blog-cafe

マダムnihaoのフレッシュ搾りたてブログ。お気軽にお立ち寄りください。

ドラクエで脳トレ

2013-12-12 08:40:30 | Weblog

         



 スクウェア・エニックスがスマートフォン版の『ドラゴンクエスト』を無料配信してくれるというので、年甲斐もなくダウンロードして遊んでおりました。

 ドラゴンクエストは、我が国のRPG(ロールプレイングゲーム)の金字塔を打ち立てた画期的なゲームソフトです。
忘れもしません。
27年前の初めての出会いはたいそう衝撃的なもので、ゲームのシステムや物語の世界観にあっという間に虜になってしまいました。

 「こんな面白すぎるものを子どもに与えてはいけない!
 「いつの日か青少年の健全な精神はゲームに毒され、日本は滅びてしまう!

 大切な子どもたちの心身に何か問題が生じたら取り返しがつきません。
本気で心配するあまり子どものプレゼント用に買ったソフトは、私の独占・管理の下で、要するに私のやりたい放題と相成った次第です。

 ああ、でも今だから白状すると
私はドラゴンクエストのせいで、子どもたちの学校行事や参観日やPTA役員の会議をすっぽかして注意されたことが数度ありました。
用事を忘れていたのではなく、外出の支度をした上でちょっと10分のつもりが、不思議なことに2時間も経っていたのです。
コントローラーを手にすると正気ではなくなる魔力がドラクエには潜んでおりました。

 ドラゴンクエスト・シリーズはPS2版のVIIIまで大いに楽しみました。
その後はゲームの内容やゲーム機の進化に、頭もお金もついていくのがだんだん無理となりました。

 最近のオンラインゲームには抵抗があるのでまだやったことはありません。
現実生活では滅多に行き来することのない息子と娘が、ゲームの世界では仲良くいっしょに旅をして姉弟愛を育んでいるようです。
お母さんもいっしょにやろうよ」とよく誘われますが、もう私のゲーム脳は限界です。
それに私と子どもたちだけがバーチャルの世界で仲良く暮らし、ひとり現実世界に取り残されるオットーのことを考えるとちょっと気の毒です。

 スマホ版ドラクエは、小さく複雑な画面上を指で操作し、体力と強さのレベルを図りながら敵と闘い、恐怖と地獄のダンジョンをさまよって・・・
と、いっぺんにいくつものことを考えて進まなくてはならず、これはもう完全に私自身の惚け防止のために大変役立っております。

 やはり昔と比較したら記憶力の低下が著しく、町の名前や登場人物たちと話した内容をすぐ忘れてしまいます。
苦労してやっとたどり着いた場所も時間を経るともう行けなくなるし、いつまでたっても狭いマップの中を堂々めぐりしているばかりで、それ故にこそこれは、衰えた脳力を刺激するには最適なゲームだと言えるでしょう。

 私ばかり賢くなっても申し訳ないので、来たるべき認知症検定受験のトレーニングのために、みなさまにも可愛らしくて楽しいゲームをひとつご紹介します。↓

 探して子犬探して子犬











暦の上ではディセンバー

2013-12-05 13:25:00 | Weblog

 さていつの間にやら「暦の上ではディセンバー」と相成りました。
一日は長いのに一年はなぜこんなに早く過ぎ去るのでしょう。

                

 M嬢がまた頼みもしないのに、どこかから戴いた渋柿をたくさん持って来てくれました。
いつも私に作らせないで、今年は自分で作ってごらん!
って、そんな、私、作らせたことなんかないし、干し柿食べたいと言ったこともないのに・・・
とにもかくにも私は生まれて初めて干し柿なるものを無理矢理作らされました。
破棄寸前の物干スタンド・パラソルに干したので、憧れていた晩秋の軒下の風物詩からはちょっと遠かったけれど、完成した干し柿はなかなか美味です。
  
                 
               ★     ★     ★


 数字なら四桁、文字なら五個・・・我が記憶力の鬼門であります。

 先日薬局に『ビタミネン・ゴールド』というビタミン剤を買いに行くことになりました。
もちろん薬瓶のラベルを確認して「ビタミネン・ゴールド、ビタミネン・ゴールド、ビタミネン・ゴールド!」ときっちり3回唱えました。
インパクトの強い名前なので忘れる筈はないでしょう。途中スーパーと銀行に寄り30分後に薬局に着きました。

