福島ズボラーヌ

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大阪市福島区(並びにその周辺)をうろうろ徘徊。

鷺洲五丁目、機銃掃射弾痕

2014-08-19 | ・鷺洲:風景・建築・史跡
インターネット上で、福島区の戦跡についての記事を見つけました。

そうなんや 大阪24区 福島区 鷺洲の機銃掃射弾痕』(大阪日日新聞 2014.08.15)

場所は鷺洲5丁目、JR東海道線の高架。
コンクリートの橋脚に今も当時の銃弾の跡が残されています。



昼間でも薄暗いガード下に刻まれた無数のくぼみ。
同区鷺洲5丁目のJR東海道線の橋脚には、
米軍機による機銃掃射の弾痕がはっきりと残る。
その数は目視できるだけでも約150発。
コンクリート壁面が直径約3~8センチ、深さ約2センチもえぐられており、
銃撃のすさまじさを物語る。

地元の鷺洲小学校100周年記念誌によると、
被弾したのは1945年6月7日の白昼にあった第3次大阪大空襲で、
B29爆撃機の護衛任務で飛来したP51戦闘機によるものと伝わる。


福島区は戦前の古い建物が比較的多く残されており、
しばしば「戦災の被害が少なかった」と言われますが、無傷だったわけではありません。
区内の3つの学校が焼失し、野田藤も燃えてしまいました。
作家、田辺聖子さんの実家(堂島大橋北詰)や下福島公園隣の中ノ天神、
大阪福島教会や聖天さんこと了徳院(山門以外)も焼失しています。
空襲の様子を福島三丁目にお住いのお年寄りに聞いたこともあります。

『wikipedia:大阪大空襲
『わがまち福島区:鷺洲小学校区
『福島区歴史研究会:福島区の災害

福島区歴史研究会の記事によると、福島区は6回の空襲を受けています。
15年位前には、このガード下以外にも
幾つかの民家の壁に当時の銃弾の跡が残っていたのですが
それがどこのことだったのか思い出せません。
もう建替えられたり、リフォームされたりして残っていないかも…



高架下に逃げ込んだ市民を狙い撃ちした銃弾。
若者や働き盛りの男性は出征していて、
大阪に残っていたのはお年寄りや女性、子供がほとんど。
6月7日の空襲は真昼間でした。

機銃掃射の際、戦闘機は超低空で飛行しており、
操縦している米兵の顔が見えるほどだったそうです。
と言うことは、操縦者側からも高架下に逃げている人達が
お年寄りや女性、子供ばかりというのは視認できたはず…

戦時中の米国ではプロパガンダフィルムで
「日本人を殺すのは、狂犬病の犬を撃ち殺すようなもの」と
国民を鼓舞(洗脳?)していたので、さほど良心は痛まなかったかもしれません。
嫌な仕事ですが、任務ですしね。
この日は市民の命綱である柴島浄水場も破壊され、水道の供給が出来なくなりました。
非人道的な戦争犯罪としか思えないのですが、当時は国際法的に問題無かったのでしょうか?

鷺洲の高架下の弾痕は、説明板も何もありません。
個人的にはきちんと説明板を設置し、戦跡として保存するべきだと思いますが、
忘れてしまいたいとか、知りたくないと思う人もいるかもしれません。

「鷺洲の機銃掃射弾痕」
住所:大阪市福島区鷺洲5、鷺洲北公園近くのJR東海道線の高架下

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1 コメント

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Unknown (サト゚)
2023-05-06 01:14:20
忘れてはイケない、知らなければイケない。
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