[徐京植コラム]米国の「断末魔」は続く
いよいよ全世界で「ディストピア」到来の様相が深くなっている。
秋の深まりとともに新型コロナ禍がまた猛威をふるい始めた。米国やヨーロッパはもちろん、日本でも東京など大都市圏で連日、過去最高の感染者数を更新している。21日には日本全国の1日の新規感染者数が2500人を超えた。こんなことが、いつまで続くのだろう?ある学生は次のように苦しい胸の内を吐露している。「この先どうなってしまうのだろう。来年度はもちろん、2,3年後になっても大学に行って授業を受けることはできないのだろうか。私自身、外出する機会がめっきり減って、ずっと家にこもりオンラインの授業もまともに受ける集中力はなく、東京に上京した3月から何も成長していない気がしてならない。このまま、状況が変わらなかったり、もしくは悪化していってしまったら、自分の中の感情や精神や理性が失われてしまいそうで常に虚無を感じている」
このような切実な訴えに接しても、残念ながら私にできることはほとんどない。
先日の米大統領選挙で民主党バイデン候補が現職のトランプ大統領を破ったことは久々に聞く朗報だった。だが、現在もなお、トランプは敗北を認めず、選挙結果を覆そうと悪あがきを続けている。それどころか、残りわずかな任期中に外交内政にわたってさまざまな既成事実を作ろうとしている。しかも、米国民の半数近くが、そんなトランプを支持しているのだ。こんな事態は、一種の悪い冗談として語られることはあったが、いま起きていることは、冗談ではなく現実だ。
11月19日、イスラエルが占領中のゴラン高原とヨルダン川西岸のユダヤ人入植地をポンペイオ米国務長官が訪問した。ゴラン高原では「ここはイスラエルの土地である」と述べ、エルサレム近郊の入植地では「今後は入植地産の輸出品を『イスラエル産』とみなす」と宣言した。これなどは、駆け込みで既成事実を重ねようとする露骨な企てそのものだ。当然、パレスチナ自治政府とシリア政府は激しく反発している。
今から3年半前の2017年4月6日、米軍は突然シリアへの空爆を実行した。トランプはシリア政府軍側の化学兵器の犠牲になったとされる「美しい赤ん坊」の映像を見て心を動かされたのだという。訪米中の習近平中国国家主席と夕食をともにしながら、攻撃命令を下したのだ。その後、アフガニスタンで「核兵器に次ぐ破壊兵器」とされる巨大爆弾(MOAB)を使用した。「美しい赤ん坊」への賛辞はあっても、米軍の空爆の犠牲にされたシリアやアフガニスタンの市民についての言及はない。ニューヨーク・タイムズの報道によると、トランプ大統領は12日の政権幹部との会議で、イランの核施設を攻撃する選択肢について尋ねた。ペンス副大統領など側近が「大規模な紛争にエスカレートする可能性がある」として思いとどまらせたという。ただ、トランプは今後も、一発形勢逆転のため軍事オプションを狙い続けるだろう。中国との軍事衝突もあり得るだろう。トランプの「悪あがき」や「憂さ晴らし」に巻き込まれて、多数の人命が奪われかねない。まさにディストピアである。
今年6月29日、トランプは、米国が世界保健機関(WHO)との関係を解消すると表明した。国際社会(とりわけ米国自身)が長年かけて培ってきた公衆衛生上の国際協力の枠組みを破壊するという宣言である。資金や人力の不足から必要な援助を受けられずに命を落とす人が増えるだろう。本日の時点で、米国では新型コロナによる25万140人の死者と1149万2593人の感染者が確認されている。死者数、感染者数共に世界最多である(日本時間19日午前)。
トランプ政権の下で、死ななくても済んだはずの命がどれだけ失われたことか。彼が殺しているのは外国の市民だけではない。自国の市民たちなのだ。すでに何回か述べた言葉だが、もう一度言おう。人間は疫病によってだけではなく、人間に殺されるのである。
