日本人は政府に対する信頼度が高いが、政府の新型コロナの対応は信じられないという反応を見せている。

2020-02-19 10:42:09 | これからの日本、外国人の目

   タクシー乗らず、マスクは品切れ…

「安倍政府は信じられない」不安な東京

 東京都港区に住む40代の主婦Aさんは18日午前、マスクを買うために町の薬局4ヵ所を回った。しかし、陳列台はからっぽだった。最後に立ち寄った大手マート「ライフ」の店員は「午前10時にマスクが入荷されるやいなや売り切れた。1人60枚入り1箱と購入量を制限しているが、5分も経たずに品切れになる」と話した。

 

 新型コロナウイルス感染症(COVID-19)に鈍感だったAさんは、子どもが通う小学校の通知文を受け取った後、マスクを購入しようとした。18、19日に父兄参観が予定されていたが、17日に突然取り消しの通知文が来た。Aさんは、「台風で休校の連絡を受けたことは多いが、感染病で緊急の連絡が来たのは初めて」とし、「子どもが感染するかもしれないと思うと不安だ」と話した。

 

 新型コロナと関連して、日本全域が不安に包まれた。特に東京ではタクシー運転手6人が集団感染し、社会に衝撃が走った。彼らは先月18日、東京都の河川を遊覧する屋形船で集団感染した。無症状感染者で15日まで運転したタクシー運転手が新型コロナの陽性反応が出て驚く様子が民放で放送された。

 タクシー業界は直撃弾を受けた。18日午後、羽田国際空港で会ったタクシー運転手Bさんは、「乗客が半分以上減り、生計に支障が出るほどだ」と話した。中国人観光客が大幅に減ったうえ、タクシー運転手の感染で、日本人もタクシーに乗ることを敬遠するためだ。

 タクシー運転手のCさんは会社で手袋、マスク、消毒液を受け取ったという。Cさんは「マスクの着用だけでなく乗客が降りた後、消毒液でシートの周辺を拭いている。しかし完璧に対応しているのか私もよく分からない」と話した。

 屋形船は桜が咲く3月と花火大会が開かれる夏が書き入れ時だ。しかし、17日に東京の浅草橋で会ったある屋形船経営者は、「東京都がどの屋形船で集団感染が起きたのか明らかにしなければならない。そうでなければ、すべての屋形船が被害を受ける」と主張した。

 日本国内の新型コロナの拡散は続いている。18日、和歌山県で3人の感染がさらに確認され、日本国内の感染者は523人に増えた。日本人は政府に対する信頼度が高いが、政府の新型コロナの対応は信じられないという反応を見せている。朝日新聞が15、16日に調査して18日に報道した世論調査によると、クルーズ船の日本政府の対応に「適切でなかった」という回答が45%、「適切だった」という回答は39%だった。回答者の85%は新型コロナが日本で広がるという不安を感じたと答えた。

 

 19日からクルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」の乗客が下船することも不安を加重させる。毎日新聞によると、クルーズ船で待機状態の乗客約50人は、「政府の隔離対策は船内感染の拡大を防ぐことができなかっただけでなく、感染していなかった健康な乗客の感染を招くなど重大な欠陥がある」とし、責任の究明と情報公開を求めた。


東京=パク・ヒョンジュン特派員、キム・ボムソク特派員 bsism@donga.com
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法令を順守すべき行政の長が率先して違法行為を行ったことになり、首相どころか国会議員も辞めなければならない重大事態です。

2020-02-19 10:21:32 | 問題がないは、大問題

首相の言い分 ANA側回答で総破綻

「桜」前夜祭 虚偽答弁濃厚に

 首相主催の「桜を見る会」の前夜祭の会場となったANAインターコンチネンタルホテル東京が、17日の衆院予算委員会での安倍晋三首相の答弁内容を否定したとの報道で、安倍首相が国会で虚偽答弁を繰り返してきた疑いが強まりました。野党側は18日、安倍首相の答弁とホテル側の回答のくいちがいを説明するよう徹底して追及しました。(佐藤高志)


