どこ吹く風

旅のことを主に書く。

くうき

2006年02月11日 15時38分22秒 | バリ
 友人Bがティオキワカンのピラミッド見物の話をしていた。
別の友人M宅のヤーフチスージ(棟上の宴)のときだった。まだ海外へ出たことも無い頃の話です。

 私はティオキワカンと書いて「ティオキワカン」で検索するとたった1件しかヒットしない。おかしい間違っている、それで”メキシコシティ ピラミッド”で検索してみるとすると「ティオティワカン」がフツーである事が分かった。。
そこで改めて「ティオティワカン」で再検索すると26900件もヒットした。たった一人だけティオキワカンと書いたブロガーの方がいたのである種ホッとしました。(笑)

 もう30数年前の話です、海外へ遊びに行こうと思えば行けない事は無いのに、その頃から金が無かったのか暇が無かったのかとにかく私は行けなかった。その時メキシコの話から海外旅行の話になり、私が本などで調べて行った気分になる、風林火山の出だしで竹中半兵衛の言葉は”書物で読んだとおりの街並み雰囲気だ”と書いている、と言うた。

 そのときBは”やっかみでクダラナイ事を言うな、あの空気は行った者でなければ分からない。”と一蹴された。
確かにそうだ、あの空気匂いは現地でなけれが味わえない。グウの音も出なかった。
それから20数年後初めて海外へ出た、お隣の台湾へ、私の生まれ島でもある。

 メキシコシティへも行きティオティワカンへも行ってBが味わったであろう乾いた空気をタップリ吸って来ました。真昼間からテキーラも味わいました。ケツアルコアトルの鳴き声も神殿で響かせました、Bは多分鳴かさなかったでしょう、竹中半兵衛のように勉強した者のみが現地で楽しめるのです。(笑)
神殿の一角で手を打つとギャオと鳴き声が聞こえます、出かける機会がある方はお試し下さい。

 歴史を背負った地に立つとき足の裏から頭を抜けて天空へ、天から頭手のひら身体全体にを貫くものを感じる。感傷怒り嘆き様々な思いが渦巻く、書物を通してもそれは感じられるが現地に立つと尚強く感じる。
これからも旅へ出る機会がある、前もって得る情報歴史風土はもとより現代との繋がりなどを広がりを持って学んでから出て行くつもりでいる。

 観光は物見遊山でも楽しいが自分で調べ学んだものを検証することも旅の楽しみの一つである。
また現地で見たものから歴史的背景人々の暮らし方を考えるのもおもしろい。

 書物から得る知識、最近ではインターネットに取って代わっているが、その知識も大切だが現地主義もまた好い。
出来る限り現地の空気を吸いに出かけたいものだ。

写真はトルコの何の変哲も無い風景です。
海の向こうがアジア側、つまりヨーロッパ側から見ている。
何も無いところから歴史を感じ、人々の営みを想像して現代を見る
こういうのも旅の楽しみの一つにしています。

食事 その二

2006年02月10日 14時36分30秒 | 旅-トルコ
 前回の食事の項でトルコ料理にめぐり合わなかったような事を書いたが、半分はホンネで半分はトルコ料理をどう表現すればいいのかのか私の力不足もある。

 全日程を通じて食事の内容、皿に取り分けた分とかテーブルに並んだ料理を出来るだけ記録してきた。毎食カメラ持参で食事に行き写したのである。40枚ほどの料理の写真があるのだが、これぞ思い出の食事だ~というのが無い。

 写真を見るとあのホテルだ、あそこのレストランだと思い出すがどの写真も似たり寄ったりで特色に乏しい。数ある中から自分が選んだのは結局好きなものだけだからどこでも同じ写真に見えてしまうのだ。

 朝ならオリーブ2種類、チーズ、ハム、タマゴ、ソーセージ、それに肉とか野菜、別皿にスープ、生野菜、フルーツにパンにコーヒー
これが標準、これ以上何を要求するか、というところ。

