中央卸売市場近くの野田郵便局敷地内、
植栽の中にうずもれるように建っている石碑。
私が行った時は植物が邪魔で、下の方が見えず、
「靱公園にあった雑喉場がこの辺に引っ越した時に記念して石碑作ったんかな」
くらいに思っていました。
「wikipedia:
ざこば」
ざこばは、小魚(雑魚)をはじめとする大衆魚を扱う魚市場を指し、
「雑魚場」「雑喉場」などと表記される。
狭義では1931年(昭和6年)まで大阪府大阪市に存在した雑喉場魚市場を指す。
雑喉場魚市場の近く、かつて存在していた百間堀川にかかっていたのが雑喉場橋。
大阪市のHPによると、雑喉場橋の顕彰碑は阿波座付近にあると書かれています。
福島区にある石碑のことについては触れられていません。
百間堀川は昭和39年に埋め立てられ、
雑喉場橋の親柱は西詰の場所に顕彰碑として残されました。
この顕彰碑の写真を見ると、野田郵便局の石碑部分とよく似ています。
野田のものには上部のガス灯が付いていませんが、
台座部分だけ、かつての雑喉場の名残として
新しい市場の近くに設置したのではないでしょうか。
「大阪市HP:
橋梁顕彰碑 雑喉場橋 (ざこばばし)」
「天保新改攝州大阪全圖」天保8年(1837年)
この頃、まだ雑喉場橋はありません。
地図には書かれていませんが、今の中央卸売市場の場所は
江戸時代、遊里(新堀新地)としてにぎわっていたそうです。
安治川は大阪湾と運河の街大坂をつなぐ重要な水路で
多くの船が行きかったり係留したりしていました。
「改正新版大坂明細全図」明治15年(1882年)
江戸時代にあった下之橋を撤去し、明治時代に雑喉場橋を架橋したらしい。
当時はまだ珍しかった鉄橋で、出来た頃は「新橋」とも呼ばれていました。
この時代の地図は野田あたりは詳細な書き込みはありません。
新堀新地は不運にも明治10年火事に会い、
また洪水被害にも何度もあったせいで次第にさびれ、明治28年頃に消滅。
「實地踏測大阪市街全圖」大正元年(1912年)
新堀新地消滅と前後して当地にできたのが住友伸銅所。
島之内にあった住友家の銅吹屋が前身。
江戸時代すでに世界でも有数の銅精錬所だったそうです。
「最新大大阪市街地図」昭和12年(1937年)
昭和6年、住友伸銅所跡に大阪市中央卸売市場本場が完成。
※「
福島区の風景・街並み」