図

答弁を二重に否定

 ANAホテルは、2013年、14年、16年に「桜を見る会」の前夜祭の会場となりました。

 安倍首相は前夜祭について、これまで「ホテル側から明細書の提示はなかった」として、詳細については一切明らかにしてきませんでした。

 これに対し、立憲民主党の辻元清美議員は17日の衆院予算委員会で、ANAホテルに問い合わせたところ「見積書や請求明細書を主催者側に発行しないケースはない」などと書面で回答してきた(表)として、「首相の答弁が事実と違う」と追及。安倍首相は「ホテルに確認したところ、『辻元議員にはあくまで一般論で答えたもので、個別案件については営業の秘密にかかわるため回答には含まれていない』ということだ」と述べました。

 ところが、ANAホテルは17日の衆院予算委後、「『個別の案件については、営業の秘密にかかわるため回答に含まれていない』と申し上げた事実はない」と、メールで複数のメディアに対し回答したことが報じられました。安倍首相の答弁を明確に否定したのです。

 さらに、報道では、ANAホテルは「弊ホテルとしては、主催者に対して明細書を提示しないケースはないため、例外はない」と改めて主張したとされています。辻元氏に示した回答を補強する形で、安倍首相の答弁を否定しました。

 そもそもホテル側から明細書は出されなかったという安倍首相の答弁を否定したうえで、17日の安倍首相の答弁も否定したという点で二重に重い指摘です。

野党指摘を裏付け

写真

(写真)立民の辻元清美衆院議員に寄せられたANAインターコンチネンタルホテル東京からのメールによる回答(辻元議員提供、一部加工)

 前夜祭は、安倍後援会が主催しながら、政治資金収支報告書に収支が一切記載されていません。

 このため、野党は、政治資金規正法に反すると追及。安倍首相は、ホテルが800人規模の参加者と個別に契約を結んでおり、安倍事務所には収支が発生していないという不自然な主張で、政治資金規正法には違反しないと繰り返し答弁してきました。

 しかし、この安倍首相の説明も虚偽の疑いが強まっています。

 ANAホテルの辻元氏への回答では、「領収書において、宛名を空欄のまま発行することはない」「代金は主催者からまとめて支払ってもらう」と証言しています。野党は当初から、800人規模のパーティーで、ホテルが参加者と個別に契約するなどあり得ないと指摘してきましたが、ANAホテルの証言は、その野党の指摘を裏付けるものです。

 ANAホテルは、「主催者が政治家および政治家関連の団体であることから、対応を変えたことはあるか」との質問にも、明確に「ない」と答えており、安倍後援会や安倍事務所だけが例外にはならないことも明らかです。

 ANAホテルの証言が事実なら、安倍首相の政治資金規正法違反の疑いはいっそう濃厚になります。

ウソで審議できず

 安倍首相は、「桜を見る会」の私物化を追及されるたびに、すり替えや繰り返しの答弁でごまかし、野党議員を攻撃する手法を繰り返してきました。それが、国会審議を荒れたものに変え、時間を浪費させることにつながってきました。

 17日の衆院予算委では、野党がANAホテル側の回答を書面で示すよう求めても、安倍首相は「私が話しているのは真実。それを信じてもらえないということになれば、予算委員会が成立しない」「いいかげんだと決めつけるのなら、コミュニケーションはみなさんとは成立しない」などと強い口調で野党を攻撃。ホテルに明細書を再発行してもらえば疑惑は簡単にはらせるのに、そのようなそぶりは一切示してきませんでした。

 しかし、安倍首相のごまかしは、もはや通用しません。ANAホテルの証言は、安倍首相のウソを正面から突いています。

 行政府の最高責任者である安倍首相が国会でウソをついたということになれば極めて深刻な事態です。誰も安倍首相の言葉を信じることはできなくなり、国会審議は成り立ちません。安倍首相に納得のいく説明を求めるのは、与野党を超えた国会議員の責務です。


写真

 

首相も議員も辞めるべき事態

神戸学院大学大学院教授 上脇博之さん

 数百人参加の宴会の場合、その主催者と契約し、主催者から料金を受け取るというのは高級ホテルの常識であり、「ANAインターコンチネンタルホテル東京」はその常識どおりに回答したにすぎません。安倍事務所は「前夜祭」の支払いに関与していないという安倍首相の主張こそ非常識です。

 普通、疑惑を晴らせる有利な証拠があるなら率先してその証拠を提出するはずなのに、安倍首相はそれさえ拒否してきました。しかし、18日付の「朝日」「毎日」が報じたホテル側の回答により、辻元議員への17日の安倍首相答弁のウソが明らかになったことで、「前夜祭」の収支を安倍後援会の政治資金収支報告書に記載しなかった政治資金規正法違反はいっそう濃厚になりました。