 夕食ならこれにメインらしき焼いたり煮た肉やピーマンの詰め物、野菜の炒め物、ポテトにあれこれが並ぶ。
やはり豪勢か。

 昼食は魚がメインとか串焼きとかウチナー風に言えばヒラヤーチーがメインとか特色が出ていた。ランチは一品に付き合わせという風に逆に特徴が出し易いのだろう。

 ホテルとレストランでの食事なので品数が多いので頭に残らなかったのだろう。
自分で金を出して食事をする場合は単品で我慢する場合が多いので印象に残る。スイスではスープを注文するとパンが付いてくるのでそれだけで済ましたことも多い。メニューではスープのみで済ます、或いはスーパーで買ったパンにチーズやハムで済ませた。

 貧しい食事の方が印象に残っているとはチョッピリ哀しい。
トルコの食材でイチバン面白かったのは獅子唐(シシトウ)で当たりハズレがあってとんでもない辛さのがあってビクビクしながら食べた、品種がまだ固定化されていないのかバラつきがありそれが面白い現象を生み出していた。
被害(?)にあった人の様子を見て楽しみました。

 写真は、パムッカレからアンタルヤへ向かう途中のレストランの食事です。
私は雑炊が好きでご飯にスープをかけて食べると美味しく感じます。行儀が悪いと言われるが美味しいものは美味しい。
ホテルでもスープカップにご飯を入れて食べていました。

写真は皿なので目立ってしまいました。

団体ツアー と添乗員

2006年02月09日 17時02分45秒 | 旅-トルコ
 旅行社主催の団体ツアーに参加して旅へ出たのが数回ある。添乗員が出発時から付き添う場合と現地受入旅行社任せの印象を受ける場合等様々な形態があるようだ。誕生員の役割やらガイドとの役割分担について知識が無いので何とも言い難いが、添乗員の主要な仕事はナンでしょう。
縁の下の力持ちかな。

 トルコの場合は出発から帰りの空港まで同行した。タイへ行った時は福岡から釜山、インチョンと乗り継ぎがあったのに添乗員は付かなかった。どちらも格安ツアーだったのに何が違うのか。

 タイの場合、添乗員無しで30名の客は引き受けない、”20名以下にせよ”との現地ガイド兼添乗員(?)の強い要望にJTBが折れて急遽再募集したようで、40名弱のバス2台のツアーになったようだ。この辺りの事情は現地ガイドから聞いた。

 となると1ツアーの定員が20名か30名かによるのだろうか。
それと面白いと思うのは、添乗員は客同士を引き合わす事をしない事、つまり自己紹介などをさせてお互いが上手く行くようにしたら良いのにと思っても、そのような場を作らないし、作ろうとしない。
何故か・・・と考えたがプライバシーの保護という観点からだろう。それ以外に考えられない。

 中国旅行のとき添乗員に”お互いが名乗る場を設けてもらいたい。"と要望したら、怪訝な顔をされて「初めてこのような事を言われた。」と話していた。結局バスの中で「客の要望により」との前置きで自己紹介の場を設けてもらった。

 1~2週間一緒に旅をする、しかもバスで毎日顔を合わせるので名前くらい知っておく方が良い。自然に知ることになるが初日でこのような挨拶をしたら早くから打ち解けると思う。

 でも、しかし・・・という事が無いわけでもない、アルペンルートに飛騨高山のツアーに参加したとき、この時はオキナワ発着なので全員がウチナーンチュ。私はまた要望しようかな~と思っていたら、前に既に誰かが要望したのか夕食時に添乗員から自己紹介の話が出た。

 小牧空港で出迎えた添乗員は「自分は新潟からの応援で来た、自己紹介の要望が出たのは初めてで異例だが要望なので・・」と切り出した。
やはり自己紹介は団体ツアーでは異例なのだ。
やはりウチナーンチュはどこか違う、いちゃりばチョウデー(出会いは兄弟=出会う者はみな仲間)の心があるのだろう。
 
 会席膳を前にそれぞれグループなり家族なりの紹介をしていった。
ところが、しかし・・・ある若い女性が立ち上がり”今回は”友だちと来ました。”と発言した、連れは若い男性。
なるほどこういう事があるのだ、プライバシーの問題が発生する可能性があるのだ。会社としては足を踏み入れない方が無難だろう。