 しかしなんということでしょう。
ビタミン剤のコーナーには私が求める「ビオタミン・ゴールド」はありませんでした。
「あれっ、ビスタミン・ゴールドだったか? アリミネン・ゴールドだったか?」
思い出そうとすればするほど混乱してしまい、結局買わず買えずに戻ることになったのです。
後日空になった薬瓶を持参した上で間違いなくビタミネン・ゴールドを買い求めてきた次第です。

 私の記憶力がいかに低下したかという問題はさておいて、薬の名前というのは実に紛らわしくて覚えにくいものです。
しかも製薬会社は、薬の成分やその疾病を喚起させるイメージの薬名をつけるから、どことなく似通ったネーミングになっています。
その上なんでもかんでもオール・カタカナ。 
もしビタミネン・ゴールドが、美民年・ゴールドだったなら私は絶対に忘れることはなかったでしょう。
胃腸薬だって[第一三共No.1] とか[タケダ薬品No.5]とかにすれば、まだしもスッキリ覚えられると思うのですが・・・いや、そうでもない???

 そう言えば病院では、医師から必ず「現在服用中のお薬の名前を教えてください」と訊ねられます。
この質問に正確に答えることが出来る人は、はたしてどれくらいいるでしょう。

 「紫の袋に入った白くて苦い粉薬とピンクのカプセルの2種類です
 「血圧の薬が白い錠剤。胃薬が赤い錠剤です

 これでは医師泣かせ。全然答えになっていません。
私は自分の使用している味噌や醤油やサラダ・ドレッシングの商品名ですらスラスラ言えるのに、大切な命と健康を預かる薬の名前は何ひとつ言えません。
これはすごく恥ずかしいことであります。
これからは自分の薬の名前くらい正しく言えるようにならなければならないなと反省させられた一日でした。


 

 









北京レポート・北京晴れ

2013-10-16 22:25:00 | Weblog
 「世界遺産・北京五日間の旅」から無事戻って参りました。
北京は古さと新しさ、粋と無粋、豊かさと貧しさが渾然一体となっている賑やかな大都市でした。
どこまでも続く街路樹の柳の大木に悠久の時間を感じました。
柳絮(りゅうじょ)の季節にまた行ってみたいと思います。

 北京は世界遺産密集エリアです。
市内には6つの世界遺産[万里の長城・頤和園(いわえん)紫禁城・天壇公園(てんだんこうえん)明の十三稜・周口店]があり、それら全部をくまなく巡ってきました。
その他にも天安門広場・胡同(フートン)盧溝橋・北京動物園も回るという充実の五日間でした。
思ったほど疲れませんでしたが、早く記録しておかないと、何が何やらどこがどこやら、どんどん忘れてしまいそうです。

 格安ツアーだったせいか(?)、一日目は全日を移動に費やしました。
盛岡駅を出発したのが午前10時。仙台空港を午後3時に出て、上海を経由して北京に到着、市内のホテルに落ち着いたのが午後10時でした。
長い長い一日でした。

 北京空港で専用バスを待っていた時、うっすらと幻想的な白い霧に包まれましたが、それがかの有名な微小粒子状物質PM2・5であると認識した途端、みんな慌ててマスクをつけました。
明日からの四日間、この大気汚染物質との闘いになるのかと思うとうんざり。

 
           


 旅行中は五日間とも同じホテルだったので大変便利でした。
これは↑午前8時、ホテルの窓から見た風景です。
大きな太陽が昇っているのに曇り空という不思議な光景です。
明らかに異常な現象で人間が住む環境ではないと思うのですが、北京市民は誰もマスクなど着用しておらず健康への影響が懸念されます。
大気汚染は自然災害ではないので、人間の叡智を結集すれば解決の道は見いだせる筈です。
人々は先ず、ひと昔前の北京の青い空を思い出すことが大切ではないでしょうか。

 それにしても実に不思議なことが起こりました。

 同行のメンバーによほど心がけの正しい者がいたみたいで(もしかして私?)、昼頃から突然神風が吹き始め、あんなに厚く垂れ籠めていたPM2・5が一掃されたのです。
北京市民も久々の北京晴れが戻ってきたと喜んでいました。

          


 紫禁城↑(故宮博物館)を見学していた頃には、こんなに美しい青空となりました。
紫禁城は天安門広場と隣り合わせになっていて(知らなかった)、ここの見学では1万8千歩も歩くことになりました。
そして北京ブルーは旅行中ずっと続き


          


 4日目の万里の長城にも大変気持ちよく登ることができました。
なんと幸運な旅だったことでしょう。        (続く)






 

中国へ

2013-10-07 12:20:00 | Weblog
        
  
 紫波ふる里センターで毎年開催されている『かかし祭り
今年は『あまちゃん』関連のかかしが多かったが、政治風刺作品も傑作ぞろいだった。
作品に寄せるメッセージも面白い。

 「あがらねぇ、アベノミクス
 「国防軍と言い切る石破、おっかねぇ
 「麻生さん、庶民の食、食べに来て



           ★      ★      ★



 中国北京周辺の大気汚染が深刻だ。
視界不良のため高速道路が通行止めになったり、国際空港の発着便に欠航が出ている。
北京市内の大気汚染レベルは6段階で最悪の指数を記録していて、当局は住民に外出を控えるよう呼びかけているという。

 テニスの中国オープンで北京に滞在していたクルム伊達公子も、試合中に頭痛がして
この調子の悪さは空気が原因としか思えない
と切れて予選を途中棄権して帰国した。
テレビから流れる北京市内の映像では、高層ビルの上層部が白い煙に覆われていて全く見えない。


 ああ、北京のこの現状、どうしよう? どうにかならないか? なんとかしてよ!
ホント、他人事ではないnihao。
・・・だって私、明後日(9日)北京に行くんデス。
「PM2・5」の調査ではありません。観光旅行デス。

 春先からことあるごとに申し込んでいた中国ツアー。
しかし鳥インフルエンザや尖閣問題、大気汚染問題等に嫌気がさして全然人が集まらなく、なかなか実現しなかった。
今回ついに募集人員クリアしてやっと日の目をみたと思ったら最悪の大気汚染の真っただ中だなんて。
こんな調子では、楽しみにしていた輪タクに乗りながらの胡同巡りとか、可愛いパンダに会える北京動物園とか、一体どうなる?

 いや、誰が何と言ったって、私たちにとって北京は絶対に行かねばならない場所。
学生時代、毛沢東に心酔傾倒したML派という全共闘の闘士とそのシンパだった我ら夫婦。
阿呆な青春時代の落とし前をつけるためには、天安門広場の真ん中に立たなければならないと思っている。
上海では駄目、北京でなくてはならないのだ。
日中間の国民感情の悪化に関しては、私のような者が率先して回復に努めなければならないとも考えているし・・・(なんちゃって)

 どういうことになるのか予想がつかないが、行ってきます。
「PM2・5」報告をお楽しみに。










炎のマエストロ

2013-09-15 14:35:00 | Weblog
 コバケンのライブに行った。
コバケンではなくケンコバの間違いだろうって?
いや、炎のマエストロ、指揮者の小林研一郎(コバケン)率いる『東京都交響楽団』のコンサートに行った。 

 そのエネルギッシュで情熱的な指揮は、オーケストラはもちろんのこと聴衆をも炎のごとく熱くする。
福島出身なので、震災復興の活動に積極的に取り組まれている小林氏、この日も演奏終了後、岩手の観客たちに温かい応援のメッセージを発してくれた。
このような行為は指揮者としては珍しく大変嬉しい。


          

 
 曲目は「ショパン:ピアノ協奏曲第1番ホ短調作品11」と「ブラームス:交響曲第4番ホ短調作品98
ピアノは日本を代表するショパンの名手、盛岡出身の小山実雅恵さん。
盛岡市民文化ホールの入りは七割ほどだった。
この日は友人のM嬢と一緒に行った。 
M嬢も最近、シンフォニーの魅力に取り憑かれたばかりなのだ。


 このところ私のコンサート詣での勢いが止まらない。
11月開催の某オペラ歌手のソプラノ・リサイタルのチケットも既に入手しているし・・・
そもそもクラシックを聴かなければ夜も日も明けないというほど熱烈な愛好家ではないのだが、なぜか例年とは比べようもないほどクラシック音楽に飢え、かつ求めているのが自分でも不思議だ。