 あとは、(1)安倍事務所の支払額は幾らだったのか(2)参加者の支払額よりも高価な飲食が提供され、安倍後援会が公職選挙法の禁止する供応=有権者への寄付を行ったのか(3)ホテル側が超破格の値引きをして政治資金規正法違反の企業献金が安倍後援会になされたのか、それとも参加費では不足する分を安倍事務所側が補填(ほてん)していたのか―との疑惑に論点は移っていきます。そのためにも、まずはホテル側明細書の控えの写しなどを安倍首相側に提出させるべきで、野党は追及の手を緩めてはなりません。

 「前夜祭」の違法行為に安倍事務所が関与している以上、安倍首相本人が責任をとるしかありません。まず、安倍氏が内閣総理大臣としての答弁でウソを言った以上、それだけでも首相を辞めるべき重大問題です。また、公選法や政治資金規正法への違反が具体的に明らかとなれば、法令を順守すべき行政の長が率先して違法行為を行ったことになり、首相どころか国会議員も辞めなければならない重大事態です。

(聞き手・林信誠)

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詳細な内容は、財団が最近出した『日本所在高句麗遺跡-日帝強制占領期間高句麗遺跡調査研究V』に掲載され公開される予定だ。

2020-02-19 09:43:40 | 歴史に照らして整合性を!

満州の高句麗遺跡一帯を揺るがした抗日闘争の記録発見

登録:2020-02-16 22:34 修正:2020-02-17 08:26
 
[ノ・ヒョンソクの時事文化財] 

1938年日本人 七田氏の『集安行』 
チョン・インソン嶺南大学教授が入手し公開 
 
鴨緑江辺の集安の高句麗古墳群 
現場研究者が遭遇した抗日闘争 
中国共産党・朝鮮人のパルチザン部隊が 
日本軍警と繰り広げた戦闘を生々しく記録 
 
古墳の大棟瓦、舞踊塚の鉄釘などは 
集安遺跡の考古学的情報を見せる

 
 
1930年代高句麗古墳の三室塚の石室内部写真。わらを敷いて作った寝場所の痕跡が見え、当時集安一帯に出没した抗日遊撃隊の仮住居だった可能性がある。高句麗の騎馬兵と神獣を描いた壁画も見える。1938年集安高句麗遺跡に対する日本の学者の現地調査報告書『通溝』より//ハンギョレ新聞社

 「父は80余年前に満州の集安の高句麗遺跡を調査して、詳細な現場日誌を残しました。その後は家で大切に保管してきました。それがこれです」

 2019年7月、日本の福岡で考古学者の七田忠昭氏に会ったチョン・インソン嶺南大学教授は、思いがけない内容が記録された古い一冊のノートを渡された。『集安行』というタイトルの20×16センチ大の小さなノート。28枚の紙には、七田氏の父、七田忠志氏が1938年5月17日から同年7月5日まで高句麗の二番目の都である通溝県集安の高句麗遺跡を朝鮮古跡研究会の事業で調査した当時の状況が生き生きと記されていた。

 チョン教授が何よりも驚いたのは、日誌には集安の高句麗古墳群を背景に出没した抗日遊撃隊の戦果が多数記録されていたためだ。七田氏は彼らを「匪賊」と表現したが、日誌は当時中国共産党と朝鮮人パルチザン部隊の襲撃で集安一帯の治安が不安定で、日本の研究者が極めて不安に思ったことを示していた。

 
 
  日誌『集安行』の本文の内容の一部。1938年5月17日の記録だ//ハンギョレ新聞社

 「城内に入り集安旅館に泊まった…門前のトラック数台に分乗した警察隊が、匪賊討伐のために出発しようとする場面に遭った。気の抜けたような警官、何を為し得るであろうか?」(5月17日)

 「17号墳、四神塚、イシルブン工事監督。大工に命じて急ぎ古墳の扉に鍵を付け、石室への無断侵入を阻止」(6月3日)、「夜11時頃、県公署から匪賊の状況が悪化したので…軽武装し集合せよと連絡来る…軍装のまま毛布を腹にかけ就寝」(6月11日)