 その女性に関して皆は何事も無かったような顔をしていた、ぞの娘さんも悪びれた様子も無く職場まで披露していたので大っぴらな関係だったのだろう。

 3~4日から1~2週間と長いといえば長い、短いといえば短いツアーだが、旅行期間中は和気藹々と行きたいので最低限の名前くらいは知りたいのも人情だ。
まあ様々な人たちを20名、30名と連れ歩くのはタイヘンでしょう、それほど迷惑をかけているつもりは無いが真実の程は添乗員しか知らないのでしょう。
これからもツアーを利用する事もあるだろうから、ヨロシク!

 ツアーそれも添乗員の一面についてでした。

写真は2週間近く一緒したドライバーさん
カッパドキアにて

トルコでの食事

2006年02月08日 09時55分32秒 | 旅-トルコ
 食事はどうでした? と聞かれて何と答えればいいのか即答しかねた。
コレッていうのが印象に無い。

 ホテルのレストランはバイキンがスタイルなのでテーブルいっぱいに前菜からデザートまで並んでいる。もちろん食材はトルコ産だろうからトルコ料理であるのは間違いない。でもこれを食べたからトルコ料理に親しんだという感じのものは思い出せない。

 ヨーロッパの食事はこんなものなのか。ヨーロッパと書いたがヨーロッパを知っているわけではない。ただスイスに2週間行ったことがあるが、スーパーで買ったパンやチーズにハムを齧って過ごしたのでスイス料理ひいてはヨーロッパの料理を知らない。
それにトルコがヨーロッパなのかどうかも議論がある、EU加盟云々しているのでやはりヨーロッパかな。

 テーブルに並んだ品々は、ジュースにミルクから始まりヨーグルトが2.3種、オリーブも熟したものから青い実を漬けたものまでいろいろ、乾燥フルーツはブドウは元よりナツメや・・名前を思い出せない・・いろいろ、それにヤサイがサラダ用から煮た物、それに肉を詰めたもの、魚や肉、チキンとズラ~ッとあり、スープもある。

 このように書くとトルコらしい雰囲気が無い、しかしオキナワのホテルバイキングの内容と何処が違うのか。ゼッタイに違っているがどこが違うか言うのがむつかしい。
ここでは食べるスタイルが同じということでお茶を濁しておこう。

 きっとシシカバブを金串に刺した肉の塊りというイメージを持っていることが遠因になっているのだろう。
米もある、しかし出されたのはいわゆるゴッチン飯、山の上で炊いたご飯を思わせるナマゴメ味のご飯だった。米をご飯として食べない文化だからしょうがないか。

 当然トルコ料理というのはあるが、ホテルか指定されたレストランでの団体食なのでしょうがないのだろう。ガイドさんは昼食の前に本日の昼食がいかにトルコの特色ある料理であるのかを説明するが観光客相手の料理なので多分それ用に変質しているのだろう。
街の食堂と食べ比べしたらハッキリしただろう。

 別に不味くて不満があったのではない、ただトルコが前面に出た料理が少なかったということ、これは食の一般化、共通化と無縁ではないだろう。
味や食材が珍しくなくなったということだろう。

この次は各メニューについて書きたい。

ふり返って

2006年02月07日 11時25分14秒 | 旅-トルコ
 今回のトルコ旅行は新聞の折込チラシで見つけて申し込んだ。カッパドキアとパムッカレの石灰棚が見たかったからです。石灰棚は温泉源が枯れかかって水量が少なくてパンフレットの光景を見ることができなかったので心残りがした。

 カッパドキアは期待通り満足できた。パックツアーの哀しさで十分満足するまで一地点に留まれない、しかし短い時間で効率よくポイントを廻ることはできる。痛し痒しというところでしょう。

 その他のギリシャ・ローマ時代の遺跡はそれなりに楽しめた。古代に想いを馳せる事が出来た。ヒッタイトの遺跡は寒さを感じながらの見物だったので古いムカシを偲ぶのに寒さが効果的に作用した。
あの頃は王や神を祭るための場所を営々と築いたのだ、民は建造するのに喜んで参加したのか、強制的に参加させられたのか興味を覚える。

