東京の「産業遺産情報センター」に行ってみると、歴史歪曲は依然
ユネスコの警告状、日本は来月1日までに履行報告書提出
東京都新宿区の「産業遺産情報センター」内に、朝鮮人強制労働で知られる端島(軍艦島)がパノラマ映像で展示されている=産業遺産情報センター提供//ハンギョレ新聞社
「端島の写真以外は何も変わっていません」
18日午前、東京都新宿区の総務省第2庁舎別館1階にある産業遺産情報センター。センターの関係者は「昨年と変わった展示内容はあるか」という本紙取材陣の質問にこう答えた。「軍艦島」と呼ばれる長崎沖にある端島の全景写真がよりよく撮れたものに変わっただけで、他はそのままだという。展示内容の変更計画については、「(日本)政府が決めることなので、よく分からない」と答えた。
同日午前10時30分から約2時間、展示を見に来た人は1人だけだった。センターは事前予約制で運営されている。内部の写真は撮れず、訪問時に名前、電話番号、住所などの個人情報を書く。他の展示館とは異なり非常に厳格に運営されている。
2020年3月にオープンしたこのセンターは広さが1078平方メートルで、3つの展示区域に分かれている。日本の産業遺産の概要(1区域)と産業化の様子(2区域)の展示を過ぎると、韓日間で激しい対立になっている軍艦島に関するコーナーになる。展示を隅々まで見て回ったが、朝鮮人強制動員、過酷な労働環境、差別など強制動員被害者が軍艦島で体験した残酷な歴史的事実は片鱗さえ見つけることができなかった。むしろそれを否定する内容ばかりが多かった。
「真実の歴史を追求する端島島民の会」の松本栄名誉会長の証言が代表的だ。太平洋戦争期、軍艦島の炭鉱で働いた彼は「少なくとも第2次世界大戦までは朝鮮人は日本の国民だった。朝鮮人と日本人の間に何の違いがあっただろうか」と述べた。彼の証言は要約され、別途に展示されており、映像でも無限に繰り返されている。軍艦島で幼少期を過ごした在日同胞2世、鈴木文雄さんの生前の証言も「周囲の人に可愛がられた。朝鮮人だからといって後ろ指差されたこともない」という内容を中心に展示されている。
これに対して、15歳で軍艦島炭鉱に連れて行かれ過酷な労働に苦しめられたと訴え、2001年に死亡したソ・ジョンウさんや「軍艦島は地獄のようだった」と証言したチェ・ジャンソプさん(2018年89歳で死亡)など朝鮮人被害者の声は完全に抜けている。
2015年7月5日、ドイツのボンで開かれた第39回ユネスコ世界遺産委員会で、佐藤地駐ユネスコ日本大使が韓国人の強制労働事実を認める発言をしている=外交部提供//ハンギョレ新聞社
昨年7月、ユネスコ世界遺産委員会は、日本が近代産業施設を世界遺産に登録する際に勧告した後続措置を履行していないことに対し強い遺憾を表明し、充実した履行を求める決定文を採択した。ユネスコは2015年7月、軍艦島を含む日本近代産業施設23カ所が「明治日本産業革命遺産」という名前で世界遺産に登録された当時、日本政府に各施設の「全体の歴史」を理解できる「解釈戦略」を用意するよう勧告した。
これは日本政府が国際社会に約束した事案でもあった。2015年7月、当時の佐藤地駐ユネスコ日本大使は「1940年代、一部の施設で多くの韓国人とその他の国民が本人の意思に反して動員され、過酷な条件で強制的に労役した」と認めた。それと共に「日本は情報センターの設立など犠牲者を悼むための適切な措置を解釈戦略に含める準備ができている」と強調した。
日本が全体の歴史を知らせるとして作ったのが産業遺産情報センターでは、7年が経った今も約束を守られていない。ユネスコの警告状を受け取った日本政府は来月1日までに履行報告書を出さなければならない。履行するか否かについてはまだ明確な立場を表明していない。
東京都新宿区の日本総務省第二庁舎別館1階にある産業遺産情報センター=東京/キム・ソヨン特派員//ハンギョレ新聞社
日本の強制動員関連の市民団体は、ユネスコの勧告を履行するよう要求している。「強制動員真相究明ネットワーク」は9月、「日本政府がユネスコ勧告を履行していく態度を明確に示す意思があるならば、加藤康子産業遺産情報センター長を解任しなければならない」という要請書を岸田文雄首相などに送った。加藤センター長がユネスコを公然と非難し、同センターの解説戦略などの形は直さないと公言しているためだと明らかにした。
「強制動員問題解決と過去清算のための共同行動」の矢野秀喜事務局長も本紙との通話で「日本の産業革命遺産が真のユネスコ世界遺産として認められるためには、国際社会とした約束を守らなければならない。センターをそのまま放置しておいた政府がどのような履行報告書を提出するのか注視している」と話した。
東京/キム・ソヨン特派員 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )