福島ズボラーヌ

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大阪市福島区(並びにその周辺)をうろうろ徘徊。

野田藤(12年4月)

2012-04-24 | ■その他
もうすぐゴールデンウィーク!
もちろん帰省します。

野田藤の開花はどうかな?
毎年楽しみにしているので、気になります。

区役所のホームページで現在の開花状況をチェックできるそうです。
今年初めて知りました。

大阪市福島区HP:野田ふじの開花状況

今週末あたり、見頃みたいですね。楽しみ!

「玉川春日神社春期大祭」!


wikipedia:春日神社 (大阪市福島区)
 野田藤(ノダフジ)について詳しい説明が掲載されています。

野田三丁目(1)

2012-04-16 | ・野田:風景・建築・史跡
福島区内には古い家とともに蔵がたくさん残っています。







こちらは銭湯の跡かな?
看板文字の剥落した跡から察するに「大野湯」さんらしい。
野田地区の一部の旧町名が「大野町」であったので
その名残でしょうか。

古い町名は公園の名前やアパートの名前、営業所名などに残っていたりします。
茶園町(今の大開1丁目)とか亀甲町(今の玉川2丁目)とか。





夕方の路地。ノスタルジックでいい感じです。

※「福島区の風景・街並み



堂島大橋(1)

2012-04-15 | ・福島:風景・建築・史跡
北区と福島区の区境、堂島川にかかる堂島大橋。
橋の上はあみだ池筋、かつては市電が走っていました。



架橋されたのは昭和2年。
当時の流行を反映しているのか、レトロ感満載のモダンで格好いい橋です。
近づいてみると、どこもかしこも黒っぽくくすんでいます。
それは経年劣化だけでなく、第二次世界大戦中の空襲のせいでもあります。



下流方向。



ほたるまちや西梅田の高層ビル群が見えます。
私はここから見る夜景がとても好きです。

参考「wikipedia:堂島大橋

なにわリバークルーズコース5 堂島大橋(あみだ池筋)

玉川四丁目(4)

2012-04-14 | ・玉川:風景・建築・史跡
新なにわ筋沿いにある玉川コミュニティセンター近くにも
古い建物が残っています。
それもかなりの豪邸が複数。
高い塀、大きな屋根に蔵、庭も広いんだろうなぁ。



角っ子にある建物。
角の部分が面取りしたみたいな形状になっています。
何となくモダンな感じがするなぁ。



この二つ並んだ穴は何だろう?
換気用の通気口で、その上のカッコ記号みたいなのは
穴から雨が吹き込まないための庇なのかな。
私には「下がり眉と目」に見えます…。



この大きなお屋敷は、いつ頃の建物なんだろうか。
全体的に黒っぽい色なので、威風堂々たる風格でとても目立ちます。





野田・福島界隈の古い建物は、一軒単位でぽつんぽつんと点在するのではなく
この一角のように豪邸が何軒も並んでいたり
長屋がずらっと並んでいたりと
わりと固まった形で存在しています。
区内には駅がたくさんあるので交通至便、
アップダウンも少なく歩きやすい道ばかり。
美味しいお店もたくさんある。

でもあんまり観光客って見ませんねぇ。
たまーに「旅めがね」の団体さんかな?というグループを見かける程度。
これが都内だったら、絶対に有名観光地になっていると思う。

大阪市や大阪府が観光客の集客に四苦八苦しています。
こうして素晴らしい財産があるのに、何してるんかなー?と思う。

※「福島区の風景・街並み

福島四丁目(1)

2012-04-13 | ・福島:風景・建築・史跡
福島小学校の隣にも古い家が残されています。
この小学校は作家田辺聖子さんの母校(当時は上福島尋常高等小学校)。
ご自宅はあみだ池筋沿い。
福島西通と堂島大橋の間にあったそなので、今で言うと「蓬莱」のあたりかな?

著書『田辺写真館の見た昭和』には
戦前の福島区の町の様子や住民の生活について書かれています。
当時はあみだ池筋に市電が走っていたとか
浄正橋近くに寄席があったとか。



右から三番目のおうちは今風にリフォームされているのですが
本当に格好良いデザイン。
中央のお宅のタイルの色も渋くて素敵です。
手前の家が純和風な感じで、デザインがバラバラなのに
何故か全体的にしっくりしているのは何故だろう。
壁の色を合わせているからかな。



立派なうだつが印象的な町家。
昔、左側の建物は「喫茶Tree」というカフェだったように思います。
私が行くと、なぜかいつもお休み。
気が付いたら閉店になっていて、ついに行けずじまいでした。
店内を見てみたかったなぁ…。

