ナオスミンの雑記

2009年9月14日より、四年半使用し続けた、グリチルリチン酸配合のATPリピットゲルを中止。リバウンド体験中。

松原照子さんと予言

2013年11月23日 14時28分15秒 | 言いたいこと

このところ、松原照子さんの予言について色々と調べたり考えたりしておりました。

で、この方の予言が本物かどうかは私にはわかりませんでした。

311をあてたのかもしれませんが、その後もブログでたくさんの場所が危ないと言っているようです。

それは、いつなのか、今後10年以内とか言っていますが、それは予言でなくても科学的に見ても大きな地震がありそうに思います。

というのは、歴史を調べれば、日本には大地震が頻繁に起きていて、続くときは続くからです。

以下はコピーです。

 

元禄地震(げんろくじしん)は、元禄16年11月23日1703年12月31日)午前2時ごろ、関東地方を襲った巨大地震

震源相模トラフ房総半島南端にあたる千葉県野島崎と推定され、東経139.8度、北緯34.7度の地点[注 1]にあたる。マグニチュードM)は7.9-8.2と推定されている。

大規模な地盤変動を伴い、震源地にあたる南房総では海底平面が隆起して段丘を形成した元禄段丘が分布し、野島岬は沖合の小島から地続きの岬に変貌したという。

江戸時代中期の元禄から宝永年間は巨大地震噴火が続発した時期であり、本地震の4年後の宝永4年(1707年)にはM 8.4-8.7と推定される宝永地震、および宝永大噴火も発生している。

宝永地震(ほうえいじしん)は、江戸時代宝永4年10月4日1707年10月28日)、遠州灘沖から紀伊半島沖(北緯33.2度、東経135.9度 [注 1])を震源として発生した巨大地震南海トラフのほぼ全域にわたってプレート間の断層破壊が発生したと推定され、記録に残る日本最大級の地震とされてきた[1][2][3]。世にいう宝永の大地震(ほうえいのおおじしん)、あるいは宝永大地震(ほうえいおおじしん)とも呼ばれ、地震の49日後に起きた宝永大噴火と共に亥の大変(いのたいへん)とも呼ばれる。

この地震は定期的に巨大地震を起している2箇所の震源域、すなわち遠州沖を震源とする東海地震紀伊半島沖を震源とする南海地震が同時に発生、またはこれらの震源域を包括する一つの巨大地震と考えられている。地震の被害は東海道紀伊半島四国におよび、死者2万人以上、倒壊家屋6万戸、津波による流失家屋2万戸に達した[5]

宝永地震の翌日卯刻(6時頃)、富士宮付近を震源とする強い地震があり、駿河甲斐付近では本震より強く感じられ、11月10日12月3日)頃から山麓で地響きが始まった[

 

宝永大噴火(ほうえいだいふんか)とは、江戸時代中期の1707年宝永4年)に起きた富士山噴火である。現在までにおける歴史上最後の富士山の噴火となっている。

南海トラフ沿いを震源とする巨大地震として、江戸時代には宝永地震のほか、慶長9年(1605年)の慶長地震嘉永7年(1854年)の安政東海地震および安政南海地震が知られている。

コピー終了

このように、1703年に元禄地震(関東地方)、1707年に宝永地震(東南海地方)、1707年に宝永大噴火(富士山の噴火)と、立て続けに大地震が昔起きていたことをみると、このような大地震がまたいつか起こる可能性が大きいと思います。

ただ、それがいつ起こるかが問題で、それは、なにかしら必ず予兆があるのではないかと思っています。

現代は、インターネットの「地震情報」というサイトで、震度1から調べることもできます。

東北大震災の二日前から、震源地あたりではマグニチュード4.5以上の地震が何十回も起こっていたそうで、そういうことも参考になると思います。

 

私達人間は、そういった地球の自然治癒力である大地震やハリケーンにはかないっこありません。

地球が「危ないよ」というサインを出したら、素直に逃げる準備をした方が良いのだと思います。

 

追記

松原照子さんのブログは参考にさせてもらい、今後も検証してくつもりです。


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