高校時代の友人から電話がかかってきた。
なにやら彼女の話では、一日のうちの半分の時間は探し物に費やしているらしい。
物忘れがあまりに顕著なので、病院で治療を受けた方がよいのではないかと深刻に悩んでいた。
老化を冗談のタネとして他人に気楽に話せるうちはよいが、冗談では済まされなくなってくると怖い。
笑いながら聞いていたが、私もだんだん心配になってきた。
先日ももちゃんのペット用トイレシート(1380円也)が切れそうになったので、買い物のついでに早めに用意して買い求めておいた。
10日ほど過ぎいざ使おうとしたら、いくら探しても見当たらない。
確かに買った筈なのだが、10日も前のこととなると私の記憶もあやふやだ。
買ったのか? 買わなかったのか? 絶対買った! いや、買わない!
不毛なる自問自答が一晩中続き、我ながら疲れ果てた。
些末な事柄を諦めきれないのも老化現象のひとつだろうか?
もしかしたら忘れてきたのかもしれないと、翌日開店と同時にマーケットに行って訊ねてみたら、あった!あった!
マーケットの『忘れ物帳』にしっかりと記録されて保管されていた。
「馬鹿たれ!」
と私の物忘れを夫はあざ笑うが、私と比べると確かに奴は物忘れが少ない。
いや!物忘れはしないが、奴は誤認識という重大な問題を抱えている。
過日ふたりで種山高原まで出かけ『風の又三郎』のブロンズ像を見学してきたことがあった。→【海だべかと...】
種山高原の山々と風に溶け合い、見とれるほどの美しいブロンズ像だった。
夫婦で同じ方向、同じ風景を眺め、同じ感動を共有しているという充足感にしばし満たされた一日だった。 しかし昨夜......
「職場の若い子が種山高原に出かけると言っていたから
あそこには、きれいなピノキオ像があると教えてやったぞ!」
絶句である。
『銀河鉄道の夜』のカンパネルラと間違えるのならまだ見込みはある。
何故に、どこをどうしたら『又三郎像』が『ピノキオ像』に認識されるのだろう?
これはもう......目が悪いとか頭が悪いとか物忘れが激しいとかの問題を超えている。
奴が種山高原で見たものは、確かにピノキオだったのだ。
では私が見たものは、あれは一体何だったのだろう?
私の絶望と衝撃はマグニチュード7.5だ。
なにやら彼女の話では、一日のうちの半分の時間は探し物に費やしているらしい。
物忘れがあまりに顕著なので、病院で治療を受けた方がよいのではないかと深刻に悩んでいた。
老化を冗談のタネとして他人に気楽に話せるうちはよいが、冗談では済まされなくなってくると怖い。
笑いながら聞いていたが、私もだんだん心配になってきた。
先日ももちゃんのペット用トイレシート(1380円也)が切れそうになったので、買い物のついでに早めに用意して買い求めておいた。
10日ほど過ぎいざ使おうとしたら、いくら探しても見当たらない。
確かに買った筈なのだが、10日も前のこととなると私の記憶もあやふやだ。
買ったのか? 買わなかったのか? 絶対買った! いや、買わない!
不毛なる自問自答が一晩中続き、我ながら疲れ果てた。
些末な事柄を諦めきれないのも老化現象のひとつだろうか?
もしかしたら忘れてきたのかもしれないと、翌日開店と同時にマーケットに行って訊ねてみたら、あった!あった!
マーケットの『忘れ物帳』にしっかりと記録されて保管されていた。
「馬鹿たれ!」
と私の物忘れを夫はあざ笑うが、私と比べると確かに奴は物忘れが少ない。
いや!物忘れはしないが、奴は誤認識という重大な問題を抱えている。
過日ふたりで種山高原まで出かけ『風の又三郎』のブロンズ像を見学してきたことがあった。→【海だべかと...】
種山高原の山々と風に溶け合い、見とれるほどの美しいブロンズ像だった。
夫婦で同じ方向、同じ風景を眺め、同じ感動を共有しているという充足感にしばし満たされた一日だった。 しかし昨夜......
「職場の若い子が種山高原に出かけると言っていたから
あそこには、きれいなピノキオ像があると教えてやったぞ!」
絶句である。
『銀河鉄道の夜』のカンパネルラと間違えるのならまだ見込みはある。
何故に、どこをどうしたら『又三郎像』が『ピノキオ像』に認識されるのだろう?