追記 2014.07
残念ながら上記建築物は解体され、現存しません。

『喫茶Tree』営業当時のことを記した記事を発見しました。
喫茶tree

家の前に並んでいた植木鉢が減り、壁を伝っていた植物(プミラだったような)が姿を消し
何となくひとけを感じなくなったなぁ、と思ってたら
工事用の幕が張り巡らされて、あっという間に解体されてしまいました。
福島区内の古いおうちが解体されるケースは何度も目撃していますが
ほとんどが「売り家」とか「入居者募集」などの告知看板が貼られることなく
ひっそりと解体されています。
古い町家に住んでみたい人は結構多いと思うのですが…
私自身、福島区で家を探す時に不動産屋さんに相談してみたのですが
古くて保存状態の良い町家が売りに出ることはめったに無いそうです。

※「福島区の風景・街並み

福島五丁目(1)

2012-04-12 | ・福島:風景・建築・史跡
JR環状線福島駅の南側には、長屋がまとまって残っています。
線路沿い・なにわ筋沿いはビルが建っていますが
一本道を入ると両側に古い家が並んでいます。
今はそんな建物を改装し、飲食店を営業している所が多いです。



道幅が狭く、独特の雰囲気。
まるでドラマのセットみたい。
住宅から店舗に変わっても、古い建物が残るのはうれしい。
「古そうな感じ」を大切にしたデザインでリニューアルしてほしいです。



窓枠の丸みが印象的。
壁の色がグレイで、全体的にシンプルなデザイン。
落ち着いた感じが格好いいです。


※「福島区の風景・街並み

玉川四丁目(3)

2012-04-11 | ・玉川:風景・建築・史跡
先日、帰省した時に地下鉄千日前線の駅で
『温故知新』と題された福島区のPRポスターを見かけました。
ほたるまちの高層ビルディングと石畳の残る町家を対比させた素敵なデザインです。

福島区は大阪駅に近く、複数の鉄道が利用できる便利な町です。
西梅田や中之島に隣接しているので、次第に都会的になりつつありますが
古い町並みもまだ残されている。

場所で言うと利便性の高い「都心」なのに、
街の中は何となくノンビリムード。
お寺や神社、小さな公園があちこちにあるせいかもしれません。

高層マンションが増えて、人口が増えましたが
このノンビリ感は無くしてほしくないなぁ…。



野田恵比須神社すぐ近くの長屋。
写真には写っていませんが
向かって左にはきれいな桜の木と藤棚のある児童公園があります。
四軒並んだ長屋ですが、いまどきの集合住宅と違い
壁の色や格子や二階の窓部分のデザインが少しずつ違います。



長屋の右側には石畳が残っています。
私が引っ越してきたころ、野田や玉川にも石畳の小路が残っていましたが
今はかなり減りました。

私の自宅の前も昔は石畳だったそうです。
水道管の取り替え工事の際に敷石が撤去され
そのままフツーの路地になったようです。
もう一度、敷石を敷いて整備するのは大変だし、
費用がかかるから保存は難しいのだろうなぁ。

海老江には石畳を保存している地区があると聞きますが
住民の皆さんの努力には頭が下がります。



※追記:2014.07
↑長屋の左側の住宅は解体され、現存せず。

圓満寺のすぐそばにあるお宅。
玄関前に並べられた植木鉢がかわいらしい。
福島区の古い長屋にお住いの方は、花や植木が好きな方が多いらしく
こうして玄関周りに植木鉢を置いている家が多いです。
植木鉢やプランターの花を見るのも楽しみの一つです。


※「福島区の風景・街並み

玉川四丁目(2)

2012-04-10 | ・玉川:風景・建築・史跡


恵美須神社」の正確な創建時期は史料が無く、不明ですが
永久元年11月(1115年)と伝えられています。
昔はこのあたりは大阪湾で、野田はそこに浮かぶ島々(難波八十島)のひとつ。
農業とともに漁業も盛んだったので、恵比須神社が信仰されたのでしょう。

極楽寺本堂にあった小学校は、
その後この神社にお引越し、明治31年にまた別の場所に移転しました。
今の場所に落ち着いたのは大正5年、なんと4件目です。

参考「野田恵美須神社 公式ホームページ

この神社の周囲にも古い建物が残っています。
神社の周囲に大きな樹木が茂っているため、
この道はいつも涼しげで静かな雰囲気があります。



一番目立つのが立派なうだつのあるこのお宅。
この家を見るのが楽しみで、よくこの道を歩きます。

東京の下町と言われる地域にも古い和風住宅や長屋が残っていますが
このような重厚かつ立派な家は見たことがありません。
造りが華奢な感じで、台風が来たら吹っ飛びそうな家が多いのです。
これも大阪が歴史のある古い街で、豊かだった証ではないかと思っています。





