福島ズボラーヌ

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大阪市福島区(並びにその周辺)をうろうろ徘徊。

野田五丁目(3)

2013-07-25 | ・野田:風景・建築・史跡
野田小学校近く。



シンプルな形状のうだつが付いた建物。
落ち着いた色合いなので、ポストの赤が際立っています。



明治以降、旧来の市街地(いわゆる大坂三郷など)周辺地域も
住宅地として開発されるようになりました。
それまで近郊農村だった福島区もたくさんの住宅や商店が立ち並ぶ
市街地へと変化しました。

1898年(明治31年)に開通した西成鉄道の野田駅南側にあたる地域、
旧町名で言うと野田玉川町、大野町周辺が開発の時期が早かった場所だそうです、
大野町は廃止された町名ですが、大野町公園(野田五丁目)に名前が残っています。
(西成鉄道→1906年に国有化=西成線→現在の大阪環状線の一部)



福島区の道は市内中心部(天満や船場、島之内など)とは違い、
整然とした碁盤の目にはなっていません。
これは農村時代の田んぼの畔道がもとになっているからだそうです。



「大阪市パノラマ地図」大正12年(1923年)


※「福島区の風景・街並み

野田三丁目(8)

2013-07-22 | ・野田:風景・建築・史跡
環状線車窓から見える箱軒の建物。



写真を見て気が付きましたが、ドアに貼り紙が貼られている…。
何て書いてあったんやろ。

「COFFEE HOUSE ROCKET(ロケット)」
住所:大阪市福島区野田3-15-11



近くには石畳の小道が残っていました。



「Yahoo!地図」現在(2013年7月)の野田駅周辺。



「最新大大阪市街地圖」昭和16年(1941年)

JR野田駅の場所は、現在と戦前では少しずれています。
現在の駅よりも少し西九条側にありました。
高架駅になったのが昭和39年(1964年)ですから、
そのタイミングで駅舎の位置が変わったのかな?

この喫茶ロケットのあたりが小さい商店街になっています。
古い商店建築らしき長屋がたくさんありますので、
昔はこの辺りが駅前商店街だったのでしょう。

※「福島区の風景・街並み

吉野一丁目(6)

2013-07-20 | ・吉野:風景・建築・史跡


この煙突は銭湯「宝栄湯」。



ここは小さな町工場でした。
出入り口が板でふさがれていますが、廃業されたのでしょうか。
ドアの張り紙は閉店の挨拶とか移転先等が書かれているのではなく
犬のフン害や放し飼いについての警告ポスターでした。







「亀甲東町会」と書かれた消火器。



『大阪市パノラマ地圖』大正12年(1923年)

大正時代の亀甲町周辺。
建物がぎっしりと建てこんだ市街地です。
亀甲町右側の煙を出しているのは大日本紡績、今の下福島公園付近。


※「福島区の風景・街並み

吉野一丁目(5)

2013-07-18 | ・吉野:風景・建築・史跡


看板建築かな、ちょっとモダンな感じ。
グレーの塗装を施していますが、本当はタイル貼りなんでしょうね。









緑色の建物は有名なアイスもなかの店「栄林堂」。
長くこの地で愛されていたお店でしたが、残念ながら閉店。

しかし、いつの間にこんな色の外壁になったんでしょうかね。
かなり目立ちます。



グーグルの地図で確認、2009年秋はこんな感じ。
もなか屋さんの店舗は煉瓦色の塗装で、
もう一軒は黄土色のスクラッチタイルでした。

※「福島区の風景・街並み

吉野一丁目(4)

2013-07-15 | ・吉野:風景・建築・史跡
福島郵便局の近く、このあたりも長屋が多いです。
近隣は以前も写真を撮りに行ってます→吉野一丁目(1))・吉野一丁目(2)吉野一丁目(3)



明治時代以降、長屋は二階建てが主流になりました。
長屋の多い福島区でも平屋建ては珍しい。



「亀甲屋ミシン」、亀甲はかつての町名「亀甲町」からでしょうか?