 またサフランボルは期待も何もなかった、知らなかったのが実情でした。訪れてみて古い街並みが大切に保存されているのに感心した。国民が故郷を大切にする心を持っている現われでしょう。
世界遺産に登録されると現実生活が不便になる面がある、それを克服してあのような光景を保存している住民のみなさんに敬意を持っています、見習うべき点があります。

 観光だから、見た光景から受ける感動が一番大切だ。そういう面から今回のトルコ旅行は満足できた。何よりも旅行金額に見合うだけのものがあった。むしろあの金額以上のモノが得られた。

 ガイドや添乗員にも恵まれた、特にガイドは観光地の案内説明以外にトルコ全般政治経済宗教まで説明してくれた。とても参考になりました。トルコの人が何を考え行動しているのかを少しだけ分かるようになりました。
宗教に関しては戒律がそれほど厳しく無いトルコ、政府は宗教勢力が力を持つのに神経質になっている気がする。その理由は聞いたが理解出来なかった。

 またトルコの観光地以外の風景や料理、垣間見ただけだが目にした事などを、これからも思いつくまま書いていこうと思う。
それが私の記憶を定着させることになるから。

写真はブルーもスクの内部です。ステンドグラスに明かり、イスラム教の人々は偶像崇拝禁止のおかげで何も無いというのは言い過ぎかもしれないが、何も無い空間で神に祈るのは自分を見つめる事になるのだろうか

タシケント空港での出来事

2006年02月06日 07時47分09秒 | 旅-トルコ
 ウズベキスタンという国は、と書いたら何か知っている風に聞こえるが全く知らない国である。しかし往路の乗換で若干トラブルがあり、オーバーブッキングをしたのに職員はこれを利用してチャッカリ私服を肥やすという錬金術師まがいのヤカラがいる。

 今のご時世何処にでもいるからカッカとすることもないでしょう。そのウズベキスタン航空でまたトラブル発生、たいしたことは無いが次に乗る予定の機材が都合で遅れるとのこと。古ぼけた待合室で退屈なときを過ごす。社会主義体制から資本原理主義体制に移行して国がガタガタしているので事を起こすと碌なことは無いと思いジーっとしていた。

 しかし退屈なので散歩と称してロビーをうろつくとVIPルームがある、覗いていると女性職員が大声でなにやら喚く、たぶんそこに近づくなと言うているのだろう。前に写真を撮るなとも言われた、私が撮る写真よりもGoogle Earth の方がバッチリ写っているだろうに。

 遅くなって、肉体的には夜中、現地時間でも多分夜中だろう、その時間になって免税売店が開いた。時間つぶしに見る、そのときのウズベキスタンの酒購入に関しては初めの頃に書いた。

 待ちくたびれた頃登場案内があり、そこでも暫らく待ってバスに乗って飛行機の近くまで行く、外は雨が降っている。バス数台分の大勢の人なのでタラップを上るのも時間が掛かる、その間雨に打たれてしまった、しかし空港職員はちゃんと傘をさしている。人数分の傘が無いのだろうか、或いはそのようなサービスをする気遣いも無い人・会社・国なのだろうか。

 飛行機の窓から荷物の積み替え光景が見えた、幌無しのトラックでスーツケースや荷物を運んでいる。カバーくらいは掛ければいいのにと思う。
荷物はコンテナでなくバラ積みされているのだろう。これでは乗り換え便への対応がタイヘンだ。

 家に着いてスーツケースを開けたら中が湿っている、衣類に本、オミヤゲがびしょ濡れになっている。しまったーラクが漏れてしまったと壜を取り出す、しかし匂いがしないし酒の量も減っていない。

 ラクのキャップはしっかりしていない、買ってホテルに持ち帰った段階で匂いがしたので危ないのは手荷物にしていた。スーツケースにはしっかりした物だけを入れたのだ。しかし内部は濡れている。本は紙がくっ付いてページが捲れない。