 「午前1時、…緊張した声に目覚める…匪賊の襲撃が…機関銃音が騒々しい。遊撃隊あわただしく出動…再び寝つくことはできなかった…トグジャの端にある今井組が襲撃にあい、邦人多数が惨殺、拉致されたという…約6割程度が朝鮮人というが、(食事の仕度をする)老婆は腸が露出した状態で惨殺されたと…子持ちの夫人3人は哀れに思った女匪賊の同情で帰って来た…突撃隊の子供は、日本人はバカバカだと言ったという。『間島(カンド)で日本軍が…私たちの両親・兄弟を何もしないのに殺した』と、『日本人は鬼畜だ』と言ったと」(6月20日)

 「匪賊300人、午前12時30分頃、東江(トンガン)襲撃…途方もなく騒がしいサイレン、県公署に避難、男は武装し、各自警備に臨む…匪賊は二手に分かれて…一群は将軍塚の後方に、他の群れはトンデジャからケア江綱渓谷に出てきて逃走。機関銃と小銃の音が激烈だ」(6月24日)。「大城に匪賊襲撃」(7月1日)

 
 
日誌『集安行』の本文の内容の一部。1938年5月17日の記録だ//ハンギョレ新聞社

 記録に出てくるトクジャ、東江など見慣れない地名は、すべて高句麗遺跡付近の村だ。内容が現場ルポを見るように具体的で迫力にあふれている。抗日遊撃隊と推定される勢力が、満州の高句麗遺跡付近で行った戦闘の現場記録が出てきたのは、七田氏の記録が初めてだ。チョン教授は「調査団が治安の悪化で撤収する直前に“大成”自体が襲撃を受けたという日誌の記録が出てきて、集安を遊撃隊が解放区にして占領した可能性もある」として「七田氏が1938年に日本の考古学雑誌に載せた報告書で、彼らを“共産匪賊”と書き、満州東邊道に主力が移動してきたと明らかにし、共産系列の武装勢力が1938年頃に集安に移ってきたという意味と見ることができる」と解釈した。

 日誌を公開した七田忠昭氏は、佐賀博物館の元館長で、韓国の学界では日本の世界的な古代住居遺跡「吉野ヶ里を調査した主役として知られている。2007年から北東アジア歴史財団のプロジェクトで、日本国内の高句麗関連遺物・記録を調査してきたチョン教授が、現地学者のほのめかされて彼に接触し、思いもしなかった近代史料を確保することになった。

 
1930年代の満州国時期、通溝県集安一帯の地図//ハンギョレ新聞社

 1930年代の間島と鴨緑江辺で、中国と朝鮮の共産主義者が力を合わせて東北抗日連軍を結成しパルチザン遊撃活動を行った事実は、北朝鮮の首席だった金日成の抗日闘争経歴とも直結する。当時、金日成が関与したパルチザン闘争の最も有名な成果が、1937年鴨緑江周辺の普天堡襲撃戦闘だ。発掘された日誌は、中国と北朝鮮の史料には出ていないが、普天堡戦闘に匹敵するほど激しかった抗日遊撃隊の活躍像を日本人の記録で実証されたという点で、歴史的価値が大きい。七田氏の日誌が発見され、満州、高句麗遺跡は20世紀始めに抗日闘争の舞台としての意味も持つことになったわけだ。

 
 
1930年代、日本の調査団が撮った当時の鴨緑江辺の通溝集安の入り口の風景。高句麗城を基に作った城壁がよく残っていて、左側に出入りする城門と楼閣が見える//ハンギョレ新聞社

 チョン教授が確認した七田氏の日誌と、彼が当時日本に持ってきた集安出土遺物は、今まで分からなかった集安高句麗遺跡の考古学的情報も相当数示している。太王陵の南西側の建物跡に多量の赤瓦無地の建物跡があるという記録からも、高句麗の王陵級古墳に使われた大棟瓦、舞踊塚から出土したという鉄釘4点は特に注目される。そのほかに日本の奈良県にある天理大付属図書館に保管された高句麗壁画模写の先駆者、小場恒吉の平南(ピョンナム)眞坡里古墳調査関連史料を発見し紹介して、日本所蔵の高句麗瓦の全貌を評価し分析した点も成果だ。詳細な内容は、財団が最近出した『日本所在高句麗遺跡-日帝強制占領期間高句麗遺跡調査研究V』に掲載され公開される予定だ。

ノ・ヒョンソク記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr ) 写真:チョン・インソン嶺南大教授提供
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