福島ズボラーヌ

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大阪市福島区(並びにその周辺)をうろうろ徘徊。

玉川三丁目(1)

2013-06-29 | ・玉川:風景・建築・史跡


鮮やかなグリーンの看板建築。
「金平商店」
住所:大阪市福島区玉川3-3-4

そのお隣は別の会社の駐車場ですが
シャッターの奥の方に和風建築が残っています。



近くにはモダンな祠に鎮座するお地蔵さん。
野田の「ななとこまいり」のうちの一つでしょうか。
お地蔵さんのお住まいは木造和風建築と相場が決まっていますが
こんな可愛らしいモザイクタイルの祠にお住まいなのは
数少ないと思います。

※「福島区の風景・街並み

野田二丁目(17)

2013-06-25 | ・野田:風景・建築・史跡


銅板貼の長屋。

野田福島には銅の建材をあしらった古い建物が多く存在します。
その理由を
「野田に住友伸銅所があったから」
と説明しているホームページがありますが、実際にはどうなんでしょう。

「キタの大火」(明治42年)での体験を教訓に、
建物の不燃化・難燃化に積極的に取り組んでいたのからではないかと思います。
特に昭和期の長屋は銅を外壁や窓枠に使ったものやタイル貼りが多い。
関東大震災の被害のことは大阪にも伝わっていたので
いろいろと対策を施したのだと思います。
銅板貼りやタイル貼りの建物は見た目にも格好よく
モダンで華やかなものが好きな大阪人の心をとらえたのではないかと思います。



住友伸銅所は野田周辺が市街地化するに伴い
公害問題が大きくなり、昭和3年に桜島(此花区)に移転しました。


※「福島区の風景・街並み

野田二丁目(16)

2013-06-22 | ・野田:風景・建築・史跡
中央卸売市場付近。



和牛肉専門卸「音野肉店中央」
住所:大阪府大阪市福島区野田2-4-5

右隣は以前、「本田忠」という会社でした。
右側の二階、これがこの建物のオリジナルデザインなのかな。
一階は両方とも改築されていて、元の姿が想像できません。



パッと見、洋館風ですが、たぶん看板建築。
こっちの建物も、真ん中と右側の2軒分は「本田忠」でしたが
現在は「ベジファーム」という看板が掲げられています。

「㈱ベジファーム
住所:大阪市福島区野田2-4-9

大阪中央卸売市場本場が野田に開かれたのは昭和6年のこと。
それまで卸売市場はジャンルごとに大阪市内各地に分かれていました。
大正12年に「中央卸売市場法」が成立、
今までバラバラに置かれていた各市場を統合することになったのです。



「大大阪観光地図」昭和11年(1936年)

大阪の市場 | 写真の中の明治・大正 - 国立国会図書館所蔵写真帳から
「wikipedia:天満青物市場
北区天満にあった天満青物市場は近世大坂の3大市場のひとつ。
起源は石山本願寺(大坂本願寺)創建の頃(1653年)。
青果・乾物・漬物などが取り扱われていました。
中央卸売市場開場の後、天満配給所(分場)が置かれましたが
1945年に戦災で全焼し、廃止されました。

※「福島区の風景・街並み

野田二丁目:雑喉場橋の石碑

2013-06-19 | ・野田:風景・建築・史跡
中央卸売市場近くの野田郵便局敷地内、
植栽の中にうずもれるように建っている石碑。



私が行った時は植物が邪魔で、下の方が見えず、
「靱公園にあった雑喉場がこの辺に引っ越した時に記念して石碑作ったんかな」
くらいに思っていました。

「wikipedia:ざこば

ざこばは、小魚(雑魚)をはじめとする大衆魚を扱う魚市場を指し、
「雑魚場」「雑喉場」などと表記される。
狭義では1931年(昭和6年)まで大阪府大阪市に存在した雑喉場魚市場を指す。


雑喉場魚市場の近く、かつて存在していた百間堀川にかかっていたのが雑喉場橋。
大阪市のHPによると、雑喉場橋の顕彰碑は阿波座付近にあると書かれています。
福島区にある石碑のことについては触れられていません。

百間堀川は昭和39年に埋め立てられ、
雑喉場橋の親柱は西詰の場所に顕彰碑として残されました。
この顕彰碑の写真を見ると、野田郵便局の石碑部分とよく似ています。
野田のものには上部のガス灯が付いていませんが、
台座部分だけ、かつての雑喉場の名残として
新しい市場の近くに設置したのではないでしょうか。

「大阪市HP:橋梁顕彰碑 雑喉場橋 (ざこばばし)



「天保新改攝州大阪全圖」天保8年(1837年)

この頃、まだ雑喉場橋はありません。
地図には書かれていませんが、今の中央卸売市場の場所は
江戸時代、遊里(新堀新地)としてにぎわっていたそうです。
安治川は大阪湾と運河の街大坂をつなぐ重要な水路で
多くの船が行きかったり係留したりしていました。



「改正新版大坂明細全図」明治15年(1882年)

