どこ吹く風

旅のことを主に書く。

いくらイクラ?

2006年02月25日 10時14分30秒 | バリ
本文と写真の関連はありません。
今では我が家の守り神となった一つです。
坐ったとき背中から見守っているのを感じます。

 バリは買い物およびその関連の思い出が多い、それほど売り子の接客態度がおもしろい。フツーの日本人なら買い物不信症になる恐れがある。(笑)

ジャランジャランー散歩ーに行くと寄って来る物売り、”センエン千円”と声を掛けながら寄って来る。手には当時流行ったプロミスリングー組紐のような作りの腕に巻きつけるリングーを持っている。「要らない」と無視しても引き下がる相手じゃない、3本にしてセンエンと言う、「要らない」のひと言。5本にする、「要らない」。10本にする、[要らない]要らない物は要らない、好い加減にしろ!と呶鳴りたくなるが大声を出すほどの事は無い、これもバリ風景のひとコマと割り切るのがお互いの為だろうと勝手に自分をナットクさせる。

 ”安いヨ安いよローレックスセンエン"と言うヤツまで現れる、こうなるとお笑いだ、ホントにコピー商品と呼べるのか疑問すら感じる。ホンモノのローレックスを知らないので比べようも無いが幾らなんでも千円とは・・オモチャと思われるよ値上げして偽者らしくしたら!とアドバイスしたくなる。

 物売りは客が買わないとなると最後に出す言葉は”イクラいくら”とくる、幾らなら買うのかという意味である、「こういうものに興味は無い、値段の問題ではない幾ら安くなっても買わない。」と言いたいが言葉が通じないので態度で示す以外に無いつまり無視。
 買いたいモノがある時は粘るのがイチバン、時間を掛けて交渉するのが最良だった、博打で言えばハッタリをカマスのも必要だ。バスが動き出す瞬間まで勝負するのである、その値段なら要らないという態度でバスに乗り込むと相手が折れる場合が多かった。もちろんこちらの提示額が原価割れしているのか断られて買えない場合もある、その時は別の場所で見つけるサと割り切ることだ。その場所でしか手に入らない物なんてそんなに有るわけじゃない。

 物の妥当な値段は幾らか。これはムツカシイ日本国内でも判断は難しい。
外国での目安は行く先で日給や月給を聞くそして1ヶ月の生活費から物の値段を割り出すのである。1ヶ月の賃金が1万円に満たない地域国は多い、日給500円にも満たない人が普通なのだ。
このような状況条件で物の価格を類推すると凡その見当がつく。一食で日給相当の食事をするのは年間何回あるか、自分なら昼食に日給の何パーセント掛けられるか、そういう感覚で計算するといい。
モノでも同じ、その品物を作るのに職人が何日掛かるかを推計してそれに芸術点や好み度を加えて自分なりの評価額を出してみる、それを基礎に交渉したら良い、あくまでも自分の価値尺度で判断する事が必要だ、他人より高く買ったからと嘆く事は無い少々高く買ってしまったとしても。
売る側にも生活があるのだと嘯こう。(笑)

丁々発止と駆け引きしながら買い物するのもバリ観光の楽しみの一つです。
「いくらいくら」は帰ってからも人気の言葉になりました。
このいくらいくら、はアジアの観光地の共通語と思うが如何でしたか皆さんが行かれた場所では