 いや、私は知っている。
私をこのように駆り立てている原因はオットーにあるということを。 なぜなら・・・

 今春退職してサンデー毎日となったオットー。
当然ながら我らの趣味の秘湯・名湯巡りの回数も一気に増えた。
目的地も近場の岩手・秋田・青森から、山形や宮城にまで足を伸ばす日もある(もちろん日帰り)

 運転が趣味のオットーは、車上では全く疲れを知らない男となる。
長距離ドライブを終えて無事帰宅した後の彼の一言は
 「今日の○○県の秘湯はよかったな」ではなく
 「今日もたくさん運転出来て面白かったな」である。

 問題は道中のBGM。
原則としてドライバーが音楽を選択するのが不文律だと考えるので、車中はオットーの趣味のど演歌が大音量で流れる。
夫婦演歌、股旅演歌、母物演歌、スナック演歌、任侠演歌、望郷演歌、青春演歌etc 
時々は軍歌だって流れてくるし、松井須磨子やエノケンなどの珍しい伝説の演歌も流れてくる。
そしてやつが特に好きなのが小林旭石原裕次郎
彼らの曲を聴くと疲れと眠気が覚めるというので私も仕方なくお相伴にあずかるが、もう飽きるほど聴かされた。

 演歌はどうも苦手だ。
私の求めるリアリティが演歌の世界にはあまりないような気がするから。
だからと言って演歌の存在は否定しないけれど。
 
そろそろパヴァロッティが聴きたいんだけれど・・・」
私も遠慮がちに提案するのだが
やかましいから駄目!
と一言のもとに否定される。理不尽な話だ。

 想像して欲しい。
往復8時間もの密室の車中で、ずっとこれらの演歌を聴いていなければならない私のことを。
具合が悪くなり機嫌も悪くなり、しまいには発狂しそうになるのを、いつも私はじっと我慢しているのだ。
この反動で私は、僅かな年金をコンサートチケットに費やすことになるのだと思う。

 ドライブ好きの夫婦の音楽の趣味が合わない

 はたしてこの問題の解決策はあるだろうか?

秘湯巡りを止めればよいというのは答にならない。 代わりに何をすればよいのか分からない。
音楽を流さなければよいというのも答にならない。 話すことが何もないのだからね。私たちは。

 










東京オリンピックの思い出

2013-09-08 13:15:00 | Weblog

        


 2020年五輪開催都市に東京が決定した
1964年以来半世紀ぶりの開催である。

 生きている間に二度も日本開催のオリンピックを見ることができるのはとても嬉しい。でも・・・

 「それまで私たち、はたして生きているかしら?
 「死んでるべ

 このおめでたいニュースが唯一のご馳走となった朝の食卓で、珍しく私とオットーの感性が一致した。

 7年先のことなんか全くわからない。
でもともしびちゃん(孫・仮名)が小学校に入学するまで元気だったら、翌年の東京オリンピックも見ることが出来るかもしれない。
先ずは今後の生存目標を7年後に定めよう。
生きていたら大好きな飛び板飛び込みの競技を見たい。


 先の東京オリンピックの時、私は中学3年生だった。
我が家はそれまで白黒テレビを見ていたが、オリンピックをきっかけにカラーテレビに買い替えた(※と思っていたが、これは私の記憶違いであることが後から判明した)

 記憶に残っている競技や選手は、大松監督率いる女子バレーボール・東洋の魔女たち
根性という言葉が大流行して、根性さえあればすべての問題が解決して良い結果をもたらすという錯覚が
日本中に蔓延して、根性なしの私はなんだか居心地悪かった。

 それから男子体操・遠藤幸雄選手の金メダル。
今の難度はFとかGだが、あの頃はみんながウルトラCに憧れた。
学校ではやんちゃな男の子たちが教室の机や椅子を使って危険なウルトラCごっこをやって先生に叱られた。
男子ってホントにバカだ。
チェコの女子体操のチャスラフスカ選手の美しい演技も記憶に残っている。
彼女の名前は「きゃりーぱみゅぱみゅ」ぐらい発音が難しくてアナウンサー泣かせだった。

