福島ズボラーヌ

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大阪市福島区(並びにその周辺)をうろうろ徘徊。

堂島一丁目(1)

2013-02-18 | ・北区堂島・堂島浜ほか:風景・建築・史跡
こんな繁華街の真ん中でこのような建物を見ようとは…



純和風の建物。
ショウウインドーがあるので何らかの商店・飲食店だったと思われます。
撮影したのが真冬だったので全体的に黒っぽい感じですが
真夏に見れば葉が生い茂って緑色のかたまりになっていることでしょう。

駐車場の車も同じくツタにまかれています。
かなり長い間、使われていないのだろうなぁ。
自販機がきれいなのは、おそらく業者さんが商品補充の時に
メンテナンスをしているからでしょう。
1階の窓や戸も無事なので、それなりに手入れをしているものと
思われます。

※「北区の風景・街並み

福島七丁目(2)

2013-02-17 | ・福島:風景・建築・史跡
上福島公園に隣接する白い建物。
昔は印刷会社だったそうです。



今はカフェ「フエ°(fouet°)」が入居しています。
以前も同じくカフェでしたが、その時の名前は「a Terre(ア・テール)」。

a Terre(ア・テール)」(2006.01.19)
a Terre(ア・テール)その2」(2006.12.08)
福島区お花見通信(2007年その3)」(2007.03.30)

その頃は、1階が雑貨コーナー、2階がカフェ、3階がギャラリーでした。
カフェの名物はベーグルとキッシュ。
2階奥の窓辺のカウンター席は公園の桜の木がすぐ目の前、お花見特等席でした。
ソファ席からは大きな針葉樹の枝が見え、それもなかなかよい眺め。
家具屋さんの直営ということで、
お店のソファは見た目もシンプルでかわいく、座り心地も良かった。

ギシギシきしむ古い木の床。
印刷工場の名残の大きく武骨なエレベーター。
水圧が弱くてうまく流れてくれないけれど
可愛い白いタイル貼りの古いトイレ。
古い建物ならではの欠点もありましたが、それもまた魅力的。
当時は店内撮影厳禁でしたので、内装の写真は撮りませんでしたが
可愛らしい中にも落ち着いた雰囲気のある良いお店でした。

私が通いだしたころはあまり混んでいなくて、
本を読みながら長居をしていたものです。
テレビや雑誌でひんぱんに取り上げられるようになり、
会社帰りに立ち寄ると、フードメニューが全滅していたり
休日は2階入り口から階段下の1階入り口まで
人が並ぶようになりました。

その後、建物の老朽化を理由に一時閉館。
新しい店名で再オープンしてからは、まだ一度も行っていません。
2階席や3階のギャラリーは今は入れなくなったそうです。
毎年楽しみにしていた客席からのお花見はもうできないのだなぁ…

※「福島区の風景・街並み

海老江一丁目(1)

2013-02-14 | ・海老江:風景・建築・史跡
野田阪神駅前のウイステの近く、大きく立派な古民家があります。
木の引き戸、窓の格子、その上の小窓の意匠が可愛らしい。
(この日は雨戸になってて格子は見えませんでしたが)
渋い色のタイルもいいなぁ。



一階の雰囲気からすると、住居専用ではなく
もともとは商店か事務所だったのではないでしょうか。



横から見ると、屋根の立派さが際立ちます。
軒だけでなく、うだつにも銅板を貼っているのかな?



こちらのお庭にモッコウバラの木があり、
初夏になると淡黄色の花が咲き誇っていました。
この写真を撮ったのは冬なので、残念ながらバラの花はありませんが。
今でもバラの木は元気かなぁ…。

※「福島区の風景・街並み

大日本製薬記念館

2013-02-13 | ・海老江:風景・建築・史跡
海老江にある大日本住友製薬の正門から見える煉瓦の建物。
ドアの上の額には「記念館」という文字が書かれています。



明治時代に旧社名大日本製薬の大阪工場として操業開始。
今は大阪工場は閉鎖され、鈴鹿工場に統合されています。
この事業所の現在の名称は「大阪総合センター」。
なお、本社は今も会社発祥の地である船場の道修町にあります。

会社のHPには、この記念館の詳細は書かれていませんでした。
明治30年に製薬所として創立した時の建築物の一部らしいですが。
もしかしたらここの工場でヒロポン作ってたのかしら。

残念ながら、建物は非公開、門の中に入ることもできません。



外側の煉瓦塀。

この近くに他にも古い洋風建築があったはず…とウロウロしましたが
見つけられず。

頼りない記憶をもとに、検索してみたところ、
以前この付近にお線香の有名メーカーである孔官堂の工場があったようです。
10年くらい前まで、コロニアル風の木造洋風建築(大正9年築)が建っていましたが
2002年頃に解体されてしまったそうです。
かなり前のことやったんですね。