 考えてみるに、タシケント空港でみた雨降りの中をシートカバー無しで荷物を運搬していた光景を思い出した。アレだ、我々の荷物もあのような扱いを受けたのだ。たまたま私のスーツケースの向きが雨が入りやすい方向で積まれていたのだ。
関空で気づけば文句も言えるがオキナワまで来てしまってからでは遅い。シャクだが泣き寝入りしかない。

 それからトルコで買った日本語の本や持って行ったガイドブックを一枚一枚捲りながらアイロンを掛けて乾かした。
旅から帰った最初の仕事でした。

写真はウズベキスタンの免税売店で買った酒です。
ウォッカの類で味は不味かろう、記念の為と思って買いました。
しかし予想に反して飲みやすく美味しい酒です。
もう半分しか残っていない。

帰路へ

2006年02月05日 07時19分21秒 | 旅-トルコ
 トルコ最後の夕食は海戦レストランまで出かけての食事会だった、ガイド・添乗員のご両名に感謝します、リッパな仕事振りでした。
ガイドは会社仲間の人と近くのテーブルを囲んでいたので、私たちは入れ替わり立ち代りでラクやビールを持ってお礼の挨拶をしてきた。

 2週間は長いようだが広い国土を廻っているので飽きる事も無く楽しめた。もっと他の地域を見たいものだ。同行した皆さんとも時間とともに打ち解けて話し合うことも出来て、これから・・と思う頃にもう旅はオワリという感じだった。

 ホテルに戻ってーその時初めて自分の部屋に入ったー風呂に入った後離団組の部屋に集まって皆でワイワイ飲んだ。最後の夜になって初めての経験だった。
高層ホテルで小高い場所に位置しているので眺めが素晴らしいだろうが、格安ツアーの部屋は低層部、中庭に面したツマラナイ眺めだった。

 朝食後最上階まで上がってみた、バーやレストラン風な部屋がある、小部屋で書類整理をしている方に景色を見たいと身振り手振りで伝えると快くベランダを指差した。
ボスポロス海峡を目の前にした最高なロケーションだ、新市街地や連絡橋が一望に広がる。海峡を行き交う船の多さ、通勤用だろうフェリーや渡し舟が縦横に航跡を残して走っている様が絵の様に見える。

 私たちだけ楽しむのは勿体無いのでロビーで出発準備をしている人を連れて又登る。皆さんから感謝されました。

 出勤時間の渋滞の中それなりに時間をかけて空港へ。手荷物に入っている懐中電灯は預けるバッグに入れないと没収されると言われたが時既に遅し、入れることが出来ない。ライトはカッパドキアの洞窟見物の際に使うために持ってきたものでLEDを使用した2000円もした代物なので捨てるには惜しい。
ある人が自分のスーツケースなら直ぐ開けられると数個のライトを預ってくれた。

 なぜ懐中電灯が・・?と思うが、アメリカのポリスが使っているマグライトなら十分に凶器になる、とナットクする。

 免税売店での買い物も済みトルコのお金が数リラ残った、持ち帰ってもしょうがないので使い果たす事にして店を覗いても買える品がない、そこであめ玉を指さしてありったけの金を(数リラだが)カウンターに置いたら一掴みの飴をくれた。

 時間待ちをしている間みなさんはビールを楽しんでいる、私は努めてその場を見ないように通り過ぎた。ドルも無い日本円はスーツケースの中なので無一文状態だった。
待合室は日本人が続々と詰め掛けてきた、同じ便なのであの人たちも格安ツアーなのだろうと何故かホッとする、ここで日航で買えるグループに出会ったらチト面白くなかっただろう(笑)

 昼前に中継地タシケントに向けて飛び立った、4時間ほどの行程だが東に飛ぶので時間が倍以上速く進む事になる。暫らく飛ぶともう夕暮れになってしまった。

写真はホテルから見たイスタンブール 海峡横断橋
ワイン片手に夜景もいいでしょうね~

たからもの

2006年02月04日 08時16分49秒 | 旅-トルコ
 宝物殿見物のキッカケは前に書いた。トルコ観光はイスタンブールから出発して最後に又舞い戻ったのである。ただイスタンブールはブルーモスクとスレイマニエモスクを見てトロイ方面に向かったので普通ならコースに入っている名所旧跡を見ていない。それに格安ツアーなので入場料が必要な施設は出来るだけ省かれていた。