 マラソンのアベベ選手や柔道のアントン・ヘーシンク選手のことも印象深い。
しかし絶対忘れてならないのはレスリング・フリースタイル・フェザー級で金メダルを獲得した渡辺長武(おさむ)選手。
どの時点でかは内緒だが、nihaoの学校の大先輩でもあり我が郷土の英雄だ。
競技とは関係ないが、ジャイアンツの長嶋茂雄選手が、オリンピックコンパニオンだった美しく知的な女性と結婚したのも華やかなニュースになった。

 特筆すべきは市川昆監督制作の映画『東京オリンピック
学校の生徒みんなで集団映画鑑賞をした(当時は1年に二度くらい集団鑑賞があった)
オリンピックは筋書きのないドラマ』という監督の考えが反映された画期的な作品で、選手の心理描写に重きをおいた、従来の記録映画とは全く異なる性質の芸術性の高い映画が完成した。
この映画の斬新さは、まだ子どもだった私も大きな衝撃を受けた。
しかし時のオリンピック担当大臣からの「記録性に欠ける」との批判が出たのをきっかけに、国をあげて「芸術作品か記録映画か」の大論争が起こった。
私は今でも平均台の上での華麗かつ幻想的なチャスラフスカ選手の演技の映像が目に焼きついている。
記録は忘れるが芸術はいつまでも記憶に残るのだ。
東京オリンピックは、私たちの暮らしや意識にも確実に変化をもたらしたと思う。

 私は受験勉強もそっちのけでオリンピック観戦に余念がなかった中3生だった。
オリンピックが終わり、生徒たちの心身もいくらか落ち着いた一ヶ月後の社会の模擬テストの問題。
オリンピック関連の問題が出るだろうと予想していた私だが、問題を見てあっと驚いた。

  『オリンピック委員会の会長の名前を書きなさい

 あれっ、これは盲点だ。まさか会長の名前がテストに出るとは。
しかも三択ではないのでお手上げだった。

 テスト終了後
ブランデージ会長よ。開会式の前に自宅が火事になってニュースになったので、よく覚えているわ
親友のとし子ちゃんの得意満面の顔が今でも目に浮かぶ。
あの日、とし子ちゃんがすごく賢く立派に思えた。














ツケメンin盛岡

2013-09-01 17:25:00 | Weblog
 今、ツケメンが女性たちの間で大人気だという。
私も大いに興味ある。
8月30日盛岡初上陸という話を聞いて、早速ツケメン初体験をしてきた。
ツケメンとは言っても、あの「つけ麺」ではなく、クラシック界の新星、ヴァイオリンとピアノによる男性三人組の音楽ユニットの「TSUKEMEN」のこと。全員まだ20代だ。

 いつもならクラシックコンサートには、ど演歌ファンのオットーには留守番をしてもらって自分ひとりででかけるのだが、今回はオーットーも連れて行ってあげようとの情け心がふと生じた。
なぜなら今年はすでにオペラにピアノにシンフォニーと、三つのコンサートに行かせてもらっているし、オットーの年金で私だけ贅沢するのはなんだか申し訳ないような殊勝な気持ちになっていたのだ(なんちゃって)
それに二ヶ月ほど前、テレビ朝日の『題名のない音楽会』に出演したTSUKEMENの演奏を聞いて、彼らの音楽ならオットーも楽しめると確信したのである。
もちろん会場に着くまで「つけ麺」を食べに行くと思って喜んでいたオットーではあったが・・・

            
                    
                


 TSUKEMENのメンバーは、左からヴァイオリンのTAIRIKU、ピアノのSUGURU、そしてヴァイオリンのKENTA。
3人ともに実力と実績を兼ね備えたスーパープレイヤーであり作曲もするスーパークリエイターだ。
3人の中のひとりは、あの偉大なるアーティスト・さだまさしの長男なのだが、写真を見て当てることができるだろうか?

 TSUKEMENというグループ名に関しては、さだまさしからの「君たちはイケメンとまではいかないがツケメンぐらいだ」と言われたのがきっかけで決定したそうだが、いやいや、3人ともいいとこのお坊ちゃん風の爽やかなイケメンだ。

 彼らのチケットは都市部では即日完売するほどの人気だというが、盛岡での認知度はまだまだ低く、キャラホール六割強の入りだったのが残念だった。
しかし「盛岡での公演を楽しみにしていました」と元気いっぱい白熱の演奏を繰り広げてくれた彼ら。
アコースティック楽器による美しく繊細かつ豊潤な生音にうっとりと聞き惚れた。