「海老江東第5町会」さんのHPに詳しい説明が掲載されていました。
そうそう、こういう神戸の異人館みたいな建物やったなぁ。
何故解体してしまったのでしょうか。
やはり老朽化が原因かなぁ…。残念です。

海老江東第5町会を紹介するページ

海老江の街の様子や歴史が詳しく書かれていて、とても面白いHPです。
「海老江のアルバム」のページには
孔官堂だけでなく、前述の大日本製薬の記念館の写真や説明もあります。
記念館の前の噴水は今は無くなっています。
私が行った時は芝生に変わっていたような…
噴水がある方がレトロ感が増しますが、メンテナンスが大変だったんでしょうなぁ。

追記 2015年2月

大日本住友製薬の大阪総合センターが売却されました。
売却先は阪神電気鉄道とのことですが、跡地には何が出来るんでしょうね。
マンションか、それともショッピングモールか…
この煉瓦造の記念館がどうなるのかは不明です。
ぜひとも残して欲しいですが。

【売買】大阪の3万m2を95億円で売却、大日本住友製薬が阪神電鉄に

大日本住友製薬は10月30日、大阪市福島区の旧大阪総合センター跡地2万7864m2の売却を発表した。
価格は94億5000万円。買い主の阪神電気鉄道は取得目的を明らかにしていない。


旧大日本製薬記念館・レンガハウスの保存活用を望む - Change.org

追記 2015年6月

明治30年築の記念館、煉瓦塀とも解体されました。
非常に残念です。
まぁ、ダイビル本館の解体以来、大阪における歴史的建造物の保存には
もはや期待しておりませんが(というかほぼ絶望レベル)、
こうして見慣れた建物が失われると胸が痛みます。

大日本住友製薬 大阪総合センター
住所:大阪市福島区海老江1-5-51
備考:非公開

株式会社孔官堂
住所:大阪市福島区海老江2-8-32
備考:今は旧本社事務所は解体され、移転しています。
   跡地は大型マンションになりました。

   
※「福島区の風景・街並み


野田城跡

2013-02-12 | ・玉川:風景・建築・史跡
地下鉄玉川駅出口近くのマンションの前にある石碑。



このマンション、私が引っ越して来た頃はあさひ銀行西野田支店の建物が建っていました。
あさひ銀行は昔の協和銀行と埼玉銀行が統合してできた銀行で
今は大和銀行と一緒になり、りそな銀行になっています。
私の非常に頼りない記憶によりますと、りそな銀行が出来るタイミングで
この支店は廃止になり、新福島駅前の支店と統合されたような…

野田城址の石碑はここ以外に、極楽寺の前にもあります。

「wikipedia:野田城 (摂津国)
「wikipedia:野田城・福島城の戦い」安土桃山時代の織田信長と三好三人衆の戦い。
「wikipedia:野田・福島の戦い」大坂冬の陣における戦いの一つ。

明治の初めまでにこの地にには城ノ内町、弓場町等の城とのかかわりを示す地名が残っていたそうで
石碑のあるマンションや極楽寺のあたりが城郭の中心地だと思われています。
ただし、明治以降、急速に市街地が進み、遺跡はいまだ見つかりません。

この石碑のあるあたりに、以前は「極楽橋」と書かれた石碑があったように記憶しているのですが
先日探してみたものの、見つかりませんでした。
愛読書「大阪の橋ものがたり」にも
銀行の敷地内に野田の極楽橋の石碑があったはずだが今は見当たらない、と書かれています。
マンションを建てるタイミングで撤去したんだろうなぁ。

昔、この辺には「玉川」という川が流れていて、そこにかけられていた橋らしい。
おそらく近くの極楽寺に至る道筋にかかっていたことから
名付けられたのでしょう。
大阪城にも同じ名前の橋がありますが、
大坂城ができる前に存在した石山本願寺(石山御坊、大坂本願寺)の橋だと言われています。

戦国時代、安土桃山時代の大坂の記述を読むと、大阪はすごいしんどい思いをしている。
応仁の乱で苦労して(京都に近いから大阪も巻き込まれる)
織田信長vs石山本願寺の長期にわたる戦いで疲れ切り、
そこに秀吉がやってきて、ほっと一息。
これでやっと平和で豊かな生活が送れるかも…と夢を抱いたことでしょう。
なのに徳川家とモメてまたボロボロに。
そら、徳川嫌いの豊臣家贔屓になるわなぁ、と思う次第です。

※「福島区の風景・街並み

玉川四丁目(8)

2013-02-11 | ・玉川:風景・建築・史跡
地下鉄玉川駅出口近くの駐車場から、蔵が見えました。

今までぼうっと歩いていた福島区ですが、古い建物や蔵を注意深く探すと
おもしろいように見つかります。



この蔵を見つけた時も驚きました。
住宅街の街並みにフツーの家のように溶け込んでいます。

※「福島区の風景・街並み

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追記 2014.03

この駐車場はもうありません。
今は「阪急オアシス」が建っています。

吉野二丁目(3)