江戸時代にあった下之橋を撤去し、明治時代に雑喉場橋を架橋したらしい。
当時はまだ珍しかった鉄橋で、出来た頃は「新橋」とも呼ばれていました。
この時代の地図は野田あたりは詳細な書き込みはありません。
新堀新地は不運にも明治10年火事に会い、
また洪水被害にも何度もあったせいで次第にさびれ、明治28年頃に消滅。



「實地踏測大阪市街全圖」大正元年(1912年)

新堀新地消滅と前後して当地にできたのが住友伸銅所。
島之内にあった住友家の銅吹屋が前身。
江戸時代すでに世界でも有数の銅精錬所だったそうです。



「最新大大阪市街地図」昭和12年(1937年)

昭和6年、住友伸銅所跡に大阪市中央卸売市場本場が完成。

※「福島区の風景・街並み

野田四丁目(2)

2013-06-14 | ・野田:風景・建築・史跡
この道路沿いには両側に古い建物が続いています。



商店建築が多いです。
たぶん1階の土間のところが昔はお店だったんだろうなぁ。



こちらは正面に塀を作っています。
右側にあるのは小さな蔵かな?
商店建築は通りに面した部分に店舗があるのですが、この建物にはありません。
こういうのを昔は「仕舞屋(しもたや)造」と言っていました。

「語源由来辞典:しもた屋
「大阪備忘録:北区西天満三丁目(6)

私の周囲のお年寄は「シモタヤ」を裕福とか
ゆとりがあるというニュアンスで用いていました。
昔の大阪で使われていた「シモタヤ」は
「ある程度の資産を形成したあと、引退して悠々自適の生活をしている」という感じ。
商売を仕舞う・店を閉めるから発展して、商売をしていない家、
つまり居住専用の建物のことも「シモタヤ」と言っていました。

「シモタヤ」は東京でも使われていた言葉のようですが
豊かさとは逆の意味で使うことが多いような。
貧しい家、下町の裏長屋などの質素な住宅のことを「シモタヤ」と言うようです。
商売を仕舞う→商売が立ち行かなくなった家という解釈なのでしょうか。

表屋造から大塀造・高塀造に改装するのは大変なことなので
こうして改装しているお宅は、本来の「シモタヤ」なのだろうと思う。

※「福島区の風景・街並み


野田四丁目(1)

2013-06-12 | ・野田:風景・建築・史跡
大阪中央卸売市場近く。



はじめて見た時は、あまりの格好よさにびっくりしました。





落ち着いた雰囲気の外観。
玄関横の植栽といい、本当に素敵な家だなぁ…

※「福島区の風景・街並み

追記

その後、右側の建物が解体されまして、2014年春に前を通った時は
下記写真のような状態に変わっておりました。



格好いい建物だっただけに、非常に悲しく残念です。

野田六丁目(1)

2013-06-11 | ・野田:風景・建築・史跡
「野田緑道」の近く。







猫さんが食後の休憩中でした。
ご近所のアイドルなんでしょうか。



「大大阪観光地図 」昭和11年(1936年)

昭和初期の大阪中央卸売市場界隈。
この場所に市場が設置されたのは昭和6年。
最新の設備を誇る堂々たる近代建築だったでしょうから
観光地図に乗せたのでしょう。

野田駅から卸売市場に伸びている線路がかつての貨物線。
大阪環状線の貨物支線で大阪市場線と呼ばれていたようです。
昭和60年に廃止、今は野田緑道になっています。

実は私、この線路のこと全然記憶にないんですよ…
当時は福島区民ではありませんでしたが
環状線は何回も乗っているし、見た事あるはずなんですが。
1980年代なら覚えてても良さそうなもんなのに。


※「福島区の風景・街並み

野田五丁目(2)

2013-06-10 | ・野田:風景・建築・史跡


箱軒長屋のクリーニング屋さん。
「水野クリーニング商会」
住所:大阪市福島区野田5-9-28



その昔、「大改造ビフォーアフター」でリフォームされた家。
白壁が美しいです。

その時のタイトルが「おばあちゃんの頭をまたぐ家」でした。
今はゆったりと暮らしてはるんやろなぁ。
(2005年11月6日放送、リフォーマー:大西憲司)



野田商店街周辺は重厚感のある箱軒の家がたくさん残っていて壮観です。



商店街から少し入ったところに、小さな白い蔵がありました。


※「福島区の風景・街並み

野田二丁目(15)

2013-06-09 | ・野田:風景・建築・史跡




下の写真、瓦の崩落防止のためか、緑色のネットをかけています。
遠目に見たら、ヘアネットをかぶっているように見えます。
この写真を撮った時の記憶がぼんやりしているのですが
左隣の建物はもう無かったような…
横側の壁やメーターが写真に写っているし。

現在(2013年5月)のグーグルマップの写真は2009年10月撮影のもの。
この時の画像にはお隣にも建物が写っています。



よく似たタイル貼りのモダン建築が建っていました。

※「福島区の風景・街並み