 演奏は、クラシックありオリジナル曲あり映画音楽やアニメソングありとジャンルを超えて実に多彩。
しかも全部が誰もが知っている超有名曲ばかり。
映画音楽なら『スーパーマン』『タイタニック』、クラシックなら『カルメン』『剣の舞』、アニメなら『ルパン三世』『残酷な天使のテーゼ』など。ベタな選曲でみんな大喜び。
しかしどの曲も独自なアレンジをしているのでとても新鮮な感じがした。
オットーは「オレの知っている曲はひとつもなかったゾ」と首を傾げていたが・・・
う~ん、かなり問題ある。
 
 最後の『チャルダッシュ』では壇上から下りて客席を巡って演奏する大サービス。
この日我らの席は前から三列目の通路側。何かが起きる予感がした。
来る!絶対来る!」と念じていたらホントにTAIRIKUが私の席にやって来て、にっこり微笑んで耳元で演奏してくれた。
ああ、なんて素敵なこの夕べ。 TUKEMEN大好き!


                

 ところでこれは我が家のつけ麺
このつけ麺だれはかなりのイケ麺だれだ。 そこいらのラーメン店よりずっと美味しい。
調味料の分量を記しておくのでどうかお試しあれ。

  [つけだれ・二人分] 

味噌(大匙2) 麺つゆ(大匙2) オイスターソース(大匙1) ごま油(大匙1)
ラー油(大匙1) すりおろしにんにく(大匙1) 胡椒適宜  お湯(200cc~250cc)
※ 以上を混ぜ合わせる。濃い目のたれなのでお湯の量で好みに調整してください。

 もう何度も食卓にのぼったメニューだと思っていたが、オットー曰く「オレ、初めて食べた
あれ???  そうか・・・オットーのいない日の昼用の私のメニューだった。
つけ麺もイケメンもひとりでこっそり楽しむのがよい。











ぽんぽこ化現象

2013-08-19 11:40:00 | Weblog
       

 今年はサッカーボール級の大きい北海道メロンをたくさん頂いた。
生ハムメロンにしたり、アイスクリームを添えたり、ジュースにしたり・・・そうだ、ブランデーも買って来よう!




 昨日、8月18日の岩手日報紙1面コラム、風土計氏曰く
最近のアクセントでどうも気になることがある。雇用、予算、支援、指導など語の初めを高く発音するのを耳にする。アクセントは地域性や個人差があるから目くじらを立てるものではないと思うが、政治家がよく使っているようだ。ヨウを生むためサンの面でエンするようドウを・・・などという。語の前の方にアクセントがあると、印象が強くなり演説調に向いているからではないか。日本語のアクセントは若者を中心に平板化する傾向にあるが、政治家は逆の動き。その言葉が指す事柄を論点、争点としたいからであろう。政治家のアクセントに違和感を持った時は、善きにつけあしきにつけ意図があると思った方がよい

 私も最近の政治家さんたちのアクセントには違和感を感じていたが、そこに何らかの意図が隠れているとまでは考えたことがなかった。
なるほどな。 風土計氏の慧眼に驚く。
このような語の頭にアクセントを置く傾向は何と言うのだろう?
ぽんぽこ化現象とでも名付けてみようか。


 しかし最近は、政治家ばかりではなく日本語の発音の基礎と言われているNHKのアナウンサーのアクセントにも首を傾げることが多い。
例えば「東電」の発音。
特に大震災後顕著になったと思うのだが、ウデンと頭の方にアクセントが置かれていてはなはだ落ち着かない。
ネットで検索すると、私と同じような違和感を抱いている人がかなりいる。


 昔から「東電」はフラット、もしくはトデンだった。
 東京電力の発音は決してウキョウデンリョクではないし、東大のこともウダイとは言わない。
北電、関電、中電、九電も頭にはアクセントを置かないと思う。
なぜここにきて東電だけ急にぽんぽこに化けてしまったのだろう?

 東電は一企業の略称でしかないから、アクセント辞典にも載っていないと思う。
フラット化ぽんぽこ化のどちらが正しいかを判断する基準もない。
それゆえに目くじらを立てるほどの問題ではないのかもしれないが、一日に何度もウデンと聞かされると、私は体中がむず痒くなってくるし、はっきり言って気持ち悪い。

 岩手日報の風土計氏は、語の前にアクセントを置く場合(つまりぽんぽこ化)には「その言葉が指す事柄を論点、争点としたいからであろう」と分析していた。
確かにウデンさん、身から出たさびとは言え、ここ何年も厳しい論点、争点の的とはなっている。
世間からウデンと呼ばれている限り福島の危機は終わらない!


