とは。
担い手に引き継いでもらう価値がある農業とは。
外国産米と戦うためには。
産地に元気になってもらうためには、どうしたら良いのか。
常に色々と考えている中で、今の自分としては、自分が作り出したSuzunobu Project Riceによって、産地のブランド化をしています。
そして、Suzunobu Project Riceによって、色々な産地が元気を取り戻し始めています。
誰もが認める成功事例と言われるようになった産地も、ブランド米も誕生しました。
ですが今まで。
このSuzunobu Project Riceは、100%で実行された事が無いのです。
その理由が、責任の所在です。
ほとんどの産地は、Suzunobu Project Riceに基づきながら実行しているので、本来なら成功も失敗も、全て自分の功績として戻ってくるはずなのですが、自分には「成功は産地に、失敗は自分に」という考え方があるので、自分の計画でありながらも、成功は産地の手柄となっています。
自分としては、それはそれで別に構わないのですが、その後に問題が出て来てしまう事が多いのが悩みです。
どういう事なのかというと、成功したことによって産地は、Suzunobu Project Riceの考え方を無視して、ブランド化計画を自分たちの考え方に変えてしまう事があります。
自分の計画であったはずが、いつのまにか違うものになってしまっているので、その時から自分は、その産地のブランド化についてアドバイスをする事が出来なくなってしまうのです。
さらには、Suzunobu Project Riceであったはずなのに、いつのまにか自分とは関係が無い、違う人が引き継いでしまっているという実態もあります。
そうなってしまうと、もうどうしてあげる事も出来ないのです。
その他にも、色々な理由はあるのですが、産地のブランド化のため、Suzunobu Project Riceを100%使えるようにするためには、いつのまにか、成功も失敗も自分の基に取り戻せるための「特権」が必要となっていて、それを形にするとしたら、正式に依頼された「アドバイザー」の資格という事になるのです。
なのですが、たかが米屋ごときに、この特権をくれる産地は無いのが現実でした。
よってSuzunobu Project Riceを100%使う事が出来ない状態で、今まで産地のブランド化は進められていたのです。
ですが今回、高知県JA四万十が、高知県産業振興アドバイザー制度を利用して、自分を「JA四万十のアドバイザー」に任命してくれました。
打診は春からあり、自分もそれを願っていました。
そして審査を受けても、アドバイザーに成れるだろう事を想定して、春からJA四万十とのブランド化は進められていました。
Facebooに全て書かれているわけではありませんが、読み返すことで、JA四万十がブランド化に向けて、一気に加速している事が理解できると思いますので、興味のある人は、読み直してみてください。
ですが今回、7月2日付で、正式に「JA四万十のアドバイザー」になった事から、JA四万十からの産地発信については今まで通りですが、自分がJA四万十のブランド化について発信していた内容については、一部規制をする事に致します。
「JA四万十 厳選にこまる」の情報発信が少なくなったとしても、計画がとん挫しているとか、ブランド化が止まっているという事ではありません。
今まで以上にシッカリとした、JA四万十のためだけの計画は動きだしています。
そのお披露目は、新米時期となると思っていてください。
情報発信が少なくなるのは、当たり前の事ですが、むだに情報を出すことで、対抗産地を元気づける事が無いようにという考え方です。
ご理解の程、よろしくお願いいたします。
(JA四万十のアドバイザーですので、本山町の「土佐天空の郷」は含まれません)
20年以上、色々な産地のお米についてブランド化をしてきました。
しかし、高齢化・担い手不足、さらにブランド米価値の低下などがあり、産地の衰退は止まりません。
判っているのは「今迄と同じ発想では産地の衰退を止める事は不可能」ということだけです。
中山間地の農業を絶やさないためには。
地域が元気になる方法は。
次の時代へ引き継げる農業とは。
担い手に引き継いでもらう価値がある農業とは。
外国産米と戦うためには。
産地に元気になってもらうためには、どうしたら良いのか。
常に色々と考えている中で、今の自分としては、自分が作り出したSuzunobu Project Riceによって、産地のブランド化をしています。
そして、Suzunobu Project Riceによって、色々な産地が元気を取り戻し始めています。
誰もが認める成功事例と言われるようになった産地も、ブランド米も誕生しました。
ですが今まで。
このSuzunobu Project Riceは、100%で実行された事が無いのです。
その理由が、責任の所在です。
ほとんどの産地は、Suzunobu Project Riceに基づきながら実行しているので、本来なら成功も失敗も、全て自分の功績として戻ってくるはずなのですが、自分には「成功は産地に、失敗は自分に」という考え方があるので、自分の計画でありながらも、成功は産地の手柄となっています。
自分としては、それはそれで別に構わないのですが、その後に問題が出て来てしまう事が多いのが悩みです。
どういう事なのかというと、成功したことによって産地は、Suzunobu Project Riceの考え方を無視して、ブランド化計画を自分たちの考え方に変えてしまう事があります。
自分の計画であったはずが、いつのまにか違うものになってしまっているので、その時から自分は、その産地のブランド化についてアドバイスをする事が出来なくなってしまうのです。
さらには、Suzunobu Project Riceであったはずなのに、いつのまにか自分とは関係が無い、違う人が引き継いでしまっているという実態もあります。
そうなってしまうと、もうどうしてあげる事も出来ないのです。
その他にも、色々な理由はあるのですが、産地のブランド化のため、Suzunobu Project Riceを100%使えるようにするためには、いつのまにか、成功も失敗も自分の基に取り戻せるための「特権」が必要となっていて、それを形にするとしたら、正式に依頼された「アドバイザー」の資格という事になるのです。
なのですが、たかが米屋ごときに、この特権をくれる産地は無いのが現実でした。
よってSuzunobu Project Riceを100%使う事が出来ない状態で、今まで産地のブランド化は進められていたのです。
ですが今回、高知県JA四万十が、高知県産業振興アドバイザー制度を利用して、自分を「JA四万十のアドバイザー」に任命してくれました。
打診は春からあり、自分もそれを願っていました。
そして審査を受けても、アドバイザーに成れるだろう事を想定して、春からJA四万十とのブランド化は進められていました。
Facebooに全て書かれているわけではありませんが、読み返すことで、JA四万十がブランド化に向けて、一気に加速している事が理解できると思いますので、興味のある人は、読み直してみてください。
ですが今回、7月2日付で、正式に「JA四万十のアドバイザー」になった事から、JA四万十からの産地発信については今まで通りですが、自分がJA四万十のブランド化について発信していた内容については、一部規制をする事に致します。
「JA四万十 厳選にこまる」の情報発信が少なくなったとしても、計画がとん挫しているとか、ブランド化が止まっているという事ではありません。
今まで以上にシッカリとした、JA四万十のためだけの計画は動きだしています。
そのお披露目は、新米時期となると思っていてください。
情報発信が少なくなるのは、当たり前の事ですが、むだに情報を出すことで、対抗産地を元気づける事が無いようにという考え方です。
ご理解の程、よろしくお願いいたします。
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