 そこでイスタンブールでの見所、バザール、トプカピ宮殿に地下宮殿は見たいと思っていた。バザールは旅行社の好意で加えてもらったがトプカピ宮殿が省かれた、そこでどうしても宮殿を見たい人たちが別行動をとることになった。

 トプカピ宮殿は石造りで中に入っても豪勢とか華美という雰囲気はさほどしない、一見事務所風な感じさえする。石造りだからそういう印象を受けるのだろう。もちろん色鮮やかなタイルで覆われた壁面や屋根は素晴らしい。

 宝物殿を探し当てて入館する、教室ほどの広さの部屋の壁に宝物が展示されている。一目見てビックリ、宝石とはかくも美しいものであったのだ!

 鬼が島征伐して宝物を満載した荷車を引く桃太郎の絵を子どもの頃見た、あの光景を思わせる宝物が展示されている。
アラビアンナイトの宝物の世界というべきか、言葉を失うほどの宝物があった。

 宝物の中味を金銀サンゴと日本では言う、中国では玉、それはそれで美しい。しかしトプカピ宮殿の宝を目の前にしたとき、日本中国と西洋の宝物の概念が違うと思った。向こうではダイヤにエメラレド、ルビーなどの石が宝物なのだ。

 サンゴは気づかなかったが真珠はあった、大粒の天然真珠があったが展示順位というか他の宝石と比べて格下の扱いのような印象を受けた。大切にした宝石はダイヤにエメラレドを最高位としたようだ。
ガラスと金で作られた箱にエメラレドが無造作に入れてある、どれも大粒のやつが。
人差し指と親指で作る輪ほどの大きさのダイヤに小指の先ほどのクズダイヤ(? 笑)で周りを飾りしかもそれが一重ではない。さすがオスマントルコの皇帝だ。

 その他ルビーにダイヤを散りばめたペンダントに様々な宝石で象嵌された刀の鞘、金細工にその他諸々の宝物、アラビアンナイトの世界を垣間見ました。あとで銀細工の部屋へ行ったがブリキ細工を見ているようで感激もヘッタクレも無かった。でも各種宝石が埋め込まれていました、それだけ見ると素晴らしかったでしょうが、あの宝石を見たあとでは価値は半減どころか1割程度しか感じない。

 妻に”あのようなダイヤとかエメラルド、ルビー、サファイアなどを見ると、自分のものがあほらしくなって宝石に興味を持たなくなるでしょう。”と言うと「何のなんの今もっているモノよりもっと大きなものが欲しくなった、出来ればあの大きさのモノ。」なんて答が返ってきた。オンナは・・・
 宝物殿で、ちゅふぁーら見グァッチーしたので、これからどのような宝石を見ても驚かないでしょう。

写真はボスポロス海峡を挟んで旧市街(ヨーロッパ側)を見る。
尖塔の近くにトプカピ宮殿があるはずです。

イスタンブール余談

2006年02月03日 13時29分42秒 | 旅-トルコ
 トルコで最後の夜となるこの日の夕食はシーフィードを旧市街で食べる事になっていたので7時までに戻る事になっていた。ホテルからレストランまでバスで移動するので、その時間に間に合わなければ置いてけぼりになる、夕食を自分で食べれば良いだけの話ではあるけど。

 バザールはゴチャゴチャした店が数多くあるので歩くだけでも楽しい場所だった。一日中ブラブラ歩いても飽きない処だろう。6時前に所定の場所に集まりホテルへの帰路に着く。ガイドさんのアドバイスに従いまず電車だが、切符を買う場所が線路の向こう側になっている。ホームからは直ぐだがホームに入るにはキップが必要だ、どうする・・とワイワイがやがやしていると、駅員が手招きして何かを指示する、たぶん一人がホームに入って反対側でキップを買うようにと言うているように感じたので私がその役目をした。