 ところで同じく18日、NHK高校野球中継で弘前学院聖愛(青森)×延岡学園(宮崎)の試合を見ていたとき、アナウンサーが最初から最後まで弘前学院聖愛高校をイアイ高校と発音していた。
なにか非常に間が抜けている感じ。本当にこのアクセントで正しいのだろうか?
聖職とか聖人の例を参考にして考えると、ぽんぽこではなくやはりフラットで発音するべきではないだろうか?
それにしてもNHKでは、放送前には地名とか人名とかグループ名だとかの正しい読み方やアクセントなどの厳しいチェック機構があると聞いていたのだが。
あっ、もしかしたらアナウンサー氏、イアイと発音することによって「性愛」の語との区別をはっきりつけたかったのかもしれないな(なんちゃって)

 それにしても聖愛高校の生徒さんや関係者はどのように発音しているのだろうかと、気になって気になって仕方のないnihao。
そこで実際に弘前学院聖愛高校に電話して確かめることにした。

 残念ながら試合は負けてしまったが、聖愛高校では、応援や問い合わせ電話の対応には生徒さんたちが手分けして当たっているようだった。
私の電話にも、礼儀正しく元気のよい男子生徒さんが出てくれた。

 私はもちろん「負けて残念でした。でもまた頑張ってね。」と労をねぎらってから、本題の「皆さんは自分たちの高校の名前ををどのように発音しますか?」と質問した。
すると「イアイとは言いません。セイアイ高校とフラットで発音します。」との予想通りの答が返ってきた。
ほらね、NHKは大きなミスをしたことを知るべきだ。

 ひところクラブとかカレシとか、発音のフラット化現象が問題にされたことがあったが、このような語の頭にアクセントを置くぽんぽこ化現象(by nihao)も、もっと問題にしてよいのではないだろうか。











あれやこれや記

2013-08-08 15:00:00 | Weblog

           


 産直で見つけたハート型と星型のきゅうり。お料理がちょっと楽しくなるアイテムです。1本50円也。


 清く正しく美しく、いや、名もなく貧しく美しくいつも静かに笑っている隠居生活を目指している毎日ですが、心安らかな日々を過ごすことはなかなか難しい。
あっ、この場合の「美しく」は、見た目ではなく心の有り様でありますから。
今回も思いがけない大出費やら、テレフォン同期会やら、可愛さ余って憎さ百倍(?)のホーム・ドラマなど、いろいろなことがありました。
だから人生って面白い?


  『大出費

 女も家も古くなるとメンテナンスが必須となります。
オットーが退職する前(現金収入のあるうち)に、住まいの不調はすべて修理しておきたかったのですが、うまくタイミングが合いませんでした。
1階のトイレ便器が故障して修理ではもう間に合わず新調することになりました。
2階の便器も万全な状態ではないので、この際、新型タイプに交換することにしました。
一度に2台の交換は、年金生活者nihaoの顔が真っ青になるほどの大出費でした。
ああ、次は一体何が壊れるのだろうと考えると頭が痛くなります。


  『テレフォン同期会

 今年は北海道に帰る予定はありません。
誰か故郷を思わざる・・・ある夜、やみがたい望郷の念にかられながら月を仰いでいたところ、私の強烈な思いが、ふるさとの居酒屋で飲んでいた幼馴染みに届いたらしく【神田川君】【ラサール君】ちょいわるボーイのジローラモ君(仮名)の3人が電話をかけてきてくれました。

 私たちはみな、幼少年期の一時期を共に学んだことがありますが、その後長い間交流が途絶えておりました。 
ラサール君やジローラモ君の変声期後の声を聞くのは初めてです。

 記憶にある少年期の顔のイメージにそぐわないオヤジの声が重なり、大声で叫び合っているうちに、そのうち誰が誰だか判らなくなってしまって、糸電話のようにたぐり寄せて「やあ、こんにちは!」と肩を叩き合うことが出来ないのが残念でした。
我が望郷の念は静まるどころかいや増す熱風の暑い夜となりました。
すべては神田川君プレゼンのテレフォン同期会でした。ありがとうございます。