どの角度から見ても素敵ですねぇ、憧れです。
丸みのあるむくり屋根の家をみると、
「ああ、大阪に帰ってきたなぁ!」と痛感します。
東京にある古い住宅の屋根はまっすぐなんです。
(だからよけい軽そうに見えるのかも)

追記 2012.11
残念ながら上記の建築物は取り壊されました。
今は駐車場になっています。



その並びにある旧エビス薬局。
厨子(ツシ)二階町家と言われる形式でしょうか。
上記のお宅に比べると、二階部分の背が低いです。

江戸時代は通りを歩くお武家様を見下ろさぬよう、
二階部分(物置きなどに利用)を高く作ることは許されませんでした。
この形式の家は江戸時代~大正初期まで作られていたそうです。

追記 2014.03
残念ながら、このエビス薬局も解体されました。

「野田恵比須神社」
住所: 大阪市福島区玉川4-1-1

※「福島区の風景・街並み

玉川四丁目(1)

2012-04-09 | ・玉川:風景・建築・史跡
極楽寺のお向かいに立つ白壁が印象的な蔵。
昆布茶で有名な「不二食品」の蔵です。
(こちらの社名、長い事「不二昆布」だと思っていました…)
壁部分の下半分はタイル張りになっていて、モダンな印象があります。



この一角は、お向かいはお寺、
少し離れたところに野田恵比須神社があるせいか
古くて落ち着いた街並みになっています。

会社のHPに掲載されている沿革を拝見すると、
創業の地は大阪ではなく、東京の日本橋。
大阪移転の時期は大正12年と書かれているので、
関東大震災がきっかけなんでしょうか。

参考「不二食品株式会社ホームページ

私は子供の頃、ここの昆布茶・梅昆布茶が好きでした。
昆布茶として飲むのはもちろん、お茶漬けの時にぱぱっと足したり。
お椀に入れてお湯で溶かしたところに、ふわっとオボロ昆布を入れて即席のお吸い物にしたり。
昔からある飲み物だと思っていましたが、
昭和30年代の発売と比較的新しいものなんですねー。
味だけでなく、モスグリーンのパッケージも素敵です。

この蔵、一時期は工事用シートで覆われていたことがありました。
「老朽化でつぶしてしまうんかな?」
「新しい社屋を建てはるんやろか?」
と勝手に心配していたのですが、ご覧の通りきれいに補修されました。
これからも大切にしてほしいです。

「不二食品株式会社」
住所:大阪市福島区玉川4-2-11


※「福島区の風景・街並み

極楽寺(野田御坊)

2012-04-08 | ・玉川:風景・建築・史跡
福島区を離れて数年。
帰省できるのは年に数回程度です。
帰るたびに見慣れた景色が変わってしまっていて驚きます。
きれいで現代的な建物ができるのも良いけれど
昔ながらの建物が無くなっていくのはとても寂しい。

懐かしい景色を忘れないように、古い建物や街並みを少しずつ
写真に残そうと思っています。



「極楽寺」は玉川四丁目にある浄土真宗のお寺。
16世紀頃、このあたりは野田城というお城の城内だったそうです。

参考「wikipedia:野田城 (摂津国)」(1531年築城)


石山本願寺の歴史を語る際に重要な場所なのだそうですが、
不勉強でしてほとんど知りませんでした。
学校の授業で石山本願寺の話ってちょこっと触れられるだけで
あまり詳しい説明をしていなかったような…。

参考「wikipedia:野田城・福島城の戦い」(1570年)

それから大阪冬の陣の時にも「野田・福島の戦い」の舞台になったそうです。

参考「wikipedia:野田・福島の戦い



門の横には古い石灯籠がありました。
天文二年は西暦で言うと1533年。
証如上人は本願寺門主で、蓮如の曾孫に当たります。

参考「wikipedia:証如(本願寺光教)



極楽寺というと、この角度からの眺めが印象的。
最近、この景色が雑誌『大阪人 2012年3月号』に掲載されていました。
『司馬遼太郎は「大阪」をどう見ていたか。』の35ページ。

明治7年、極楽寺の本堂には西成郡第三区第六番小学校があり(今の玉川小学校)
『坂の上の雲』の主人公、秋山好古が代用教員として勤務していた、と書かれています。
すぐに退職して大阪師範学校に入学。
『坂の上の雲』上巻の最初が秋山好古の大阪時代の話なのですが
残念ながら、大阪に対してあまり良い印象を持っていなかったように書かれています。

参考「wikipedia:秋山好古」(1859~1930年、日本の陸軍軍人)
参考「wikipedia:坂の上の雲」(司馬遼太郎の長編歴史小説)

私はドラマを見ていなかったのですが、極楽寺や玉川小学校のことは出ていたのかな?

「極楽寺」
住所:大阪市福島区玉川4丁目3−7

※「福島区の風景・街並み