2013-02-10 | ・吉野:風景・建築・史跡
思いがけないところで蔵を発見しました。



野田新橋筋商店街近くの駐車場から見える小さな蔵。
この道は何度も通ったことがあるのですが
今まで気が付かなかった…

この近くに、大きな門のある立派な門のあるお屋敷がありました。
門の右隣にタイル貼りの蔵が印象的でした。

今はお屋敷も門も蔵も取り壊され、ホテル「東横イン」になっています。
近隣のビルのオーナーさんのお宅だと以前聞いたことがあります。
私は見たことがないのですが、大きなお庭のあるお屋敷だったそうです。

前を通るたびに、格好いいなぁ、素敵だなぁと憧れの目で見ていた家だったので
無くなった時はとてもさびしかったです。

※「福島区の風景・街並み

福島天満宮

2013-02-08 | ・福島:風景・建築・史跡
通称、「上ノ天神」。福島三天神のひとつ。



ここがかつての村の中心でした。
なお、野田村の中心は野田恵美須、海老江は八坂神社。
今はこじんまりしていますが、昭和42年まではもっと広い神社でした。
(もっとも生まれる前なんで記憶はありませんが)
なにわ筋=浄正橋筋の拡幅のために境内地120坪を失い
今の状態になりました。
神社の近隣はこんな感じ(福島二丁目(3))で、風情があります。

神社のHPによると、907年(延喜7年)に鎮座。
大阪天満宮の創建は949年ですから、
もし福島天満宮の社伝が事実なら、大阪天満宮よりも古いということになります。
ただし、大阪の郷土史に詳しい三善貞司さんの著書には
「あくまでも伝承であり事実とは異なると思う」と書かれていました。

JR福島駅前にあるホテル阪神には天然温泉のスパがありますが
(全客室のお風呂も天然温泉らしい)
その温泉の名前が「徳次郎の湯」。
この徳次郎さんと言うのが、大宰府への旅の途中、福島で風待ちをしていた
菅原道真公をもてなした福島の里人の名前だそうです。

「ホテル阪神:阪神サウナのご案内 徳次郎の湯

当時、福島は「鹿飢島(餓鬼島)」もしくは「葭原島」という地名だったのですが
道真公が徳次郎さんら里人のあたたかさに感激し
「福島」という美しい名前を授けたと言われています。
古代の福島は「難波八十島」のひとつ、大阪湾に浮かぶたくさんの小島のひとつでした。
ちなみに野田は「野田洲」、海老江は「海老洲」。
鷺洲は「田蓑島」にあったのではと言われています。
(中之島の「田蓑橋」の由来は田蓑島に行く道筋にあるからかな?)
当時の様子を推測・再現した地図を見ると、
大阪湾には本当にたくさんの島(砂洲)が存在していたことが分かります。





歴史ある神社ですが、明治時代の「キタの大火」のために
社殿が被害にあい、歴史資料、宝物などが失われてしまいました。
そのため、明治以前の福島の歴史についての調べることが非常に困難なのです。
近くにある西善寺も焼けてしまいましたし、
例えば「砂町」について調べようにも
福島には史料が残されていないため、詳しいことは分かりません。
今の社殿は大正時代に再建されたもの、幸い第二次大戦の被害は免れました。

第二次大戦で焼失・再建を断念した「中の天神」は戦後、ここに合祀されました。
境内を見て回りましたが、「敵討天下茶屋聚」ゆかりの林神社は見つからず…。
たぶんどこかにあると思うんですが。

お芝居とのゆかりというと、何と言ってもここの地車講でしょう。
先日亡くなった中村勘三郎さんの「平成中村座」で上演された「夏祭浪花鑑」では
福島天満宮の地車講の皆さんが劇中のだんじり囃子を担当。
(お芝居に登場する神社は本当は高津宮なんですが)

「夏祭浪花鑑」はとても面白いお話なのですが、
残念ながら今は上方出身の歌舞伎役者さんがほとんどいない状態のため
大阪が舞台のお話なのに、江戸風アクセントの妙な大阪弁で演じています。
以前テレビで見た時はすごい気持ち悪かった。

このお芝居に限らず、歌舞伎の役者さんは東京中心なのに
有名な作品は上方が舞台になっているものが多いので
せりふを聞いていて「うへー」となることが多々あります。
みんな変やなとは思わないのでしょうか。
文楽は大阪弁ベースなのでしっくりくるんですが…。

福島天満宮
住所:大阪市福島区福島2-8-1



動画の3:10過ぎくらいから、だんじり囃子が流れます。

※「福島区の風景・街並み