 電車に無事乗って終点まで行く、ところが一つ手前の駅から大勢の人が乗り込み終点と思われる駅でも坐っている。私たちは降りようかそのまま乗っておくべきか迷っていると電車の中で少しだけ話をした方が終点だからと教えてくれた。

 次はバスに乗るのだが帰宅時間なのか混雑している、バスは次から次を到着発車を繰り返す。道端に小さな机を置いただけの切符売りのオジサンがいた、ガイドから聞いていた料金を人数分用意して渡して切符を貰ったが何か言うている。
お金を見せながら言うのでたぶん料金の事だろうと思い小額紙幣を出すと受け取りオツリをくれた。市バスと民間バスとの料金が違ったようだ、若しくはガイドのカン違いのようだった。

 大渋滞の中をノロノロとバスは進む、時間は7時に近づく、昼間注意してホテル付近を見ていたので距離はだいたい掴める。ホテルまでそれほど遠くは無い、しかし渋滞しているので進まない、歩こうかとも考えたが上り坂なので止めた。

 見覚えのあるホテル近くの市場が見えた、そこで降りればいい。ホテルへ寄らずに直接観光へ行ったのでホテルの入口が分からない、ホテルは小高い敷地に建っているので直ぐそこに見える、ところがそこへ行く入口が分からない。道端で将棋風の遊びをしているオッサンに”ホテル”と指さしながら路を指すと頷いたので急な坂道を登る。

 誰かが”先に行って連絡して!”と言うので早足で坂道を急ぐ、道端と思っていたのに坂道はカーブして未だ先が続く。息を切らしながら玄関に到着すると、本隊組は出発の点呼をしているのが見えた。セキュリティ・チェックの門を通るのももどかしいので脇を通り過ぎ到着を知らせた。
暫らくして続々着いた、やっとのことで遅刻したが集合時間に間に合った。

 トルコ最後の夜を全員で海鮮料理をレストランで賞味できました。ビールでカンパイして宝物殿の宝物の話に花が咲いた。
レストランの名前、場所をチャント聞いておけば私たちはもっとゆっくり見物できたのにと悔しがった。なぜならレストランの場所は旧市街、トプカピ宮殿やバザールからそれほど遠くない場所に位置していたからです。
電車に乗ったところから渋滞する時間でも15分もあれば着いただろう。(と思った、実際は知らないが。)

写真はコーヒーショップ的な店のメニューです。
1リラ90円として価格を見てください。
ネスカフェの値段で日本と比較するのが分かり易い。

イスタンブール

2006年02月02日 12時42分34秒 | 旅-トルコ
 サフランボルで夕食後にイスタンブールの観光で話し合いがもたれた。
イスタンブールではホテル到着後自由行動となっていたが、チェックイン時間の関係でバザールへ直行し見たあとホテルへ行くと好意的に変更がなされた。
もちろんオプションの海峡クルーズは予定通りである。

 メンバーの中にはトプカピ宮殿特に博物館を見学したい、バザール見学すると宮殿へ行けなくなるという不満や要望がだされた。バザールへ行かずに独自行動をとりたい人たちもけっこうな人数いるようだ。

 そこで旅行社としても責任の問題があるので独自行動する場合は一時離団して貰うことで折り合いが付いた。希望者は書類にサインをして自由行動をとることになった。
私も一時離団組にした。

 大渋滞が続くイスタンブールの市街に入る、この混雑は日常的なものでノロノロ走行が1時間も続く、自由行動時間が少なくなるので多少イライラもするがしょうがない。
ホテルの前を通り過ぎた、それもノロノロと、おかげで帰り道のルートの予習になった。
 離団組13名はバザール入口で分かれてトプカピ宮殿に歩いて向かう。入場しても5時には出されるので急がねばならない。逸れないように前後の人を確認しながら電車道を10分ほど歩いたら初日に見かけた場所に出た、そこは宮殿のすぐ脇だった。

 入城門は中型バスがミラーを接触させながら通るほどの狭さで、車と人で混雑している、チケット売り場は門からちょっと歩いた所にある。入場券を購入する、宝物殿は別途チケットが必要だ、時間的にハレムに行くのはムリなのでそこのチケットは買わなかった。
 入館しても配置が分からない、つたない英語で聞くが広いので”あの角を曲がり裏の・・”と言われても理解できなかった。庭を歩いていると見晴らしの良い場所に来た。宝物殿の時間も気にしながら海峡とアジア側を眺める。誰かが時間の事を言う、慌てて探し始める、ガイドブックを開き尋ねてようやくそれらしき処に着く。

 宝物殿は期待以上の財宝が展示されている。見てよかった。
閉館時間になって宮殿を追い出された、あまりにも短かかったので心残りがする。もう一度来る事があるのだろうか。
もう暗くなってきたが未だ若干時間の余裕があるのでバザールに向かう。バザール入口に6時集合ということで各自の行動に移った。バザールは観光客向けになっているというので価格が高いという先入観もあるので私たちは買い物をしなかった、オミヤゲはすでに必要分を買っていたから。

 メイン通りから横に伸びる路も迷わない範囲で見て廻った。ゴチャゴチャしているようだが、坂の上っているか下っているか、メインどおりに平行に進んでいるのか或いは直交して歩いているのかに気をつければ自分の位置が分かる。
それでも時折りメインどおりに出て迷わないようにした。
バザールも短い時間ではあったが見て廻る事ができた。

サフランボル

2006年02月01日 09時46分42秒 | 旅-トルコ
 今回のトルコツアーは9ヶ所ある世界遺産のうち6ヶ所を廻る事になっている。
サフランボルはサフランの産地として有名でその町並みは世界遺産に登録されているとのこと。アンカラからもけっこう離れている。

 山越えしてバスは走る、谷スジはトルコでは珍しく(私が廻って見た範囲では)深い谷も見られた。これまた珍しく汽車が走っているのが見えた、国土が広大なわりに鉄道網は整備されていない感じのトルコだった。

 サフランボルは赤瓦の屋根に白壁が美しい街で世界遺産に登録されてから国内でも人気が高まりホテルの需要が増している。しかし新築が難しいので既存の民家を内部改装してホテルに転用するので不動産の価格が急上昇しているとのこと。

 また政府の首脳の一人がサフランボル出身か好きかで、別荘を持っており特別の配慮があるのだろう道路整備が急ピッチで行なわれている。

 小高い小さな公園からの眺めはすばらしい。尖塔はやはり目立つ、ドーム屋根も良い。通りが狭いので宿までバスが入らない、学校の片隅から歩く、石畳に土壁曲がりくねった小道が安らぎを与える。

 ホテルというよりペンションの雰囲気を持つかつての民家に宿泊する。トルコ旅行記の初めの頃に書いたが、部屋に当たり外れがあるので部屋割りは抽選で決めた。
3階までギシギシ階段を登ったが、入口が鍵でスムーズに開閉できないのの古さ故ということで我慢する。
かつての押入れをシャワー・トイレに改造してある、今でも押入れにしか見えない。改造にも気を配り近代的なものの匂いを感じさせないようにしている。内部を近代的にすると提供するサービスまで近代システム並みを要求されるからでもあろう。
あのような雰囲気では文句も言いづらくなる、”しょうがないか・・・”で済まさせる一つの方法でもある。

 街見物のときハマムを紹介されたので、夕食前に急いで入ってきた。公衆浴場なのでホテルの設備とは随分違う、もっと熱いほうがいい、早く行き過ぎてまだ暖かくなっていなかったのかな。
垢すりを頼んだらゴッツイおじさんが来た、楽しい経験でした。

 酒を探して歩き回ったがバーに案内された、酒屋の場所を知りたかったのに。諦めて帰るところに又もや同宿の酒好きが仕入れて帰るところに出会った。
酒に関する嗅覚が私より数段優れているのだろう。

写真は部屋から見た風景です。
向かいの建物もホテルになっている、かつての屋敷内の建物全てをホテルに改装してあった。