  『人見知り

 ともしびちゃん(孫・仮名)がやってきました。滞在期間は三日間だけ。
私は家中をきれいに掃除して(除菌までして)、可愛いドレス2着も手作りして張り切って待っていたのです。
でもともしびちゃんを抱っこしたとたん、火がついたように大泣きされてしまいました。

 人生八ヶ月目は最大の人見知り期と相場が決まっているので仕方がないと諦めましたが、なんとなんと信じられない現象が・・・
ともしびちゃんたら、オットーにも婿殿家のご両親やひいお爺ちゃんひいお婆ちゃんにも、とびっきりの笑顔を見せて平気で抱っこされているのです。
私にもそのうち慣れるだろうと思っていましたが最後の日まで駄目でした。
ともしびちゃんのおバカさん  い、いや、ともしびちゃんのお利口さん

 もしかしたらともしびちゃんの田沢湖のように澄んだ瞳は、nihaoの内なる邪悪を一瞬のうちに見抜いてしまったのでしょうか。
みんなが私を異端の者のように憐れむのです。

       













奇跡の一本松

2013-07-19 08:40:00 | Weblog
      
              


 かの有名な、大震災の大津波にも負けず耐え残った岩手県陸前高田市の『奇跡の一本松』です。 
推定樹齢270年、樹高28メートル、幹の太さは90センチです。

 震災前、ここ高田松原は約七万本もの松が植えられていた景勝地でしたが、この1本を除いた全部が倒伏の憂き目にあいました。
この生き残ったど根性松は、被災地の人々に希望を与え震災復興のための象徴的存在となりました。
何を語らずともその姿は、逆境や苦難の中にある人々の大きな心の支えになったことでありましょう。

 しかし一本松は海水をかぶったため根が腐り立ち枯れて死んでしまいました。
奇跡の一本松は、厳密に言えば奇跡の存在ではなくなってしまいましたが、市は募金活動をしてお金を集め、防腐処理などを行い震災のモニュメントとして永久に保存することになりました。

 復元に関しては地域復興の方が大事ではないかという批判もあったようです。
30世帯分の仮設住宅になる寄付金が集まったようですが、一本松は震災伝説としての重要な役割を担うので、地域復興を引き合いにするのは次元の異なる話ではないかと思います。
もし『奇跡の一本松』というネーミングは嘘だと言う批判があるのなら『レジェンド・オブ・一本松』にしたらいかがでしょうか?
とにもかくにも復元処理が終了し一般公開が始まりました。
夏休みの観光客の増加を見越して期間限定で臨時の『奇跡の一本松駅』の設置も決まりました。

  震災後何度かこの辺りを通り『奇跡の一本松』を目にしていましたが、モニュメントとなった一本松を見るのは今回が初めてです。
陸前高田市は、震災の大津波によって市中心部の施設や市庁舎等すべて流失しました。
市街地は未だに荒涼たる風景が広がっていますが、その中でひときわすらりと背の高い一本松は大変目立つ存在です。

 この場所に立つと、青々と美しかった高田松原が目に浮かびます。
この足下に何があり何が起きたのか、失ったものは一体何だったのか・・・思いを巡らすだけで辛くなります。
あまりにも寂しすぎる風景なので、この一本松からは復興への希望とか生への強いエネルギーを感じることは出来ません。
私が感じたものは、この荒れ地の中でたったひとり、永遠に孤独の世界に閉じ込められてなお耐えていかなければならない一本松の諦念のようなものでした。
やりきれないけれど生きていくしかない」という逃げることの許されない生命の本質を、一本松は訴えているかのようでした。

一本松から受ける印象は人それぞれによって違うと思います。
人々の背負っている人生が投影されるのかもしれません。


 そして近くでこんなものを見つけました。


       


 これは未だに行き場のない松の墓場のようです。
写真では広さが分からないかもしれませんが、大量の松の木や根の残骸が放置(いや管理か?)されていました。
おそらく簡単に処理することは出来ないものなのだと思います。
これらを鬼籍の千本松とでも名付けましょう。

 伝説となるもの、折り重なって朽ちて行くもの、この対比を同じ場所で見せられるのはかなりショックです。
これはなんとかならないものでしょうか。