『イロハ引早わかり大大阪市街新地圖』昭和14年(1939年)

緑色でマークしたところが市電停留所「亀甲町」。
しかし、福島区内は国鉄以外に市電が複数路線通っていて、実に便利だったのだなぁ。

「wikipedia:大阪市電西野田福島線

※「福島区の風景・街並み

吉野二丁目(5)

2013-07-13 | ・吉野:風景・建築・史跡
福島区立図書館に行く時に、よくウロウロ散歩していた所。



軒裏が漆喰で塗り籠められていないようなので
明治~大正期の長屋かな?



この辺り、今でこそ「懐かしい風景」と言われていますが
福島区が市街地として発展し始めた明治時代のこと。
この長屋が造られた頃は、まさに新興住宅地という風景だったのでしょう。
当時の人にとっては、とても都会的な眺めだったと思います。



この辺りは以前から老朽化していましたが、さらに進行している…
整然とした石畳が今なお美しい。
建物をきれいに補修すれば、海老江の石畳保存会みたいに
格好いい街並みになるのに…


※「福島区の風景・街並み

吉野二丁目(4)

2013-07-11 | ・吉野:風景・建築・史跡
野田新橋筋商店街のアーケードから少し入った場所。





私、ここの門柱のタイルが好きです。渋い色味でいいなぁ。



この空き地、前は何が建っていたのでしょう。
よく歩いた道なのに全然思い出せません。

グーグルの地図で確認しました。



三階建ての灰色の建物が建っていたようです。
なかなか味のある建物だったんですね。



こちらの工事中の所は以前は駐車場でした。
地図で確認したところ、「新橋モータープール」。

※「福島区の風景・街並み

鷺洲三丁目(1)

2013-07-05 | ・鷺洲:風景・建築・史跡


大正~昭和初期に大阪で流行した箱軒長屋。
二階の軒が階段のような箱状態なっており、防火と装飾を兼ねて銅板で覆われています。
壁面の白いタイルもオシャレです。これも防火対策、一石二鳥。



箱軒長屋は大阪ではよく見かける形式ですが、他の地域には無いらしい。
少なくとも東京では見たことありません。
ちなみに、大阪の長屋は外装も内装も凝っていて、門や庭が付いたものや洋館風など
豪華なタイプが数多く存在しますが、これも大阪特有の文化であるように思います。

一般的に「長屋」というと、落語や時代劇に出てくる「裏長屋」のような
質素な住環境をイメージされることが多いのですが
大阪に限っていうと、それは当てはまりません。

現代の集合住宅に風呂なしアパートや億ションがあるように
大阪の長屋にはいろいろなバリエーションがあるのです。
もっとも、このことを他の地域の人に話してもまず分かってもらえません。



こちらの長屋は渋くて落ち着いた雰囲気。
明治末~大正時代の建物かな?


※「福島区の風景・街並み

鷺洲一丁目(3)

2013-07-02 | ・鷺洲:風景・建築・史跡
野田阪神駅前近く。



この並びの端に中華料理店「圄武(GOBU)」がありました。



トンネルの奥にさらに建物が続いています。
表の建物からトンネル状の通路を通って奥の住宅に進むという形式は
明治42年(1909年)以降は禁止されています。
ということは、この建物はそれ以前のもの?



こちらにもトンネルがありました。

梅田のすぐ近くで、100年を超える建物に普通に人が居住しているなんて
すごいことですよね…。
しかも全然ボロボロじゃなく、今もとてもきれいでしっかりしています。
昭和には大きな地震が何度かありましたし
(昭和21年の南海地震とか昭和19年の東南海地震とか)
戦争も経験して、阪神大震災も乗り越えて
それでもなお、こうして現役で住宅として立派に成り立っている。

現代のマンション建築や建売住宅が果たして、
50年後、100年後に健全な姿で残っているだろうか?
「時代を経てもなお美しくカッコいい建物」として称賛されるだろうか?

長屋は決して時代遅れな建物ではなく、立派な歴史遺産であり、
この景観は素晴らしい財産なのだと痛感する今日この頃です。

※「福島区の風景・街並み