これはもう......目が悪いとか頭が悪いとか物忘れが激しいとかの問題を超えている。
奴が種山高原で見たものは、確かにピノキオだったのだ。
では私が見たものは、あれは一体何だったのだろう?
私の絶望と衝撃はマグニチュード7.5だ。
辞書が間違っているというのは、闘魂さんに教えていただいたことのひとつですが、全面的に信用出来ないとなると、我ら凡人は困ってしまいますねぇ。
「晩年になるとこれが結構応えるのよ」
これはイヤなことを我慢していかなければならない、堪える(こらえる)ということですから、堪える(こたえる)を使うべきでしたね。
>最近ちょっと忙しく
歯車が回り始めたということでしょうか?
そうであるなら私も嬉しいです。
意地を張るつもりはありませんが、これは「辞書が間違っている」ケースではないかとすら思います。
辞書の例文ですから「(予想外の)前後の文脈」ということも無いでしょうしねえ。
出来れば調べてみますが、最近ちょっと忙しく(逃げるわけではありませんが)ちょっとお約束できない、という状態です。
うん、でもとても気になります。
> 「僅かの金で持ち堪える」
これは本来の意味でしょうね。
この意味に「堪える」を充てること自体はまったく異論ありません。
この字で変換した時ちょっと疑問を持ったのですが、でも「堪える」は思い浮かびませんでした。
「レベルが高い間違い」と言われて喜んでいる場合ではありませんね。
あっ、でも今辞書で確認したら
「寒さが応える」
「僅かの金で持ち堪える」
のような例が提示されていましたが、そうなると文意から言って「応える」の方になりませんか?
>せめては新しきパンツを穿いて
闘魂さん、早く仇に巡り会えるように勝負パンツはいて頑張ってください!
探していたかもしれません。
お気の毒ですよねぇ。
オヤジの面目丸つぶれですが、でも案外若い子もピノキオだと思ったかもしれません。
私は又三郎さんの記事で予備知識があったから又三郎像に見えましたが(いや、又三郎像以外の何ものでもないのですが)、もし予備知識がなかったら、ピーターパンとも幸福の王子とも.....
昔から『夢の中へ』の歌詞は一体何を言いたいのだろうと思っていました。
メッセージ性の強いフォークソングが下火になっていた頃の歌ですが、それにしても「傘がない~♪」などと、どうでもよいことを歌い上げる陽水の虚無と諦観。
>探すのをやめたとき見つかることもよくある話で
今読めば.....あらっ?ナント私にピッタリ!
又三郎さんの若夫婦へのスピーチは素晴らしいと思います。
同じ風景の中で同じ方向を見る.....それでも同じものが見えていない点が実に面白いのだと考えます。
これは「堪える」ですな。
なんでもかんでも(主として「応える」とすべき場面で)「答える」で済ませてしまう最近の傾向から言えば、レベルの高い間違いではありますが。
> 探すのをやめたとき
> 見つかることもよくある話で
幸せを探すのは
おおよそ諦めたのに
幸せはあまりに遠し
せめては新しきパンツを穿いて
小さな幸せを買いに行こう
「金とオンナ」の「かたき」にもなかなか巡り遇えないし…。
職場の若い子は、ピノキオを捜しているかも?(笑)
見つけにくいものですか
カバンのなかも机のなかも
探したけどみつからないのに
まだまだ探す気ですか
それより僕と踊りませんか
夢の中へ、夢の中へ
行ってみたいと思いませんか
休むことも許されず
笑うことは止められて
はいつくばって はいつくばって
いったい 何を探しているのか
探すのをやめたとき
見つかることもよくある話で
踊りましょう
夢のなかへ行ってみたいと思いませんか
探し物はなんですか
まだまだ探す気ですか
夢の中へ 夢の中へ
行ってみたいと思いませんか
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
あらためて陽水の「夢の中へ」を読んでみると、なるほど・・・と思いますね
ゆっかりんさんの印鑑のように必死に探しているときって見つからないんですよね
探し物は、ほんとに探すのをやめたとき「え゛・・」というよなところから出てくる
物忘れ、探し物は夫婦の仲もそんなものかも・・・
種山高原で御主人の眼に見えたのは間違いなく又三郎だった
でも御主人には誤認識でもボケでもなく「又三郎」なのは解ってるけどインプレは
「ピノキオみたいだ」と思ったのではないかと思います
『これは、夫婦って同じ感性で、同じ風景、同じ方向をみていないという確固たる証拠。』
結婚式のスピーチを頼まれると、私は決まってサンテグジュペリの
「愛はお互いを見つめあうことではなく、ともに同じ方向を見つめることである。」
を引用します。お互いに、ずっと見つめ合うのは無理があるけれど
ふと気付くと、相手の目線の先が、自分が見てる方向と同じならそれでいいし
ずっと続けていけるものなのだと
nihaoさんのコメントは、この言葉の裏返し?