そのようなトランプを、とにもかくにも大統領選挙で敗北させたのは、コロナ禍への意図的無策と「ブラック・ライブズ・マター」運動を始めとする人種差別や性差別に対する広汎な市民の反発であっただろう。今年5月にミネソタ州ミネアポリスで、アフリカ系アメリカ人のジョージ・フロイド氏が白人警察官に首を圧迫されて死亡し、この事件をきっかけに抗議運動が全米に広がっていった。それはトランプ再選反対運動の重要な要素となった。
一枚の絵を紹介しよう。日系米人画家、石垣栄太郎の作品「K.K.K.」(1936)である。ビリー・ホリディが歌った「奇妙な果実」という歌がある(1939年)。「南部の樹々には奇妙な実がなる…南部の風にぶらぶら揺れる黒い身体、ポプラの樹々に吊り下がる奇妙な実」、1920年代には米国南部一帯で日常化した黒人差別とリンチ、その実行者が白人至上主義結社クー・クラックス・クラン(K.K.K.)だった。
和歌山県出身の石垣栄太郎は、出稼ぎ移民として渡米した父を追って少年時代に渡米し、働きながら英語を学び、聖書や社会主義の書籍などにも親しんだ。当時の排外的な米国社会の風潮のもとで、社会的意識に覚醒した。1914年から絵画をサンフランシスコやニューヨークで学び、1916年頃より絵画制作を始めた。画面にリンチされようとする黒人だけでなく、K.K.K.の白頭巾を引き剥がそうとするもう一人の黒人を登場させて、力強い抵抗の様子も描いている。1929年、著名な左翼ジャーナリスト、ジョン・リードの名を冠した作家集団「ジョン・リード・クラブ」が結成され、画家の石垣栄太郎や野田英夫ら左派系日本人も参加した。「K.K.K.」を発表した1936年は、石垣自身が準備委員を務めたアメリカ美術家会議が結成された。妻・綾子とともに日本軍国主義に反対し、フランクリン・ルーズベルト大統領が設置した諜報・宣伝機関「戦争情報局」(OWI)で活動した。しかし、太平洋戦争が始まると敵性外国人として行動を制限され、戦後の冷戦下には「マッカーシズム(赤狩り)」の標的された。1951年に日本に帰国し、再び渡米することなく7年目に死去した。
前記の野田英夫、この欄(2018-07-20 )でも取り上げた宮城与徳、アメリカを代表する画家の一人となった国吉康雄など、日系米人画家たちの中には社会主義または民主主義の立場から祖国日本の軍国主義に反対した者たちがいた。彼らは移民や出稼ぎとして米国に渡り、厳しい人種差別の中でハウス・ボーイ、給仕、鉄道工夫、季節農業労働者などとして労働しながら画家修行を重ね、「生活者」として当時の社会の現実に眼を向けた。パリに学んだ画家たちと異る点である。1930年代の「善きアメリカ」の空気が彼ら「善き日本人」を育んだ。宮城は獄死し、コミンテルンから密命を受けて地下活動していたとされる野田は日本で病死した。
ある識者は「トランプ政権とはヘゲモニーを喪失しつつある米国の断末魔のようなものだった」と述べている(吉田徹北海道大学教授「毎日新聞」11月18日)。その通りだ。米国は分断され衰退の道を着実に転落しつつある。だが、この断末魔はまだ長く続き、多くの腐敗と破壊を重ね甚大な損傷を人類社会に与えるだろう。石垣の作品「K.K.K.」から90年ほど経った今年、白人警官が黒人市民を殺し、それに抗議する人々を白人至上主義者(トランプ支持者である)が罵り威嚇している風景を見た。K.K.K.は生きている。米国が(そして世界が)変わるということが、どれほど長く困難な道であるのかを私は想わずにいられない。
いつまで? せめて「感情や理性」が失われないように、「虚無」に呑み込まれないように、この困難の中で正気と尊厳を保って闘い続けている善き人々、例えばベラルーシや香港、タイの人々に学びつつ、自らを励ましたい。
徐京植(ソ・ギョンシク) |東京経済大学教授 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます