どこ吹く風

旅のことを主に書く。

バリの印象

2006年02月19日 13時10分06秒 | バリ
 バリの風景は驚くものではなかった、ちょっとだけ違和感を感じたのは田の畦に生えている椰子の木だった。田も椰子も珍しいものではないが両方が組み合わさっている景色は見たことが無い。暫らくそのような風景を見ていると目にも脳にも慣れてしまった。

 人、人間に関してはウチナーンチュから見ると「バリんちゅ」は色黒だけどワッター島人と対して変わらない風貌をしている。これはアジア共通の現象だと私は思っている。
その人々の顔や様子がのんびりしているのがたまらなく好い。のんびりというより穏やかと言う表現が適切かな。

 みどり青々と育っている稲、水辺では水牛がゆったりと寝そべっている、石垣を積んで階段状になった田を見ると営々と築き上げてきた先人の偉業を受け継いでいる様子が窺える。受け継いで伝えるただこれが続いているだけのようだが、この単純に見えることがバリの豊かさに通じているのだろう。

 観光を終えてホテルへ戻る道すがら用水路に腰まで水に浸かりノンビリと坐っているお年寄り、その側ではしゃいでいる子供たちの姿を車窓から見ると見ている私も心が洗われる気分になった。
バリに魅かれるおおかたの人はこの光景に胸を打たれると私は考える。
あの老人は至福の時を過ごしているのだ。いつの日かその光景に溶け込んでいる自分の姿を夢見た。

 そのような牧歌的な景色とは裏腹にクタビーチ付近は別世界の様相だ。観光目当てに物を売る人に各種のサービスを提供若しくは押し売りする人が行き交っている。街を通ればなお目立つ、目立っているのは観光客の方だろうが観光客である私の方から見ると押し付けがましい物売りは目立つ。

 ビーチに寝転がりあるいはただボ~ッとしているだけであらゆる物が手に入る、飲物食べ物はもとよりマッサージや髪結いまで、さらに半身用のサーフボードをレンタルする人などが入れ替わり立ち代りやって来る。
始めはどう対処するのか分からず戸惑っていたが、あまりの多さに慣れてしまいあしらい方も学習して、すんなりかわしたり逃げたりからかったりと終いには物売りが寄ってこなければ何か物足りなさを感じるまでになった。

 タイや中国にも物売りがいるがあの時のバリの物売りほどしつこく付き纏う者には会ったことが無い。バリの人に言わすとあのような物売りはバリ島以外からの出稼ぎ者が多いとのことだった。
あの物静かなバリの人からは考えられないのでナットクしたが真偽の程は・・・

 バリの印象を感じたまま書いたが、ではバリでイチバン感じたのは何だと問われれば答えは何だろう。
目に見えるものはその通りだが、目にするものの裏側、時の流れに流されていないものにとても魅かれた。自然の風景はのどかそのものでその自然を残す心それが嬉しく心を打つ、バリヒンズー教の教えなのだろうか。

写真は、家に飾っていあるバリヒンズー教の神々です。
名前は知りません、順次掲載します。