同じ感性では観ていないかもしれないけど、ふと気付くと、いつも同じ風景、同じ方向を見てくれている。
nihaoさんはご主人に愛されて幸せな奥様だと思います(^^)
若い人たちからすれば聞くに堪えないことでしょうが、我慢して笑ってあげてくださいね。
笑ってくれれば高齢者は安心するのよ。
そのうち笑えなくなるときがくるかもしれませんが。
又三郎をピノキオと誤認識したのは.....
誤認識ではなくやっぱりボケでしょうかね。
夫の思考回路のなかで、何か共通点が両者にあったのかもしれません。
行きつけの日帰り温泉宿ではありませんか?
時計はなかなか出てきませんよね。
私は、去年ずっと着ていたウインドブレィカーのポケットに千円入っていてラッキー♪
衣替えしたら、先ずはポケットの確認を!
ピーターパン!
幸福の王子と言いピーターパンと言い、要するにその人が認識したのなら......何でもOKのような気にだんだんなってきました。
お茶のみ友達との会話もなぜか物忘れ自慢になってるみたいで、それを聞かされるたびに私も気をつけなきゃなぁ~と思いますけどどーなることやら。
ピノキオ・・・・風の又三郎・・・わからんなぁ。うちの旦那が言ったなら私どんな言葉を投げつけるかしら。
ピノキオかピーターパンか・・・何度見ても素敵な像ですね。夢を追いかけているように見えます。
これが一番始末に負えないですね。
ゆっかりんさんのように、無意識に元の保管場所にしまうのならまだよいのですが、たいていはとんでもないところにしまっていますね。
探しても探しても見つかるはずがありません。
無意識にならないように意識することは難しいことです。
「幸福の王子像」なら「ピノキオ像」より納得、この像は王子様に見えないこともありません。
「幸福の王子」はとても悲しい物語でしたが大好きです。
タイトルがなぜ「幸福の王子」なのか、子ども心に最後まで疑問でした。
先日も貯金を下ろすのに印鑑を使って、家に帰ってから探してみたのですが、バックに入ってないし、銀行に電話しようと思ったのですが、もう一度だけと、いつもしまってある場所を見たら、入ってました。ガクッ・・・。
無意識にしまったみたい。本当にだめですね。
nihaoさんの旦那様、きっと温泉に早く入りたかったんですねー。
私なら、きっと「幸福の王子」様の像と間違えるかも・・・。
像と言えば、それしか思いつかない私。
さすが......お笑いの本場の地では、そのように突っ込んでお笑いのネタにして、お互いのミスをカバーしあうんですね。
これだと全然深刻にならないしいい方法ですね。
参考にしたいけれど、ウチはふたりともボケ。
突っ込みがいないや。
「同じ風景・方向を見ていないのは普通」
若いうちはそれでもよいのですが、晩年になるとこれが結構応えるのよ。
我が家では私の方が名所旧跡には関心が薄い方で
umiさんのお言葉は耳が痛い(笑)
ただ最近は私も少しは落ち着いてきたのか(?)、看板とか説明書とかよく読むようになりました。
でも地理女・歴女にはほど遠い。
この場所には薬草温泉がありました。
温泉好きな夫は早く温泉に入りたくて、目の前の像が又三郎でもピノキオでもどっちでもよかったのかもしれません。
もしかして、別にピノキオ像があった??
ウチだと「どこにあった?」と突っ込んでしまいますね~。
>同じ風景、同じ方向をみていない
あぁ、これって我が家では普通です。
名所旧跡を見てもそこに書いてあるいわれのような立て看板すら見ないのよ。
知ろうとする気もなって・・・
一緒に行く気も失せて早ン十年
一緒に又三郎像を見に行ったはずなのに、夫は全く違うものに見えていたんですね。
これは、夫婦って同じ感性で、同じ風景、同じ方向をみていないという確固たる証拠。
がっかりしても仕方ないから、面白がって笑うしかないです。
しかし.....岩手県人なら種山高原で連想するものは文句なく宮沢賢治だし、私より夫の方が賢治には詳しいのですが.....
又三郎像の鼻がもっと長ければピノキオ像と言えますね。
あるいは夫さまはよく見えない?
↑
老眼かも・・・